2018年01月06日09時31分掲載
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政治
代表制民主主義の変革を 特定利益集団の支配排除をめざして
現在、いわゆる民主主義の政治は、ほとんどの国で、民(国民)の利益を代表するようには機能していない。アメリカ、日本はその代表例である。特定利権集団に牛耳られていて、それらを代表する人物が、選挙を勝ち取れる仕組みになっているため、選挙が、民意を代表する人を選ぶことが難しい。このまま、こうした形骸化してしまった「民主主義」的選挙制度を継続すると、ますます民主主義の基本を離れ、むしろ特定利権集団とか、特定イデオロギーに支配される、ファシズム的政治形態に堕落してしまうであろう。ナチスは、それを実行したのだが。(落合栄一郎)
アメリカ国会を牛耳る共和党議員の多くの基本的考えは、「自分達が築いた地位は自分達の努力で達成したものであり、下層にあるものは、努力が足りないためであり、そうした人達に、自分達の納める税金を使う必要はない」というモノであり、社会福祉的概念は、彼等の頭にはない。幸い、社会福祉の重要な部分である老齢年金まではまだ、手がつけられていないが(しかし、大統領も共和党も最終目的にしてはいる)。
日本でも、多くの国会議員は、社会内で、いわば上層部(とくに経済的な面で)出身、またはそれに追従する人たちである。そのため、国民の多数の生活感覚は持ち合わせていないし、そういう人たちの苦悩は感じられないし、理解できない。多数国民のことを理解できない人たちが政治を動かしている限り、国民多数の利を優先するような政策を作ろうとするわけがない。もちろん、野党という政権を牽制する人々がいるはずだが、アメリカの民主党にはそのような議員はまれであり、大部分は、与党と同様に利権集団密着である。日本には、充分に政権側に対抗し、それを動かすことのできる野党はない。まあ、与党議員数があまりにも多いため、数で押し切られてしまうのだが。
さて、こうした今の代表制民主主義をどうしたら、民衆のための制度に変えることができるだろうか。このことを充分に考え、そしてその実現に向けて国民多数が立ち上がらなければ、良い未来はない。秘密保護法、共謀罪法、安保法制などなど悪法がすでに出来上がってしまっているが、この上に憲法改悪が実現してしまえば、日本は、戦前への退歩の他はない。主権在民という、民主主義の前提そのものまで、なくなってしまう。
では、代表制民主主義を、国民多数の意見や感情が尊重されるように改革することは可能なのだろうか。どこの国でもそうだったが、日本では特に、初期の国会議員の選挙権は、納める税の額で決められていた。この時点で、すでに、代表者は、国民多数を代表していなかった。これを根本的に改めるにはどうすべきか。まずは、立候補者を、納税額その他でいくつかの階層別(例えば、3層ぐらいに分けて)にして、その各階層から、政党の枠は無視して、階層ごとの一定数を出させる。そして、より直接的には、当選者数は、各階層の構成員数に依存するように決める。選挙する側は、階層別にする必要なし。これをやれば、やがては、そういった制約なしの、代表選出の民主主義議会に成長するのではないだろうか。
こんなあからさまな利権集団排除を目ざす改革は、とても実現することはありえないし、このような意見などを国民に知らせることなど、現報道機関ではどだい無理。したがって、そんな選挙制度改革などできようはずはないというのが現実に近いものと思われる。では、他にどんな考えが?
一番の近道は、小選挙区でなく、比例代表制にし、首相選択を国民の直接選挙にすることが、第1歩であろう。いわば、首相の支持率そのものを、首相選択の根拠とする。そうすれば、現在の首相は直ちに代表失格ということになる。
どれもこれも、簡単に実現できるようなものではないだろう。しかし、なんとか、現状の代表制民主主義を改善することは必要でしょう。みんなで、考えましょう。
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