2018年03月05日15時19分掲載
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終わりなき水俣
熊本開催の「水俣病展2017」から 「食物連鎖による命の環」緒方正人さん「病」という捉え方に疑義
「水俣病展2017」が昨年十一月十六日―十二月十日、熊本市の県立美術館分館などで開かれた。ホールプログラムの一環として、「水俣から考える―『命』の意味」をテーマにしたシンポジウムがあった。パネリストの一人、緒方正人さん(漁師、本願の会)の発言をまとめた。
ご紹介いただきました緒方正人です。今日はほんとに、よくおいでいただきました。水俣病のことになりますと、およそ病、病気としての発生から認識されて捉えられてきたかと思います。水俣病が発生し、発病した時から問題になっていくわけです。そんな捉え方がほとんどだと思います。私はなんかこう、すとんと腑に落ちない。長年そう思ってまして、この十年余り特に気にかけてきたのですが、病気になる前に、食べるという食の行為があるわけですね。今日も皆さん方は朝飯とか、昼飯を食べられたでしょうが、私たちは誰しもが食事、食べる、食事をするという行為をしなければならない。人間だけではなくて、およそほとんどの生き物が食べるということによって命をつないできたわけですね。
さらに、食べるものは生き物たちである場合がほとんどですね。魚にしても肉にしても、野菜にしても、そうです。つまり命を食って私たちは生き延びてきた、生存することができた。そこに海に垂れ流された毒物が、それを変なふうにしてしまったわけです。ですから私は病から始まる水俣病という視点だけではなく、食から始まる視点、人類史におけるあるいは生命史における視点として、食から始まる、食べるという次元で、もう一度よく考え直す必要があるのではないか、そんなふうに思います。
というのは、水俣病、つまり病気から始まるというスタートラインを作ってしまっています。それは事実ではあるのですが、長年のあいだ認定基準をめぐる争いがありました。裁判や補償の問題も。現在もまだ続いているわけです。
ただ、海に垂れ流されたチッソ工場の毒物は、まずは水を汚染し、それから顕微鏡で見ないとわからないようなプランクトンがおかされて、小さな小さな小魚や魚介類が汚染される。次にそれらを食べた中くらいの魚がそれを食べ、大きな魚がそれを食べて濃縮され、蓄積されていくわけですね。それを食物連鎖と呼ぶそうなのですが、私がそのことに着目する必要があるのではないかと近年ずっと思ってきたのです。食物連鎖という命の環、命の連環といってもいいかもしれませんが、そういう世界に私たち人間がいるということ、そういう命の環の世界の中の一員としての生物種ということをつくづく思わされます。
それは私の仕事が、不知火海でいまも漁師、現役ですけれど、なぎのときには魚をとってくるわけです。魚の種類もいっぱいあります。珍しい魚も、時には外海から紛れ込んでくる熱帯魚みたいなのもあります。いろんな種類の魚が、エビや、それこそさっきの中村桂子先生の話にもありましたけど、不知火海や天草の西海岸のタコは有名です。うまい、と東京の築地あたりでも評判がいいそうですが、魚ちゅうとはですね、毒が入ってても水銀が入ってても、やっぱうまかもんやから食ったわけですね。それが、ちょっと酸味がするとか、変なにおいや味がするとかであれば、もっと用心したはずなんですよ。水銀が入っていてもうまかもんやから食ったわけですね。
私も、だいたい一人で一日一キロくらいイオ(魚)を食べます。びっくりするでしょ。朝昼晩、夜中にときどき焼酎で取り込むわけですね。好きというのを通り越して惚れてる感じなんですよね。よく言うんですけど、水銀中毒の前に、おれたちゃイオ中毒じゃなかっかい、というくらい好きなんですよ。だから、ただ好きというだけじゃ済まずに、それだけ恩義があるわけです。もちろん海のもんだけじゃなく、山のものも畑で取れた野菜も米も麦も食ってきました。いろんなそういう食べ物を食してきた。とりわけ海の魚。だいたい私の体はイオと、麦めしととカライモでできています。そしてつい先日六十四歳になりました。ほかほかの六十四歳です。
どうしてこうしたことを考えるようになったかというと、現代社会の問題が一つあります。
