2018年07月09日16時26分掲載
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農と食
<種とナショナリズム>(上)問題は種子法だけなのか 大野和興
種子法廃止後の種をめぐる言説になんとなく違和感をもっている。その「なんとなく」をはっきりさせたいと思いついた。『万引き家族』の是枝監督がいった「国益とか国家とかが国全体を覆い、教育や放送という公的なものもナショナルなものに回収される」という感じと似ている。
廃案にされた種子法の対象はコメ、ムギ、ダイズだが、もっぱらコメであることはまちがいない。同法の復活を叫ぶ運動には大筋賛成なのだが、これで日本の食料主権が奪われ、明日にも日本の農業がえらいことになる、といった議論に建て方にへきへきするところがある。
種子法があってもこの列島の農業は壊死寸前であった。問題を単純化しなければ運動にならないという運動を作る側の意識が表に出すぎている。農業はそんなに単純なものではないし、それに種子法がそんなにいいことづくめの法律だったわけではない。
種子法はこの列島の稲の多様性を押しつぶした。富山県の稲作農家生まれの研究者刑部陽宅はわが家の稲作史を書いた『稲作の戦後史』で、昭和30年に12品種作付けていたのが平成3年には2品種、同10年には1品種になったと記している。
今、列島の品種構成はコシヒカリとコシヒカリ系で7割を超えるのではないか。列島の稲作は種子法体制下で著しく遺伝的多様性を失い、劣弱化している。その原因を追っていくと、コメの市場性と機能性追求に傾斜したここ3,40年来のコメ育種政策、いわゆる国策にゆきつく。
話は続く。戦後を戦前との連続性でとらえることの重要性が強まっている。近年の国家主義の強まりという状況をもとで、この視点はより重要になる。農業政策においては、そこを見ないと本質がみえない場合が多い。種子法は戦後の法律だが、昭和期戦前の国家体制のもとでのコメ育種の思想が色濃く流れ込んでいることは否定できない。
さらにその先にあるのは戦前昭和期のコメ育種の国家による一元管理である。それがもっとも効果を上げたのが植民地朝鮮に対する侵略者帝国日本の品種と農業技術をセットにしての強制であった。国策としてのコメ政策を育種という形で具体化し百姓に押し付けたのが種子法だったということもできる。
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