2018年07月01日16時40分掲載  無料記事
http://www.nikkanberita.com/print.cgi?id=201807011640340

文化

[核を詠う](267)『福島県短歌選集平成29年度版』の原子力詠を読む(2)「福島に帰れ放射能うつるからと心なき言葉転校の子に」 山崎芳彦

 前回に続いて『福島県短歌選集平成29年度版』から原子力詠を読むのだが、福島第一原発の壊滅事故による被災によって、県内避難を含む福島に住み生活をしている人びと、県外へ避難し苦難の日々を送っている人びとの実態が、一様ではないけれども、いまも深刻であることが様々な表現によって詠われていること、福島の詠う人々が生きる真実を詠い続けていることに、作品を読む者の一人として改めて思いを深くしないではいられない。「地震(なゐ)起こる度に福島原発の異変なきやと気にかけ暮す」(黒沢聖子)、「行く末のことはわからぬころころと落葉は転ぶわが足元に」(近内静子)を読むとき、使用済みあるいは未使用の原子力燃料棒ををはじめ高レベル放射性廃棄物、たまり続ける大量の汚染水、実態をつかめないままの核燃料デブリなどを抱え込んだままの原発があり、さらに核汚染物質を詰め込んだまま年を経て劣化して積み上げられているフレコンバッグのある地で生きている人びとの日々の思いがこのように詠われているのに対して、「原発回帰」を前提にしたまま「福島復興」を言い募る、危険な動きが強まっていることには怒りを禁じ得ない。 
 
 いま、福島原発事故がもたらした災厄、核放射能汚染の危険、原発事故によって住む地を奪われ、避難生活を強いられている中で起きている被害について語ること、さまざまな方法で表現し伝えることに対して、「ファクトを知らないままの無責任な言辞」、「ステレオタイプな物の見方」、「科学的な検証を欠いた言いたい放題の反原発」、「福島の現実を知らないで原発事故の被害を拡散する無責任」、「廃炉の現場を知らないで危険性のみを誇張する言辞」…などの、まさに政府・原発回帰勢力の先導役的な原子力科学者・社会学者・技術者らの声が高まっている。そこには、原発事故被災者の苦しみの真実を受け止めようとする姿勢はみじんもない。そして、原発を持ち、再稼働を急ぎ、政府のエネルギー政策に乗って原発の新設・リプレースを企む原子力関連大企業の動きにつながっていくにちがいない。 
 
 『福島第一原発廃炉図鑑』(開沼博編 太田出版、2016年6月刊)という本がある。「福島について考えることは、世界と日本の現在について考えることだ。福島第一原発(1F)を考えることは、私たちの家族や友だちの未来を考えることだ。…だから私たちはまず調べることにした。」と帯文に唱って、あたかも18世紀半ばに始まった『百科全書』、「知のプラットホーム」に自らの編になるこの書をなぞらえるかのような、開沼氏の言辞には辟易するしかないが、この本の中で氏は「福島に残る五つの課題」なる論を立てている。その中の、課題 崙本にとっての普遍的課題」の一部を、筆者はその論に全く不同意なのだが、抄出しておきたい。 
 
 「私たちは、しばしば『3・11によって』『原発事故さえなければ』と言った枕詞とともに被災地で起こっている悲劇を認識します。しかし果たしてそうでしょうか。/現在も被災地に残る課題の多くは『日本にとって普遍的な課題』です。つまり少子高齢化・人口流出・既存産業の衰退・医療福祉システムの崩壊、コミュニティの崩壊といった課題。これらは日本全国に、かねてより存在した課題そのものです。/確かに、震災・原発事故がそれらの課題の悪化を強く促しました。しかし、それは、3・11がなくても、原発事故がなくても存在し、悪化し続けていた慢性的な課題に他なりません。その点を履き違えると課題解決に向けた現状認識を見誤り、状況をさらにあっかさせることになるでしょう。」 
 
 原発の被災地で人々が直面し苦しんでいる具体的な問題を、「3・11がなくても、原発事故がなくても」といって一般化する論理は、原発事故を起こした責任を持つべき東京電力や原発を国策として推進して来た政府を免罪することになるではないか。あったことをなかったことのように言うのが、真実から自らを引き離す大きな一歩ではないだろうか。また、次のようにも言う。 
 