皆さんも毎日目にされ耳にされていると思いますが、生活のいろんな場面にロボットが登場してきています。なんじゃい、AIっちゅうのがあっとげな、今頃は。将棋でん碁でんチェスでん、人間の方が負けて、完敗しとって。ロボットと機械仕掛けの頭のよかとが出てきてですね、人間を利用化するのじゃなかろうかというところまで来とる。頭の上では、ロボットのヘリコプター……。そ、ドローン。おれは忍者が言うドロンかと思ったら違うとですね。何を言いたいかというと、人間として自信の持てない時代になって、どろころしたらあと十年でロボットがしゃべったり、ケータイを使って家のスイッチも水道もなんもかんもコントロールできるようになるだろうし、実際に使われてもいるわけですよね。それで、人間は何ばすっとて、何も考えんちゃよかっていうところまで来て機械にお任せ、人工知能にお任せというところまで来ている。これは下手すると十年二十年しないうちに来るかもしれない。職場で働いている若い人たちに、下手したらお前よりもロボットの方が役に立つって言われかねないんです。すでにどのこのしたらそうなるところまで来ている。
そうすると、人として人間として、さらには生き物として、というところがぐらついとっとじゃないかな、今の世の中。自信も気概も弱くなっとるとじゃないかな、とつくづく思います。私は多くの、とりわけ若い人に向かって言いたいんだけれど、いっぺんくらいおら人間ぞって叫んでみろって。これは私の実体験からそういうことがありました。その一言からずいぶん解放されました。苦しい時があってそうなったわけですけど。みんなに、俺も、私も人間ぞって叫んでもらいたいなって思う時が多々あります。
水俣病のことで言うと食の問題という次元に立ち返る、ということ。じゃあどこをどう捉えるか、今までは大方チッソ工場から毒を盛られていた。それで魚たちも傷ついた。数を数えれば、人間よりも多いだろうし、これは数えられる数字ではない。
ネコも漁村にはたくさんいました。海鳥も。家畜として飼っていた豚もエサとして魚をやっていたから豚も死に、所によっては鶏にもやったところは鶏も死んだ。毒物が体に入ったということを、飲まされた、食わされたというふうに私も思ってきました、長い間。チッソや国から。それも事実だと思います。ただ、違う捉え方はできんやろかな、と思っていまして、ここ数年のことですが、ひょっとしたら生き物として毒を引き取ったんじゃないだろうか、他の生き物たちもそうであったわけです。魚たちも鳥も他の生き物も。本当は言いたいこともたくさんあったろうに、恨み言もいいたかったろうに、それも言わずに、毒を引き取った。私のおやじも、実は昨日が十一月二十七日が命日です。私が六歳になった十九日後にはなくなっている。二ヶ月くらい病院に入院してて、劇症型の非常にひどい状態で亡くなって。実は私が水俣病のことを長い間考えざるを得なかったのはそのショックが大きかったからなんです。
長い間おやじの仇をとりたいと、小学校に入る前からその気持ちがありました。ですから、話をもどしますと、生き物として毒を引き取ったのではないだろうか、これは人間だけじゃなくて他の生き物も射程にいれたときにその発想になる。
それから食べ物ということ、食ということに視点を置いたときに他の生き物との普遍性が見えてくる。つまり認定制度や裁判制度や政治的状況とは別次元で、自然界の生命存在という視点に立った時に、共に苦を味わったのではないか、共に苦を味わされたといってもいいし、共なる苦を引き取った。そういう感じがします。
よくこの三十年くらいは、共生という言葉を耳にすることがあります。共に生きていく。いい言葉です。共生社会を目指すというのは、そりゃ私も賛成ですが、共苦とはほとんど聞かない。共に苦をする。ま、古い友人とは苦を共にする、同じ釜の飯を食うというニュアンスの言葉はありますが、共生があるなら共苦もあるんじゃないか、ずっとそう思ってきたものですから。毒が体に入ったことをもうひとつの別の捉え方もあるのではと思ったときに、生き物として毒を共に引き取ったんじゃないだろうか。これが自然界の生命存在たるゆえんだろう、と思う。その命の環、命の世界を離れて我々人間、人の存在基盤はあり得ない。どんなに優れたインターネット社会になろうと、その裏側ではあぶなっかしいことがいっぱい起きているわけですね。変なサイトが麻薬は売るわ、拳銃は売り買いするわ。熊本弁でいうと、とっつけもにゃー社会になったわけです。で、そのことを思いますと、多少、耳の痛い方もいるかと思いますが、スマホっていうんですか、片手でこうやってですね。肥後おれんじ鉄道に乗っていると、八代までは三割くらいなんのに、八代から熊本まで来るときにはもう七割くらいがやってる。路面電車の中でもやってて、いったいなにしよるんやろかと思います。無理やり止めるわけにもいかんですけども。
