2018年03月03日14時55分掲載
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コラム
「嬬恋村のフランス料理」24 仲間たちのこと その 1 原田理(フランス料理シェフ)
東京を出て、群馬県・嬬恋に着任したのは7年前の2月28日。この時期になると初めて嬬恋に来た日の事をよく思い出します。雪深く寒い嬬恋の初めてのホテルの初めての宴会場で仕事を始めたときのことです。
都内のレストランで長く小規模のオーナーシェフをやっていたこともあり、ホテルのシステムや、大きな厨房に自分の力がどれだけ通用するのか不安だらけでした。実際厨房に入ってみると料理人といえる人材は非常に少なく、学生やフリーターのアルバイトで運営している状況でした。「社員がいない!」と言うこともびっくりしましたが、仕事の内容も想像していたよりは比較的シンプルで、これなら自分もやれそうな気がするとほっとしたこともよく憶えています。正社員と言えるのは管理職の料理長一人で、先代の五十嵐輝明総料理長も現場に入って手伝わなければ日々の運営もままならない状況に結構驚いた記憶は色濃く残っています。
僕が嬬恋に来てから半年後のある日、総料理長の紹介で入ってきた中途採用の社員、それが現在、宴会料理長をしている橘利明シェフでした。橘シェフは先代の五十嵐総料理長と同じで福島県の出身です。7年前の当時、彼は主任という役職で、一方の僕は派遣社員の立場だったので社内ではかなり上の上司でした。しかし、年齢が同じだったこともあり、気兼ねなく話しかけてくれたのです。料理への理解が得られないスタッフの多い中で、やっとわかってくれる人が来たぞ!と言うのが僕が橘シェフに対して抱いた対する第一印象です。
二人とも宴会料理部門に配属されていたので、当時のお世辞にもホテルとは言いがたい厨房の配員に四苦八苦していました。プロフェッショナルも少なく、スタッフから料理に対して理解を得るのに二人でずいぶんと苦労した記憶が残っています。米の炊き方も知らない学生に包丁を持たせるのも怖くて、サラダちぎりしかさせることが出来ず、切りものはほんの少数でやるといったことが日常でした。嬬恋はリゾート地だけに仕事ではなく遊び半分で来ている学生アルバイトも当時は多かったのです。当たり前ですが学生のノリではきちんとした料理を出すことは難しく、更には当時僕も橘主任も、二人とも大きな権限を与えられていなかったので、振り返れば苦い思い出なのかもしれません。
キュウリの切り方ひとつにも学生には手取り足取り教えなければ仕事が進みませんし、自分たちの持ち分の作業もあります。日替わりの料理ひとつ考えるのにも当時の料理長に無茶振りをされ、結構困った思い出は多いです。冷凍のチキンナゲット2パックで料理長のお勧めをつくれ!さつま揚げを座布団みたいに大きく作って提供して!なんて仕事をホテルの西洋料理ブッフェでやっていいのか?なんてことは結構なインパクトがありました。当時はほとんど素人集団みたいなものですから、そういったオペレーションでしか仕事ができなかったと言うのは大きく、先代の五十嵐総料理長にとっても満足できる料理を提供できないストレスは大きかったと思います。そこで五十嵐総料理長や橘シェフと共にホテルの人事担当者と相談して、徐々に知り合いのつてをたどったり、派遣会社と交渉したりしながら、プロフェッショナルな人材を増やしていったのです。
しばらくして僕が西洋料理部門の料理長になると言うときには橘シェフは快く二番手を引き受けてくれました。派手な仕事好きの僕には足りない細かい部分やフォローを柔軟に行える器用なタイプの料理人です。橘シェフにはイメージを伝えるだけでよかったのです。僕がニース風サラダをメニュに載せたいと言えば用意は終わっているし、トリュフのソースにしたいと二人で話すと、次の日には鍋にしっかり入っているのです。なので、二人で組んでからは仕事がずいぶん快適になりました。お互いに足りないところを補って一皿になる料理のような感じとでもいえば良いでしょうか。どちらかと言うと僕は単独の個性や自慢にしている思いつきで場を乗り切って突き抜けていくタイプですが、彼は柔軟で安定していて、計画を立てて緻密に遂行していく秀才タイプです。その器用さに僕は舌を巻き、いつもずいぶんと救われています。
橘シェフとの仕事の中での一番の思い出になる仕事と言えば「ソースペリグー」でしょうか。マデラ酒(マデラ島で作られている酒精強化した甘口ワイン)とブランデーを煮詰め、フォンドヴォー(子牛の出汁)とたっぷりのバターと黒トリュフのみじん切りを加えた、リッチなソースです。このソースをフランス料理の夜のコースでメインデッシュに使用したため、二人で年間に何十リットルも作りました。自慢の上州産の牛ロースにかけて野菜と組み合わせる一皿を二人でいったい何万皿作ったことでしょうか。皿数だけ友情がそこにあるような気がします。
今でこそ僕は総料理長となってホテル全体の料理について見ていますが、このような大きな施設では一人で料理はできません。よい料理を安定した状態で提供するには、よい同僚がいなくては作ることすらままなりません。そんな僕たちも30代を経て40代の中盤にさしかかり、お互い思い出話が出来る付き合いの長さになってきました。最近では僕の不在時の心強い代理として安心して留守にすることが出来るので、感謝するしかありません。
僕の働くホテルには4つのレストランがあり、それぞれに料理長、副料理長がいます。それぞれに大体のイメージや方向性を伝えて、原価や機材などの数値設定を行い、メニュの内容は各料理長の裁量やセンスに任せてお願いし、僕自身は各現場で自由にやっています。僕の仕事は料理を作る人材、重要な食材などの全体の管理とトラブル対応、各員の長所を引き出すことです。10代から70代までの育ちも経験の程度も違う30人ほどの調理担当者がいますので、上手く仲立ちをして、のびのび安全で美味しい料理を作る環境を整えるのも僕や料理長達の大事な職務のひとつです。
