2018年07月16日14時50分掲載  無料記事
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アフリカ

【西サハラ最新情報】  特別試写「レファレンダムReferendum人民投票」  平田伊都子

 特別試写にご招待します。 <Referendum>を探索すると、<人民投票>と訳しています。 状況によって、<国民投票>とか<住民投票>とか訳されることもあります。 読み方は、<レファレンダム>とか、<リフェレンダム>とか、、いずれにしろ、政治に関する重要事項を議会や代議員の決定に任せるのではなく、直接、人民または住民または国民が決める<直接民主制>の投票を指します。 これまでも、国連指導の「レファレンダムReferendum人民投票」の下で、多くの被占領民が民族自決権と独立を勝ち取ってきました。 その国連が西サハラ人民に対して、1991年に約束したのが、<国連西サハラ人民投票>です。 
 
 「レファレンダムReferendum人民投票」は、実際にあった人民投票に向けての作業を記録した約13分の映像です。 ご高評をお待ちしております。 
 
 ナレーションから抜粋して、簡単に「レファレンダムReferendum人民投票」を紹介いたします。 
「アフリカ最後の植民地・西サハラはアフリカの西北端にあり、大部分が砂漠だ。 
 もともと西サハラには、ラクダや羊を飼う遊牧民が多く、自由に西サハラ全土を移動し、幸せに暮らしていた。しかし現在、遊牧民の数は激減している。 
 なぜなら、1975年にモロッコ軍が西サハラに軍事侵攻し、遊牧民も定住民も、その大部分が祖国西サハラから追い出されたからだ。それ以降、アルジェリア・ティンドゥフでの難民生活を余儀なくさせられている。 
 祖国を取り戻そうと難民キャンプを拠点にした西サハラ難民軍ポリサリオ戦線は、モロッコ正規軍と戦闘を続けた。 
 1991年、国連は砂漠の消耗戦争を終結させるため、人民投票で西サハラ人民自らが帰属か独立かを決める、<国連西サハラ人民投票>を提案し、モロッコと西サハラの両戦争当事者は受け入れた。 
 モロッコの拒否で延びていた国連西サハラ人民投票が、1998年末に行われることになり、同年の2月、ミヌルソMINURSO国連西サハラ人民投票監視団や西サハラ人認定作業場を取材した。 
 人民投票に反対するモロッコは、人民投票など幻想に過ぎないと酷評する。モロッコは、遊牧民はどこにいるのか分からないから、名簿作りも不可能だと言う。 
 しかし、こうして遊牧民も難民もみんな登録した、1998年の記録があるのだ 
。 
 それから、20年、今も人民投票は行われていない。 
遊牧民や難民相手の人民投票は非現実的だと、未だにモロッコは決めつけている。 
 しかし、西サハラ人民投票の作業が20年前に行われたのは、歴史的事実だ。 
 
西サハラ人民投票は、やれば出来る実現可能な国連和平提案なのです。 
 
私たち日本人も熱さでヒーヒー言ってますが、西サハラ難民は55度を超える酷暑のサハラ砂漠で、43年以上も耐え忍び、国連が約束した<レファレンダムReferendum人民投票>を待ち続けています。 
 
作品が完成しましたら、第一弾<ラストコロニー西サハラ>のように、Youtube で公開します。 まずは、ギガファイル便でお送りする<レファレンダムReferendum人民投票>をダウンロードしてみてください。 
 https://4.gigafile.nu/0723-mc1effbf084385567270955267ba43c7d 
 
ユーチューブの「ラストコロニー西サハラ」をご参照ください。下記はそのアドレスです。 
Youtube URL:https://youtu.be/yeZvmTh0kGo (日本語版) 
 
 
WSJPO 西サハラ政府・日本代表事務所 所長:川名敏之     2018年7月16日 
SJJA(サハラ・ジャパン・ジャーナリスト・アソシエーション)代表:平田伊都子 


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