インターネットの中に引き込まれて行って、危ない事件が起きている。先日も神奈川の残虐な事件がありましたね。そういうバーチャルな世界の魔界に引き込まれていくようなことがどんどん起きているわけですから、本当の存在する基盤を見失っているのではないだろうか、そんなことを考えさせられます。私は、そういう意味で、不知火海に、山にも世話になってきた、畑でできるカライモやら白菜やらなんからかんから、とくにおふくろは百姓の娘で嫁いできましたから、野菜もスイカも味噌もつくるし、豚も養うし、何でもやってた。この身が今あるのは、養われてきたからこそなんですよね。私が小さいころ、うちで金出して買うものは、醤油と塩、砂糖と……焼酎。(会場笑)。これ言い忘れたら親父におこらるるでな。他は手作りっていう感じ。米も麦も作っていた。今の消費社会だったらもう莫大な銭がたまるような生活やった。
そういう意味で養われてきたこの身なので、不知火海に対しても山河に対しても、恩義がある。並みの恩義ではない。結局昔、やくざ映画なんか見ていたら、一宿一飯の恩義なんてことがあります。なんか落語調になってきましたが。一晩や二晩どころではなかったわけですよね、今まで。私なんかも食べてきた。一宿一飯どころではない、とんでない恩義です。これが物騒な話をするようですが昔のやくざの世界だったら、一宿一飯で旅先でお世話になったところの親分が、力を貸せ、やれ、といったらから嫌といえない立場におかれる。一宿一飯の恩義とはそんな意味合いを持っていた。そういう意味では、とんでもない恩義があるっていうことですね。そこでなぜこういうことに着目するかというと、自然界の命の世界の中に私たち人間が許されて存在してきたわけですが、存在の立ち位置が見えてくる。生き物としての存在の立ち位置を確認するといいますか、見えてくる。そのことの重要な意味合いが感じられるということなわけです。それはとりもなおさず、私たちの位相世界が読み取れるという気がします。
私たちは固有のそれぞれの、皆さん方もそれぞれ名前をお持ちだし、一人ひとりが、言ってみれば個体生命になるわけですね。それに対して海山川の地球の自然界というのは、母体になる。直接の父親、母親よりさらに大きな意味で、母体になるかと思うのですが、実は胎児性の水俣病患者の人たちがちょうど私と同年代前後の人が多いわけです。六十歳前後、もちろん五十代もおられます。ある胎児性の患者の母親が、一人二人じゃないのですが、自分がそんなに重症でなかったのはお腹の中にいる赤ん坊が毒を吸い取ってくれたからじゃないかなと思っている。私の姉たちもそう言ってました。甥御、めい御にも胎児性の患者がおりますから。
これは母親というか母体というか、命の関係でいうと、母体と個体という生命の関係だろうと思うのですが、原田正純先生は映画の中でも、この子が毒を引き取ってくれたからだと、母親たちが言ったのは事実だった、本当のことやったと、証言しておられます。そういう意味で中村先生がさきほど言われましたが、私たちは分身であると。生命世界の中の分身であるということですね。私はこういうところで言うだけでなくて、船の上で漁の合間に、ぼーっとしている時に天草の島々や水俣芦北の海岸や朝日や夕日を眺めながら、対話するような気持ちが生まれてきます。ですから、非常に愛しく思うのですね。
そこで、今日のテーマであります命ということについて言いますと、私は一人ひとりが実は個人として所有できるものではないだろうと思ってます。所有するものではなく、むしろ命の働きに本質があるような気がしています。ここで一句さきほど中村先生が紹介された詩のようにはいきませんけれど、横着にも、七、八年前に私ごときが作った戯れ歌というか句がありまして、恥ずかしながら。
