2018年06月22日13時08分掲載  無料記事
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終わりなき水俣

石牟礼道子さんの新作能「沖宮」初の舞台化 十月に熊本初演、十一月に東京公演も

  石牟礼道子さんによる新作能「沖宮(おきのみや)」がこの秋、上演されることになった。初演は十月六日、熊本市の水前寺公園内の出水神社能楽殿で。さらに、同月二十日に京都(金剛能楽堂)、十一月十八日に東京(国立能楽堂)と続く。舞台化は、生前の石牟礼さんと、交流の深かった染織作家志村ふくみさん(京都市)の二人が、強く希望していた。志村さんの工房・都機(つき)工房が「願いを叶える会」をつくって取り仕切り、熊本公演に向けては地元有志による実行委が動く。 
 
 「沖宮」は、天草島原の乱で逝った天草四郎と、四郎の乳母の娘で四郎を慕っていた幼女「あや」が、天草の海辺で出会い、命を紡いでいく物語。乱のあと、村は干ばつに苦しみ、「あや」は雨乞いの人柱となって、雨の神、龍神のいる「沖宮の美(よ)かところ」に向けて船出する。長編「春の城(アニマの鳥)」その後、とも言える。 
 
 原作は、石牟礼さんと志村さんとの対談・往復書簡集「遺言」(筑摩書房、二〇一四年)の中に収められた。 
 
 志村さんは大正十三年生まれ。石牟礼さんより二歳上。染織家としては人間国宝、二〇一五年文化勲章、一六年京都名誉市民と華々しい活躍の一方で、大佛次郎賞を受賞するほどの随筆家でもある。 
 
 同書の中で、二人は作品の出来上がる前から早々と、能衣装をめぐって語り合っている。二〇一一年九月十一日付、石牟礼さんが志村さんに宛てた手紙。「今、最後の作品と思う『天草四郎』を構想中でございまして、シテの四郎の装束を『みはなだ色』で表現したいと思うに到りました」。続けて「志村さんのお仕事で能装束を仕上げたいというのは長年の秘かな念願でございました」。 
 
 これに対し、わずか四日後の返信。「思いがけない新作能の能装束のおはなし、胸がとどろく思いで拝見いたしました。『不知火』のお能を拝見した時のただならぬ感動がよみがえります。『アニマの鳥』をもう一度読みたいと思います。その天草四郎の衣裳をみはなだ色とは。(略)藍のうすい、水浅黄ともちがい、くさぎの実で染めた水いろは、得もいえぬ天上の色なのです(略)。能装束を織りたいのは私の終生の願いです。まして天草四郎という霊性の高い美しい男性の衣裳とは……」。織り色をめぐって、二人の手紙のやりとりはとどまるところを知らない。 
 
 その翌年、志村さんは熊本市に石牟礼さんを訪ねる。携えてきたのは、鮮やかな数種類の染め糸。みはなだ(水縹)色がこれ、あやに着せたいという緋色がこれ、と実物を手にして凝視して、まとう衣装の色を決定づけていった。 
 
 これらの、色をめぐる熱い交歓が、志村ふくみさんの娘の洋子さん、さらにその息子の昌司さんを突き動かし、高齢となった二人のためにもこれはなんとしても舞台化せねばという思いが高まっていった。 
 
 「石牟礼道子と志村ふくみの願いを叶える会」はそういう経緯で、石牟礼さんご存命だった昨年立ち上がり、国内三カ所での上演日程や役者などを決めた。舞台を任せるのは、シテ方流派の一つ、京都を本拠とする金剛流。天草四郎を演じるシテは、同流の若き宗家金剛龍謹(たつのり)さんが舞う。 
 
 熊本での上演をするならば熊本でも組織してお手伝いをせねばと、渡辺京二さんが音頭をとって実行委員会ができた。正式に発足したのは、石牟礼さんが亡くなった直後になった。メンバーは、石牟礼さんを知る在熊の新聞社、テレビ局関係者を中心に、石牟礼道子資料保存会や人間学研究会会員もいる。発足会には志村洋子さん、昌司さんも京都から駆けつけ、公演成功に向けての熱い思いを語り、協力を呼び掛けた。 
 
 いまは、原作を基にした詞章(能台本)作成も、神戸学院大准教授の中村健史さんの手で出来上がりつつあるという。 
 
 「叶える会」は三月から応援チケットを売り始めたが、一人三万円という高額にもかかわらず限定分はすでに完売。とはいえ、熊本公演は、多額の経費が見込まれる割には座席数が四百余と少ないために、入場料の設定などはこれから決めていく。販売開始は七月。 
 
 熊本実行委は、本公演を盛り上げるために、七月十四日に伊藤比呂美さん進行によるパネルディスカッションを計画。渡辺京二さんや熊本大准教授の跡上史郎さん、作家坂口恭平さんで石牟礼さんの文学や能を語り倒してもらう予定でいる。 
 
 図らずも石牟礼さんの「追悼」公演になった熊本公演の不安材料は、お天気である。何しろ野外の薪能なので、雨天はともかく季節柄台風が来ないことを祈るしかない。それにつけても思い出すのは、二〇〇四年の水俣護岸での「不知火」公演だ。近くまで来ていた台風が留まってくれた奇跡の一夜だった。 
 
 今度は石牟礼さんが天空から守ってくれるだろうと、淡い期待を寄せておこう。何しろ、石牟礼さんが強く望んだ志村さんの染めた衣装での能舞台なんですよ。頼みますよ石牟礼さん。 
 
*この記事は、本願の会の会報「魂うつれ」第73号(2018年5月)からの転載です 


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