2018年08月21日06時57分掲載
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コラム
死語「国体」と「国体の精華」 熊王信之:くまおうのぶゆき
死語「国体」について、その復活の是非に関わってちきゅう座で接した限りの論説では肯否が分かれるようです。
私自身は、「持て囃される同工異曲」(2018年 6月 14日)において少しばかり言及したのですが、もう少し、その本質に関わって指摘するのが良いと思われました。
最初に書いてしまいます。 戦前の天皇制ファシズム体制下における「国体」の本質は、国家統治の主権の所在が天皇にある、と言う大日本帝国憲法に定められた明文に淵源する処であり、同憲法制定に依る国家の礎である、と言う当然の理です。
この理は、歴史上における天皇制が時の統治体制において如何に変遷をして来たのか、との実際の歴史とは相違した大日本帝国憲法制定に基づいた立法上の制度であり、一種の神話創造とも言って過言では無いものです。 似たような事例は、何処の国にもあり、嘗て存在した「社会主義」諸国では夢のような儚い体制の美化が見られた処でした。
戦前には、大日本帝国憲法の解釈により、いくらか民本主義的改良を試みた事例もあり、美濃部達吉の「天皇機関説」もその理論的礎でしたが、そうした法理論に基づく改良主義が通じる程に、天皇制ファシズムは甘くは無かったのでした。
この間の事情については、関連法学文献を収集してすこしばかり勉強をしたことがありますが、関連文献を全て生前整理で処分しましたので、今や参照が叶わず只記憶のみで記述しています。 その記憶では、皮肉にも、戦前天皇制ファシズムの宣伝文書である「国体の本義」が正確にも指摘した処です。
「大日本帝国は、万世一系の天皇皇祖の神勅を奉じて永遠にこれを統治し給ふ。これ、我が万古不易の国体である。」
(国体の本義 (昭和十二年五月二十九日印刷 昭和十二年五月三十一日発行 昭和十六年五月五日六刷発行?六十三万部?文 部 省 編 纂 内閣印刷局印刷発行)
呼応する大日本帝国憲法の条文は、以下のとおり。
「第1条大日本帝国ハ万世一系ノ天皇之ヲ統治ス」
「国体」の定義は、以上のとおりであり、それ以上も以下もありません。 それに加えるのは、「国体の本義」に依れば、以下のとおり。
「而してこの大義に基づき、一大家族国家として億兆一心聖旨を奉体して、克く忠孝の美徳を発揮する。これ、我が国体の精華とするところである。」
さて、それでは、アベ自民党の憲法改正案では、その辺りは如何になっているのでしょうか。
何と、自由民主党の憲法改正案では、前文には、明確に「国民主権の下」と書かれています。
あれれ、アベ氏は、憲法改正限界論に立たれているのでしょうか。 それとも、戦前回帰は未だ尚早と思われてのことでしょうか。
熊王信之:くまおうのぶゆき
ちきゅう座から転載
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