2017年11月27日15時43分掲載  無料記事
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終わりなき水俣

無農薬の甘夏みかん「からたち」の季節 水俣で逞しく優しく時間を紡いでいく 大澤菜穂子

  私の両親は四十五年前、水俣病患者支援として水俣へ移住してきた。その後、私は水俣で生まれた。水俣で四十五年もの歳月を過ごし、七十代になった父と母を見ながら、何故二人は水俣に来て、彼等をここに居続けさせたものは何だったのだろうかと最近考える。多感な幼少期時代、他のクラスメートの親とはどこか違う雰囲気を持った父と母。そして、我が家を訪れるちょっと個性的な大人たちを(今考えるとかなり偏った見方だったが)、何となく素直に受け入れることができない時もあった。しかし私はいつしか、人間らしい生き方を水俣でしてきた父と母に興味を抱き、自分もそんな生き方に憧れさえ持つようになった。水俣で逞しくそして優しく時間を紡いでいきたい。それが今の私の目標だ。 
 
 私は進学・就職で水俣を離れ、三十代半ばで水俣へ帰郷した。帰郷後は両親がやっていた仕事を手伝い始めた。父と母は、無農薬の甘夏みかんを自主販売していた。海を奪われ陸に上がることを強いられた漁師たちの無農薬の甘夏みかん、自身が水銀という毒に冒されている中、さらなる毒(農薬)を使うことを拒んだ患者(故杉本雄さん、栄子さん)が作る無農薬の甘夏みかん。水俣病事件を伝えながらも、みかんの販路開拓に奔走する父、留守になりがちな父に代わり家や職場を守る母の姿を今でも鮮明に覚えている。そんな両親もみかん販売から一線を退き、私は弟夫婦と、本格的に無農薬の水俣の柑橘販売という仕事を開始した。帰郷当時は、自分の意志なのか流れなのか、曖昧な中みかん販売をしていたのだが、昨年「からたち」という団体を立ち上げ、自分たちの足で一歩ずつ歩み始めた。 
 
 私たちの団体名にもなっている「からたち」という柑橘をご存だろうか。ほぼ全ての柑橘は接ぎ木という手法で苗を育て樹にする。甘夏みかんもデコポンも、品種は違えど土台になる接ぎ木は「からたち」という柑橘だ。からたちは根っこから水分や栄養素を送り、さまざまな柑橘の成長の手助けをしている。一見、目立たないからたちでも、このしっかりとした土台がないと立派な柑橘は育たない。そんなからたちのように、人を繋ぎ、時には土台となり、自らの体験から農薬をやめた水俣病の患者さんたちが育てたみかんを守り、次世代へつなげていきたい。そして、甘夏みかんのように水俣で逞しく根をはっていきたい、そんな想いを名前に込めた。 
 
 今、甘夏みかんは野球ボールくらいの大きさになり、たわわに実をつけている。本格的に収穫が始まるのは二月頃からだ。甘夏みかんの前に、温州みかん、スイートスプリング、レモンなどの収穫が十一月から始まる。ここ数週間はお客さんに送る次号の機関誌と商品案内を作成中だ。毎号、水俣や水俣病のこと、生産者や私たち想いなどを綴り、けっこう気合いを入れて「からたちの道」という機関誌を作成している。ただのみかん売りではなく、そのみかんに込められた温かさ優しさ苦労いろいろなものをお伝えできたらと思っている。きっとこれからの時代、水俣の無農薬甘夏みかんの販売は難しくなるだろう。「水俣」というキーワードで支援もこめて水俣のみかんを購入していただいていた層の高齢化。どこでもオーガニックの商品が手に入りやすくなった時代背景。若者の果物離れ。そして、現場では生産者の高齢化も深刻だ。それでもこれからも水俣のみかんを売り続けたいと思っている。そして、水俣病のことをあまり知らない若い世代と、みかんを通じて水俣を繋ぎたい。「水俣を知ることは私たちがこれからどう生きるか考えること」。これは故原田正純先生が残した言葉だが、水俣は常に私たちに「あなたはどう生きるか?」という問いを投げかけている。できることは微力だが、水俣のみかんにそんな想いを乗せていけたらと思っている。 
 
 六十年前、生活の中心だった海が奪われ、そして自らも病に侵されていった人たちが、悔しさ絶望の中、希望を託し植えた甘夏みかん。今年もたくさん実をつけている。 
 ご希望の方には機関紙と商品案内「からたちの道」をお送りさせていただきます。 
 
からたち 大澤菜穂子 
熊本県水俣市袋二五〇一ー二一一 
電話&Fax 〇九六六ー六三ー七五七八 
メール karatachi@sea.plala.or.jp 
 
*この記事は、本願の会の会報「魂うつれ」第71号(2017年11月)からの転載です。 
 
<「本願の会」とは> 
 
 「水俣病事件は近代産業文明の病みし姿の出現であり、無量の生命世界を侵略しました。その『深き人間の罪』を決して忘却してはならないと訴え『魂魄の深層に記憶し続ける』ことを誓って、平成6年(1994年)3月『本願の会』は発足しました。その活動は、生命世界の痛みを我が受難として向き合い、対話と祈りの表現として、水俣湾の埋立地に会員の手彫りによる野仏(魂石)を建立し続けていきます。現代における『人間の罪責』、その行方は制度的埋め立てによって封印されてはなりません。いまを生きる私たち人間が、罪なる存在として背負う以外に魂の甦りはないと懸命の働きかけを行っています。」 
 これは、水俣病情報センターのパネルに会員が書いた紹介文。 
「本願」があるからといって特定の信仰を持つ宗教団体ではないのは当然のことだが、従来の裁判や政治交渉とは異なる次元で水俣病事件を核にした「命の願い」を「表現する」人々の緩やかな集まりである。運動体でない。 
 発足時のメンバーには、故田上義春、故杉本雄・栄子夫妻と緒方正人さんら水俣病患者有志、それに石牟礼道子さんが名を連ねている。それから20余年、現在は石牟礼さん、緒方正人、正実さんらが中心となって野仏を祀り、機関誌『魂うつれ』の発行を続けている。 
 祀られている野仏(魂石)は55体。『魂うつれ』は季刊で発行、1998年11月の創刊、2017年7月で70号を数えた。 


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