「命はのちの命へ、のちのちの命へとかけられた願いの働きにいかさるる」
字余りといいますか駄作でありますが、時々こういうことを考えるものですから。そういう意味で命は所有するものではない。
それを間違うと、私の命、私の勝手でしょ、になっちゃう。変な方向にいっちゃう。違うよ、それは。勝手にできない。先ほど話したように三十八億年の生命史の末の現在なんですから。つまり、お一人お一人にすでに命の願いがかけられている、その働きがその姿ではないかなと思うわけです。これは決して水俣病のことにとどまりません。人間の普遍的な命をもっての私の気持ちなんです。
ただ誤解してほしくないのは、私は決して水俣病患者被害者を神格化しようとは思っていません。聖人化しようとしているわけでもありません。むしろ、他の命と同じように生き物として毒を引き取ったんじゃないかと思うのです。何が言いたいのかというと、問題の本質は政治的レベルを超えているということです。三十八億年前に政治なんてないわけです。そういう意味では一人ひとりの健康や命の問題を考えるのは、とても大切なことだと思います。よく木を見て森を見ないと言いますが、木は森の中に肩を寄せ合って林立しているわけです。一人ひとりの命、存在というのも、木と森の関係のように、自然界の苦しみと言いますか、それも同じように引き取ったことに現れているように、共苦、ともに苦しむという姿に表れているように思います。
一昨日、NHKのBSで久しぶりに良いドキュメンタリーが放送されてました。福島の放射線汚染、甲状腺がん、とりわけ子供たちの甲状腺がんの問題を、二時間ばかりやってましたけども、NHKもたまにはよかとばすっとばいなと思いながら見ていました。あれも食物としてキノコやらなにやら入ったこともあるでしょうが、直接呼吸をすることによって被ばく、取り込むわけです。体外の被ばくもありますでしょうし。水も空気もそうですが、体の中に入ってくる。そういうことを考えますと、実は福島の問題も水俣病も同じ社会構造のなかで起きている。同じように命が危うくなるという共通の問題を提起しているわけですね。福島には私も二度ほど行きましたが、原発の事故、あれは私にとっては事故ではなくて事件ですね。事件と事故とで刑事責任の取り扱いがぜんぜん違いますから。今もふるさとを離れて避難生活をしている人もたくさんおられる。熊本の地震で避難しておられる方、仮設住宅におられる方もたくさんおられる。そういう意味では、熊本地震の時も思いましたが、福島の時もそうでしたけれど、人間とその立ち位置を再検証しなければならない。そんなことをつくづく考えております。これで、本日のわたくしの一席を終わりたいと思います。
*この記事は、本願の会の会報「魂うつれ」第72号(2018年1月)からの転載です。
<「本願の会」とは>
「水俣病事件は近代産業文明の病みし姿の出現であり、無量の生命世界を侵略しました。その『深き人間の罪』を決して忘却してはならないと訴え『魂魄の深層に記憶し続ける』ことを誓って、平成6年(1994年)3月『本願の会』は発足しました。その活動は、生命世界の痛みを我が受難として向き合い、対話と祈りの表現として、水俣湾の埋立地に会員の手彫りによる野仏(魂石)を建立し続けていきます。現代における『人間の罪責』、その行方は制度的埋め立てによって封印されてはなりません。いまを生きる私たち人間が、罪なる存在として背負う以外に魂の甦りはないと懸命の働きかけを行っています。」
これは、水俣病情報センターのパネルに会員が書いた紹介文。
「本願」があるからといって特定の信仰を持つ宗教団体ではないのは当然のことだが、従来の裁判や政治交渉とは異なる次元で水俣病事件を核にした「命の願い」を「表現する」人々の緩やかな集まりである。運動体でない。
発足時のメンバーには、故田上義春、故杉本雄・栄子夫妻と緒方正人さんら水俣病患者有志、それに石牟礼道子さんが名を連ねている。それから20余年、現在は石牟礼さん、緒方正人、正実さんらが中心となって野仏を祀り、機関誌『魂うつれ』の発行を続けている。
祀られている野仏(魂石)は55体。『魂うつれ』は季刊で発行、1998年11月の創刊、2017年7月で70号を数えた。
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