2018年08月26日12時05分掲載
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核・原子力
『森瀧市郎 核絶対否定への歩み』を読む 核兵器も核発電も許さない時代へ「人類と核は共存できない」の思想(1) 山崎芳彦
筆者は8月6日から原水爆禁止運動・核絶対否定の思想と運動の先頭に立ってその生涯を貫いた(1994年1月、92歳で逝去)哲学者の森瀧市郎氏が遺した「核と人類は共存できない」、「核は軍事利用であれ平和利用であれ地球上の人間の生存を否定する」ことを基軸とする言説を一巻にまとめた『森瀧市郎 核絶対否定への歩み』(広島原水禁結成40年記念事業企画委員会、1994年3月、渓水社刊)を読んでいる。筆者は森瀧さんの名や原水爆禁止運動における足跡の一端は知りながら、その著書などを読んでいなかった。大江健三郎著『ヒロシマ・ノート』の中で原水禁運動にとってまことに取り返しのつかない混迷の深刻化の沸点ともいえる第9回原水爆禁止大会における広島原水協代表理事としての森瀧さんにかかわる苦渋の姿についての記述に強い印象を持ったが、しかしその時の筆者の体は広島にあっても、思えば未熟な「党派の奴隷」ともいうべき原水禁大会参加者として、森瀧さんとは遠い位置にあった。そして、その後の森瀧さんの原水禁における真摯な運動や果した役割を意識的に考えようともしなかった。しかし、その経緯について記そうとは、いま思っていない。
『核絶対否定への歩み』を読みながら、森瀧さんの、広島の被爆者としての実体験を踏まえた、まことに大切な核についての深い学び、自らのものにされた知識、思想、そして被爆者であった森瀧さんのたゆむことのない核廃絶のための活動、豊かな人間性が躍動した世界的な反核の人々との交流…などにうたれた。同書の中に記されている「生存のために」の項のなかの被爆30周年(1975年)の原水禁大会における基調演説の後半における「核絶対否定」の宣言の部分を画期的な、いまでも生きているものだと読んだ。43年前のこの基調演説で、それまで数年にわたって「原子力平和利用」がもたらす反人間的影響について研究し、世界各地を訪問し学者、さらにさまざまな形での核による被害者との交流などによってより明確になった核の「軍事利用、平和の名の下での利用」の絶対的否定の確信を原水禁運動において打ち出したこの演説の内容は、非核文明の21世紀を展望する画期的なものだと、筆者は考える。いま「核と人類は共存できない」という言葉が使われることは少なくない。しかし、社会のなかで真に認識され通用しているとまでは言えないだろう。改めて、森瀧さんの言説を噛みしめて、「核絶対否定」を言いたい。同書全体に一貫する「核と人類は共存できない」、「核を絶対に否定しなければ未来はない」真実を読んでよかったと思っている。
森瀧さんの「核絶対否定」の宣言を引用させていただく。
「私たちの運動は、広島・長崎の体験から『核兵器絶対否定』の運動として起こりました。従って初期の段階では、私たちも核エネルギーの平和利用のバラ色の未来を夢みました。しかし今日、世界でほとんど共通に起こってきました認識は、平和利用という名の核エネルギーが決してバラ色の未来を約束するものではなくて、軍事利用と同様に人類の未来を失わせるものではないかということであります。つまり、平和利用という名の原子力発電から生ずるプルトニウムは、いうまでもなく長崎型原爆の材料でありますから、軍事利用に転用される可能性があることは明白であります。またプルトニウムは、半減期二万四千年というもっとも毒性の強い放射性物質であり・・・全く人工的に生産されるものであります。ですから原子力発電がたとえ安全であるとしても、そこでは多量のプルトニウムと放射性廃棄物が生産されるのであります。しかもその放射性廃棄物の究極的処理の道はまだ解決されておらず、解決の見込みもないと言われています。」
「こんな状態で、人類のエネルギー源は、核分裂エネルギーに求めるほかないといって原子力発電所をこぞってつくり、そこからプルトニウムと放射性廃棄物を莫大に出し続けるということになれば、そのゆきつくところは・・・この地球全体がプルトニウムや放射性廃棄物の故に人類の生存をあやうくされるのであります。私たちは今日まで核の軍事利用を絶対に否定し続けて来ましたが、いまや核の平和利用と呼ばれる核分裂エネルギーをも否定しなけばならぬ時代に突入したのであります。」