 「たとえば、これまで福島県の健康の問題というと、『放射線による健康影響があること』がことさら取り上げられる傾向があります。しかし、現場の医療者の中で、明確に増加し、喫緊の課題とされているのは、被ばくによる被害とは全く関係のない健康の問題です。/南相馬市、相馬市の避難経験を持つ住民の間での糖尿病の数は、震災前に比べて1・6倍に増加したという研究結果があります。これは、生活環境が急激に変化し人間関係や日常行動が変化したことが原因とされています。糖尿病のみならず、脳卒中や高脂血症など、さまざまな生活習慣病、あるいはうつ傾向の増加も明らかです。たとえば、糖尿病になれば種々のガンになる確率は跳ね上がります。その確率を大雑把にたとえるならば、いま議論されている『放射線のせいで亡くなる人』が1人いるとしたら、『糖尿病がきっかけで亡くなる人』は100人いると言ってもいい状況です。にもかかわらず、その話をせずに『原発・放射線』の議論に固執する一部マスメディアの『ジャーナリスト魂』には呆れるばかりです。そのセンセーショナリズムが蔓延する中で、福島において小さな子をもつ母親たちのうつ傾向が増え、子どもが肥満になってきたことは明確にデータにあらわれています。」 
 
 「避難の継続の中で亡くなった人を震災関連死と言いますが、福島県の震災関連死の数は2000人を超えています。一方、福島県で地震・津波で亡くなった方は1600人ほど。つまり、長期化する避難が地震・津波、あるいは放射線以上に人の命を奪っているのが現状です。」 
 
 開沼氏の論の引用は、ここまでにするが、何を彼は言っているのだろうか。原発事故、核放射線の拡散、避難を強制されたあげく帰還を強制され、あるいは家族の離散や、一人暮らしを余儀なくされたり、地域のコミュニティを失い、生業を失い、仮設住宅での生活を強いられた人びと、避難はしないでも核放射線の脅威、除染のため庭の土を剥がされ、木を伐られ,日々の食料に気を使い、そうした中で病に苦しむ人びとがいる。いた。原発の事故が無ければありえなかった様々な苦悩をいまでも抱えている人たちに、「そこで起こっていることが『日本にとって普遍的な課題』であることを冷静に認識し、その根底にある慢性的な病を改善することに注力すべきです。」とは…。なかでも、健康の問題にかかわる氏の認識のあまりの単純化、健康や生命についての、それこそ反人間的な思考の浅薄さには呆然とする。 
 
 『福島第一原発廃炉図鑑』は400頁に及ぶ一巻であるが、筆者にとっては何かを与えてくれる書ではなかった、というしかない。 
 
 福島の歌人だけではなく、原発回帰の原発列島化を拒否する多くの歌人が、福島を、自らが生き暮している地の原子力依存社会からの脱却のための歌を詠い続けるだろう。『福島県短歌選集平成29年度版』の原子力詠を読もう。 
 
原発や地震に係りなく生きる初麦蝉の声にやすらふ 
                        (栗村住江) 
 
小学校入学記念に孫のため植ゑし白梅セシウム浴びき 
 
セシウムに汚れて剪りし梅が枝の太き切り口を孫は見つめぬ 
 
吾が庭の表土を削りし除染土の埋まる証(あか)し黄色のチップ 
 
汚染土の運ばれ行くはいつならむ埋まりしまま三年の過ぐ 
 
地震(なゐ)起こる度に福島原発の異変なきやと気にかけ暮す 
                     (5首 黒澤聖子) 
 
青白き炎がつくる百万V(ブォルト)都へ送る鉄塔群ら立つ 
                        (桑原和家) 
 
福島の米の全量全袋検査いつまで強ふるつもりか 
 
住む人の絶えて久しき空地にはアワダチソウが静かに揺るる 
 
ひやひやとやませが吹きて福島の稲穂の色が青ざめてをり 
 
一面に黄金の稲穂波打てどアワダチソウの揺るる田のあり 
                     (4首 児玉正敏) 
 
大地震を逃げ惑いたる我が腕に時を刻める時計のありき 
 
間遠なる余震に心緩みぬと思う日のあり時に戒む 
                     (2首 小林綾子) 
 
福島の土や水をいふあたたかきこゑよことばよ今どこにある 
 
復興を競ひ合ふ猛き言葉より逃れ来て聞く冬鳥のこゑ 
 
山あおいか水きよいかとふるさとを疑ふこころなほ春を待つ 
 
震災復興還元セールとは言へど賑はふでもなし町の電器屋 
 
除染土のその後を言ひつつくさめしてひきつるやうに誰か笑ひぬ 
                     (5首 小林真代) 
 
行く末のことはわからぬころころと落葉はころぶわが足元に 
 
外にあそぶ子等の声など聞こえこぬ若者少なき里になりたり 
                     (2首 近内静子) 
 
