2018年02月25日18時44分掲載
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コラム
庶民派を装うTV 〜 お前はただの現在などではない 〜
1970年代みたいにTV番組の作り手と視聴者の多くが近い存在ではなくなっています。収入や学歴の格差が次第に固定されてきましたが、そのことはTV番組の視聴層にも影響を及ぼしています。実質的にTV番組の作り手は、彼らが属する階層向けではなく、彼らよりも数段貧乏で文化資本にも乏しい大衆向けの番組を作らなくてはなりません。なぜか。それは購買力こそ減って来たとしても、今なお、選挙で大きな票田となるのが大衆だからです。TVはイデオロギーを増幅させることができる装置です。
しかし、いかにTV番組の作り手たちが庶民派を装っても、政治や経済の報道の結末としては特権層あるいはエリート層に有利な方向に誘導しないといけませんから(つまり反庶民)必ず、そこには嘘とか誤魔化しが混じらざるを得ず、乖離が大きくなればなるほどその誤魔化し度が増していくと思えるのです。たとえばエリート層を批判したとしても、その後で必ず「しかしもしエリート層がいなかったら、とんでもないことになってしまう」的な結論を入れて、批判を中和してしまうのです。TVのスタジオの機能はここにあります。こうすることで番組を見た人が行動することがほとんどなくなります。
こうした誤魔化しを続ける結果、教養や知識のある層はTVを見なくなります。クオリティの高い情報に日々接することができる階層にとってはTVの情報が粗雑で単純で、情報操作されていることが一目瞭然だからです。これはフランスで起きたことです。教養のある多くの人々がTVというものが真実とは無縁の見世物だと思うようになったのです。これから日本でも顕著になっていくでしょう。TV番組の作り手が大衆の幸せのために番組を本気で作るのではなくて、エリート階層のために大衆の意識を誘導することが主な仕事になるとすればTVとは実に空しい箱ですし、昔のソ連の国営放送とさして変わらなくなるでしょう。
南田望洋
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