2018年05月12日20時56分掲載  無料記事
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核・原子力

【たんぽぽ舎発】原発の差止訴訟は、人格権と経済的自由の権利で争われている 山崎久隆

 原発の差止訴訟は、人格権と経済的自由の権利で争われている。経済的自由権とは、電力生産をする電力会社の権利であり、加えて電源立地地域対策交付金を受け取り、または原発関連業務による経済活動で利益を受ける地元も含む「利潤追求の権利」だ。これら「利益追及」よりも重要な権利を守れと、原発の差止訴訟が各地 
で提起されている。重要な権利とは人格権だ。 
 
 人格権とは単に「生存する権利」だけではない。日常を安寧に暮らし、様々な産業や事業に従事して生きること全般を保障する権利だ。もちろん立地地域の住民に限らない。 
 
◇原発事故は重大な人格権の侵害 未だに5万人以上が避難生活 
 
 福島第一原発事故では遠く250km離れた東京でも一時、空間放射線量が放射線管理区域の水準にまで上昇した。使用済燃料プールがメルトダウンするなどで事故がもっと拡大していたら東京圏一帯3000万人余の避難が必要になったかもしれない。 
 それは近藤駿介前原子力委員長による「不測事態シナリオの素描」(2011年3月25日付)で当時、政府に説明されていた。 
 
 これら広域で避難を強いられることもまた、人格権の侵害に当たるし、福島のように長期間避難生活を強いられることもまた、重大な人格権の侵害である。 
 この考えは福島第一原発事故前の2006年3月、志賀原発2号機差止訴訟で原告勝訴判決(金沢地裁)の論拠の一つでもあった。 
 
 福島第一原発事故後に大飯原発運転を差し止めた福井地裁の樋口英明裁判長(2015年4月19日)の判決も人格権が大きな柱の一つである。 
 
◇「経済的自由権」は「人格権」よりも劣位 
 
 大飯原発差止判決では「原子力の利用は平和目的に限られているから、法的には電力生産の一手段たる経済活動の自由(憲法22条1項)に属するものであって、憲法上は人格権の中核部分よりも劣位に置かれるべきもの」と明確に指摘している。 
 
◇原発事故の危険は、本当に除去されたのか? 
 福島第一原発事故をかえりみない電力各社と規制当局を批判した「差止訴訟の意義」大飯原発再稼働については「国民の生存を基礎とする人格権を放射性物質の危険から守るという観点からみると、本件原発に係る安全技術及び設備は、万全ではないのではないかという疑いが残るというにとどまらず、むしろ、確たる根拠のない楽観的な見通しのもとに初めて成り立ち得る脆弱なものであると認めざるを得ない。」とし、福島第一原発事故を経ても変わらない事業者と規制当局の安全に対する姿勢を批判している。 
 
 この判決は「運転再開で経済の発展に」と考えている経済界の姿勢も暗に批判している。 
 原発事故が起きれば命も含め元も子もなくなる危険は、本当に除去されたのかと問うている。 
 
(たんぽぽ舎副代表) 
(初出:2018年4月27日金曜官邸前と5月3日「憲法集会」で配布のたんぽぽ舎ビラ) 


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