2017年11月16日16時03分掲載
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沖縄/日米安保
“抗議行動”は希望を未来につなぐ営み
東京MXテレビ(以下、MX)で1月2日に放送された「ニュース女子 #91」への抗議行動を始めてから8カ月がたつ。
「沖縄で米軍基地建設に反対する運動は、実は“日当の出るお仕事”で、反対しているのは沖縄の人ではない。暴力をふるうテロリストだ」などとウソと誹謗中傷で偏見をあおり、あざ笑う番組内容だったので、地上波テレビ局によるデマの波及効果は高いことから、私たちはMXに放送責任を問い、訂正と謝罪を求めている。
しかし、MXは「番組に虚偽はない」と開き直ったままだ。
<在日米軍基地の問題は自分たちの問題だ>
私は、まさか自分が最初の呼びかけ人をやるとは思わなかった。運動経験は浅いし、能力的にもできるとは思えない・・・。でも、そのときは、やらないことを選べなかった。ここでやらないと自分自身を保つのが難しいと感じたからだ。
私は2013年9月から沖縄の高江や辺野古に通うようになった。それによって生き方が大きく変わった。自分の当事者性に気づいて青ざめた。
でも、座り込む人たちは温かく受け入れてくれた。抗議の相手を人間として思いやる懐深い抗議方法に驚き、敬意と親しみを感じた。座り込み、ごぼう抜きされ、暴力を受け、不当逮捕もある。毎日すごくつらいのに、笑いを誘うトークや歌、踊りがあって、心のにごりがふわっと昇華するように感じた。「不当逮捕者が出たら全力で取り返す」という明確な方針も、心に響いた。怖くない、あたたかい、自分の知らないことがたくさんある、また来たくなる・・・。
現場を去るときは緊張が解けてホッとする面もあるが、寂しさの方が勝った。
東京にいる間も、沖縄のことが気になった。「辺野古リレー 〜沖縄のたたかいを全国へ〜」というグループに入り、街宣をしたり、カンパを募って辺野古に人を派遣したり、平日夜や土日も活動するようになった。
自分の役割は「在日米軍基地の問題は自分たちの問題だ」と気づいてもらうこと。自分がそうだったように、他の人も気づけば変わるはず、それによって社会は変えられるはずだと思ってやっている。
しかし、この間、政府の弾圧は激しさを増し、基地あるが故の事件・事故も相次いだ。
特に昨年はひどかった。4月にうるま市の二十歳の女性が元米兵に強姦され、惨殺された。7月は高江に全国から五百人の機動隊員が派遣され、「戒厳令下」の無法地帯の中、丸腰の市民が暴力的に排除され、違法工事が強行された。10月には辺野古や高江の運動をとりまとめていた山城博治さんが不当逮捕され、長期勾留。12月には名護市の集落そばの海岸に米軍オスプレイが墜落。原因究明もされぬうちに飛行が再開された。
日本はアメリカの植民地だ。そして日本政府は、沖縄を植民地のように扱っている。歴史上のひどい弾圧事件の例は、他国や他の時代に求めなくても、今、沖縄で起きていると思った。日本はもっとマシな国だと思っていたが、そうではなかった。そのことにどれだけの人が気づいているのだろう?街の喧騒を横目に、怒りや悲しみで体がつらくなる日々が続いた。しかもこの差別的状況を変えられず、長く成立させてしまっているのは、「本土」の私たちなのだ。怒るほど、悲しむほど、その矛先が自分の胸に食い込む。
東京では、集会などに参加して、沖縄で見聞きしたことを発言するなどして、先輩や仲間とつながることが救いだった。そこから、かろうじて未来への希望をつないだ。
ニュース女子が放送されたのは、そんなひどい年が去り、新しい年が明けたばかりの今年1月2日のことだった。人間の尊厳をかけて座り込んでいる沖縄の“おじぃ”や“おばぁ”たちの闘いを、東京のきらびやかなスタジオで、正装した男女がもの笑いのタネにする醜悪な番組。
「はしゃいだ東京の美人タレントの笑顔に正月から悔しさと悲しさの涙が止まらなくなるとは、思ってもみなかった。謙虚にわからないで逃げるだけならただ受け流せていられた。まさかヘイトに加担するとは」(沖縄在住の女性、きなさんの1月3日のツイートより)
自分も吐き気がして最後まで見ることができなかったが、沖縄の人の怒りはいかばかりだろう。東京ローカルの放送だが、ネットでも見ることができる。運動に参加する50代ぐらいまでの人たちは、チェックしている人が多いようだった。
怒りが収まらず何日も一人で泣いた。自分の足元で沖縄差別が垂れ流される不甲斐なさ。もし、これに抗議しなかったら、これまでの自分は何だったのかわからなくなると思った。この番組への抗議は、私にとって、辺野古や高江に座り込みをするのと同じ。これまでの自分との連続性を保つためにはやるしかなかった。