料理人ですから全て自分のメニュで一切合切を取り仕切って行いたいと思うこともありますが、一人でそこまで出来る物理的な要素はありませんし、能力も追いつきません。実際の現場では、食材のよさを引き出すのと同様に、一緒に働く人の良さを引き出しつつ、苦手な箇所や欠点を補完して「一皿の料理」つまり「ひとつの一体感ある厨房」にするにはどうしたら良いかに心を砕いています。「各料理長や料理人の個性が発揮できつつ、まとまるのかな。いや、むしろきちんとしたかたちにまとめるのが僕の仕事だ。」と考えながら日々仕事をしています。
今日も朝の朝礼は橘料理長の取り仕切り。彼が今日一日の予定と注意点を全員に伝え、各料理長と連携を取って、僕は最後に締めを行います。先代五十嵐総料理長の薫陶を受けた人材はもう少なくなってきていますが、先代のよいところを引き継いでこれからもやって行けると思っています。
原田理(おさむ) フランス料理シェフ
( ホテル軽井沢1130 )
■「嬬恋村のフランス料理」1 原田理(フランス料理シェフ)
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■「嬬恋村のフランス料理」2 思い出のキャベツ料理 原田理(フランス料理シェフ)
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■「嬬恋村のフランス料理」3 ぼくが嬬恋に来た理由 原田理(フランス料理シェフ)
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■「嬬恋村のフランス料理」4 ほのぼのローストチキン 原田理(フランス料理シェフ)
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■「嬬恋村のフランス料理」6 デザートの喜び 原田理(フランス料理シェフ)
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■嬬恋村のフランス料理8 深まる秋と美味しいナス 原田理(フランス料理シェフ)
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■「嬬恋村のフランス料理」9 煮込み料理で乗り越える嬬恋の長い冬 原田理(フランス料理シェフ)
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■「嬬恋村のフランス料理」10 冬のおもいで 原田理(フランス料理シェフ)
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■「嬬恋村のフランス料理」11 我らのサンドイッチ 原田理(フランス料理シェフ)
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■「嬬恋村のフランス料理」12 〜真冬のスープ〜 原田理(フランス料理シェフ)
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■「嬬恋村のフランス料理」13 〜高級レストランへの夢〜 原田理(フランス料理シェフ)
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■「嬬恋村のフランス料理」14 〜高級レストランへの夢 その2〜 原田理(フランス料理シェフ)
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■「嬬恋村のフランス料理」15 〜わが愛しのピエドポール〜 原田理(フランス料理シェフ)
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■「嬬恋村のフランス料理」16 〜我ら兄弟、フランス料理人〜 原田理(フランス料理シェフ)
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■「嬬恋村のフランス料理」17 〜会食の楽しみ〜 原田理(フランス料理シェフ)
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■「嬬恋村のフランス料理」18 〜 魚料理のもてなし 〜 原田理(フランス料理シェフ)
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■「嬬恋村のフランス料理」19 〜総料理長への手紙 〜 原田理(フランス料理シェフ)
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■「嬬恋村のフランス料理」20 〜五十嵐総料理長のフランス料理、そして帆船 〜 原田理(フランス料理シェフ)
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■「嬬恋村のフランス料理」21 コックコートへの思い 原田理(フランス料理シェフ)
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■「嬬恋村のフランス料理」22 原木ハモンセラーノで生ハム生活 原田理(フランス料理シェフ)
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■「嬬恋村のフランス料理」23 煮込み料理に寄り添う、冬のバターライス 原田理(フランス料理シェフ)
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