2018年04月26日21時40分掲載
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コラム
安部公房の予感 儀式とファシズムとドストエフスキー
安部公房の小説家としてのデビュー作は「終わりし道の標に」というタイトルで、作家のすべては処女作に書かれているという言葉があるが、まさにその通りだと思わされる。この小説は安部公房が満洲で過ごした少年時代の記憶をもとに描かれた帝国が崩壊する瞬間の世界だ。であるが故にどこか「太陽の帝国」を書いたJGバラードの作品群とも通底するように思われる。つまり、それまでの帝国の秩序と価値観が崩れ、国境線が消失する瞬間なのである。その経験は恐怖でありながらも、安部少年にとっては解放の時でもあった。
安部公房は生前のインタビューで帝国が掲げた五族共和の理想を素晴らしいと誇りに思っていたが、現実には日本の軍人が列車の中で植民地の人々が座っていたのを立たせて、自分たちが座ったのを見て幻滅したと言う。理想は素晴らしかったが、実際には差別の体系に他ならなかったのだ。その後、安部公房はアイデンティティを失った人々を小説で終生描き続けた。国家や会社やコミュニティといった帰属先を失い、自分が何者なのか、その足元を脅かされた人々である。これは20世紀が難民の世紀であったこととも通底する。帝国が喪失した時、大陸で安部は自らが難民だったのだ。
そんな安部は帝国主義とファシズムへの警戒を緩めることがなかった。安部は晩年の小説「方舟さくら丸」の中で未来のファシズムとは核シェルターに誰を選別して収容するか、という形で起きるだろうと予言していた。「方舟さくら丸」は生き残る人間を選別する物語であり、最終的にその試みは頓挫してしまう。人間の選別はすでにこの国で進行していないだろうか。選ばれた人間には国の財産をただ同然で与えるが、選ばれなかった人間は核汚染で故郷を失い、難民同様になって彷徨い続ける。
安部が生きていたら、2020年の東京オリンピックを最大に警戒していただろう。というのも国家による儀式こそファシズムのシンボルに容易になり得るものだからだ。国家の行事を喜ばない人間は国民ではない、という形で容易に人間の排除と価値観の押し付けが行われる。行進や国歌斉唱、そういうものは歴史を振り返ってもファシストが最も好きなものである。だからこそ、安部公房はドストエフスキーをその反対物として掲げた。ドストエフスキーは個人の思想と表現を代表しているからだ。だから、イランでホメイニによる原理主義革命が起きた際も、もしその映像のどこかにドストエフスキーの小説のカバーがちらりとでも映ったなら、何がしかの希望があると安部はどこかで述べていた。
村上良太
■安部公房 「方舟さくら丸」
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■安部公房と2チャンネル
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