とはいえ、まさか8カ月以上も続けることになるとは思ってもみなかった。当然、好きでやっているわけではない。運動を続けるのは、MXが訂正と謝罪をしてくれないからだ。性格上、途中で投げ出すこともできない。辺野古や高江に行けば懐かしい顔ぶれと再会し、厳しくとも共に座り込みができるが、MX抗議があるため、今年は一度も沖縄に行けていない。
それでも、やっていると、いいことがある。
一番嬉しいのは、東京で小さくても継続的な“運動の現場”をつくることができたこと。
運動経験の浅い自分は、それまで沖縄の運動にばかり目がいっていた。東京の集会や街宣活動を“辺野古リレー”として主催したことはあっても、毎週(4月以降は隔週)、これほど頻度の高い連続行動の呼びかけ人になったのは初めてだ。
辺野古ゲート前の運動以外、あまり知らないため、親しんできた山城博治さんの方法を踏襲した。初めての人も来やすい雰囲気をつくり、来てくれる人を大事にすること。できるだけマイクを回し、みんなで作る運動にすること。コールはわかりやすく親しみやすいものに。MXの社員を頭から否定せず、良心を信じ、救いのある呼びかけにすること。歌と踊りで心がスッキリするコーナーも入れること。でも、主張はクリアにキッパリと。
多くの人に助けられて開いた第一回目、集まってくれた人たちのスピーチはどれも素晴らしかった。自分の想像をはるかに超える、生き生きとした集会を開くことができた。その後も毎回、有名無名の人が思いを込めたスピーチをしてくださっている。本来、抗議行動なのだが、思いを分かち合う集会のような現場になった。
最大180人、毎回50人を下回ることなく、今年8月は70人前後の参集を得た。初めて来たという人が常に数人いて、場に活気を与えてくれている。「核になる団体があるわけでもないのに、これだけの参加者があるのは奇跡的なことだ」と古くから運動をしている方に聞いた。
9月14日の第22回目の行動は、経産省前で不当逮捕があった直後で、警視庁への抗議行動後に数人が駆けつけてくださった。私たちも、関東大震災後のデマによって虐殺された朝鮮人の追悼式への参加を呼びかけた。都知事がこの式典への追悼文を取りやめたことを懸念し、改めて慰霊の場に心を寄せるためだ。そこにはMX抗議でよく見かける十数人の姿があった。このようにMX抗議の場は、異なるテーマの運動に関わってきた市民同士が交流し、お互いの運動の意義を学びながらつながりあい、運動を強めていく機能も果たしていると思う。
「この行動があってよかった。あんなひどい番組が流れたのに、このような行動がなかったとしたら、日本にもっと失望するところだった」と述べられた方がいたが、「正に!」と思った。
MXが訂正・謝罪しないだけではない。番組司会者の長谷川幸洋氏は東京新聞論説副主幹から降格したとはいえ、今も論説委員の肩書で沖縄への偏見をあおるデマをまき散らしている。関東大震災後に虐殺された朝鮮人の数が曖昧だとして追悼式の意義を疑問視する歴史修正主義者、在日の人たちへの偏見をあおるヘイトスピーチなど、世の中のスタンダードがわからなくなるほど、差別・排外主義が蔓延している。すべてに対応するほどの体力はないが、少なくともその一隅にあかりを灯し、公共の電波を使ったウソとヘイトはゆるさないと叫び続けたい。
<自分たちの力で社会をよりマシなものにしていこう>
路上での抗議行動というと眉をしかめる人もいるが、実はとてもすてきな行動だと思う。抗議をすることは、辺野古と同じく、希望を未来につなぐ営みだ。人任せにせず、自分たちの力で、社会をよりマシなものにしたいと考える人が集い、声を上げる。そうした場を東京でつくり、心が通いあう人たちとたくさん出会い、つながれた。運動のおかげだ。今後、ほかにもおかしなことが起きたとき、また同じようにやっていけるという確信を持つことができた。
もちろん、仲間がいてこそ。“差別・排外主義に反対する連絡会”のみなさんには、初回から全ての回に渡り警備をしていただいている。運動の進め方についても常に的確な提言・助言をいただいている。このような出会いに恵まれたことを、心から感謝しています。
(沖縄への偏見をあおる放送をゆるさない市民有志 川名真理)
※ 差別・排外主義に反対する連絡会 発行
『Milestone(里程標)』8号(2017年11月8日発行)より転載。
差別・排外主義に反対する連絡会ウェブサイト
http://noracismnodiscrimination.blogspot.jp/
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