福島の被曝者われら声挙げむラッパ水仙のラッパを借りて 
 
『警鐘』を読みたる人ら想ふべし福島の苦と被曝の惨を 
                     (2首 紺野 敬) 
 
山火事は帰還困難区域といふ消火の人ら防護服着て 
                       (酒井タマ子) 
 
除染後のさ庭の隅にきらめくはわずかに残るたがらしの花 
 
沈丁花の根もとに一輪福寿草除染を逃れさびしげに咲く 
 
除染土はわが家の車庫の一隅に積まれたるまま六年となる 
 
避難せる地にていじめに遭いしとう世間擦れせぬ少年あわれ 
 
避難先にて生徒自殺のニュースあり原発事故の重さ噛みしむ 
 
菌呼ばわりされて自殺をしたる子はふくしまからの避難の生徒 
 
避難解除の知らせ受くれど還らぬとう人の出で来ぬ六年経ちて 
 
大地震の記憶のうすれ来しわれにいまし五弱の地震が襲う 
 
原子炉の廃炉となるは何時の日ぞ日本よやめて原発利用 
                     (9首 佐川 光) 
 
ひろしまの式典伝ふる中継に絶ゆることなき蝉の声ふり 
                      (佐々木喜代子) 
 
東日本震災記念日六周年友と慰霊の詩吟を捧ぐ 
 
原発の事故発生後六年目廃炉作業は遅々と進まず 
                    (2首 佐藤トミヱ) 
 
蝶あまた生れし畑に舞う季節飯舘村民いまだ帰れず 
                        (佐藤紀雄) 
 
戦争の悲惨さ無言に伝へゐる原爆ドームを前に黙せり 
                        (佐藤道子) 
 
除染して入れ替はりたる庭土の庭に名も知らぬ草の蔓延る 
                        (佐藤峰子) 
 
除染にて坊主にされし楡けやき今はたわわに木陰作るも 
                        (三瓶弘次) 
 
雨漏りし朽ちゆくばかりの富岡の家を壊すと決めて帰りぬ 
 
富岡に住みゐしことは夢なりと心の奥にしまひ込みたり 
 
いわき市を終の住処と決めれども福島市の地を離れがたしよ 
 
人生に失敗はなしと友は言ふこの挫折感いつまで続く 
 
寂しきは一人の夜の雨の音身を震はせて夜明けを待ちぬ 
                    (5首 三瓶利枝子) 
 
天地鳴動大揺れの家よりバッグひとつ持ちたるままに庭にとびだす 
 
娘の家も間もなく原発二十キロ圏内避難の放送に血の気引きたり 
 
未曽有なる地震原発崩壊と見えざる放射能にただに怯ゆ 
 
原発を逃れて鎌倉のわが姉のマンションに富士に安らぐ 
 
姉の家よりまた埼玉の家への電車の音のさびしく 
 
被災せるわれを迎ふると妹は部屋に小箪笥揃へ待ちをり 
 
福島に帰れ放射能うつるからと心なき言葉転校の子に 
 
震災に心と体の不一致を知る人もなし知られたくもなし 
 
震災原発時の間忘れて娘と巡る会津と吾妻スカイラインを 
 
妹の狭庭に咲けるほたる袋被災のわが家思ひ出すなり 
                     (10首 白石琴子) 
 
公園の芝生の中の線量計は年経るごとに数値の下がる 
                        (新明悦子) 
 
友と巡るふるさとの町静かなり未だ戻りし人の少なくて 
 
再開せし常磐線に沿ひし道もとほりて待つ電車過ぐるを 
 
長きとも短かりとも思ふ六年人々の暮し大きく変はる 
                     (3首 杉本慧美子) 
 
避難地に妻の購い料理する竹の子もなぜか一味違う 
 
人生の残り時間もあと僅か避難六年の月日を返せ 
 
農道の小さき売場の甘柿に秋の夕べの故郷偲ぶ 
 
売場いっぱい山と積まれし〆飾りああ避難民にはなしめでたい正月 
                     (4首 杉本征男) 
 
 次回も『福島県短歌選集』の原子力詠を読む。     (つづく) 


Copyright (C) Berita unless otherwise noted.
  • 日刊ベリタに掲載された記事を転載される場合は、有料・無料を問わず、編集部にご連絡ください。ただし、見出しとリード文につきましてはその限りでありません。
  • 印刷媒体向けの記事配信も行っておりますので、記事を利用したい場合は事務局までご連絡下さい。