「しょせん、核は軍事利用であれ平和利用であれ、地球上の人間の生存を否定するものである、と断ぜざるをえないのであります。結局、核と人類は共存できないのであります。共存できないということは、人類が核を否定するか、核が人類を否定するかよりほかないのであります。我々は、あくまで核を否定して生き延びなければなりません。核兵器を絶対否定してきた私たちは、平和利用をも否定せざるをえない核時代に突入しているのであります。『核兵器絶対否定』を叫んできた私たちは、いまやきっぱりと『核絶対否定』の立場に立たざるをえないのであります。『平和利用』という言葉にまどわされて『核絶対否定』を躊躇っていたら、やがて核に否定されるでありましょう。」
「先日の国際会議で私があえて提起したテーゼは、『核分裂エネルギーを利用する限り、人類は未来を失うであろう』ということでありました。くりかえして申します。『核分裂エネルギーを利用する限り、人類は未来を失うであろう』と。人類は未来を失ってはなりません。未来の偉大な可能性を確保しなければなりません。私は被爆二十周年のこの大会で、全世界に訴えます。人類は生きねばなりません。そのためには『核絶対否定』の道しか残されていないのであります。」
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以上の記述は、筆者の連載「核を詠う」(269)からの転載なのだが、それを読んだ知人から、七ツ森書館刊行の『核と人類は共存できない 核絶対否定への歩み』(2015年8月6日発行)があることを教えられ、入手した。その内容は筆者が読んだ渓水社刊(発行者・原水爆禁止広島県協議会)を再編集したものだから構成の若干の違いや、序言、解説文が加えられている以外は、当然のことだが基本的に内容は同じである。筆者は、七ツ森書店版に掲載されている森瀧さんの序言、大江健三郎氏の『ヒロシマ・ノート』にも関わる文章、そして父・森瀧市郎さんとともに、そしてその志を継いで「核絶対否定」への道を歩いている森瀧春子さん(核兵器廃絶をめざすヒロシマの会共同代表、世界核被害者フォーラム事務局長)の「水棹飲む背のごとく―解説に替えて」を読むことができたことをありがたいことだと、教えてくれた知人に感謝の一筆を書いた。
森瀧春子さんは「解説に替えて」の中で、「二〇一一年三月十一日の東北大震災・福島第一原発事故が突きつけた『核の平和利用』神話の崩壊により、原子力がどんな形で利用されても人類の生存を脅かすという冷厳な事実がより明らかになり、四十年近く前から森瀧が訴えて来た『核と人類は共存できない』という核絶対否定の意味が社会に受け止められるようになった。書籍『核絶対否定への歩み』は、反核運動を牽引してきた森瀧が、一首の遺言として死の直前に本の形で遺そうとし死後二ヶ月後に出版されたものである。福島の原発事故後、人々が必要と感じ求めた時はすでに絶版になっており手に取ることが出来ないとの声が多々耳に入ってきて、再出帆しなければならないと思ったが、諸般の事情でこんなに遅れてしまった。」と記している。
森瀧春子さんの「解説に替えて」には、森瀧市郎さんが詠った短歌作品を入れて、森瀧市郎さんの「核絶対否定への歩み」をふり返っていて、「核を詠う」短歌作品を読んでいる筆者としては、このコラムの次回で、春子さんの「水棹のむ背の如く―解説に替えて」を引用させていただきたいと思っている。
この七ツ森書館刊の「核と人類は共存できない 核絶対否定への道』に大江健三郎氏の「ここに哲学者がいる」と題する文章が掲載されている。その一部を抽かせていただく。
「私が森瀧市郎先生にお会いするたびに感じたのは、ここに哲学者がいる、という深い思いであった。私は自分の著書『ヒロシマ・ノート』のプロローグに続く第一の章に、森瀧先生にお会いしてというより、集会の壇上で見たこの人の肖像をスケッチしている。夕ぐれの気配のきらかな原爆ドームをみはるかす広場、大会の参加者たちの前で、広島原水協が日本原水協から大会運営をまかされたと緊張して報告される森瀧先生。その蒼白な顔に胸をつかれたこと。翌日の夜の大会での森瀧先生の演説について記録していることを書きうつしたい。」
「《森瀧代表理事の基調報告、それは死者たちと被爆者たちへの言葉からはじまる。かれは広島に固執している。広島の被爆者の心の内部の道がヒューマニズム一般の原水爆禁止の道とつらなる、その人間的なインターチェンジに老哲学者の論理はしっかり立っている。かれが報告しているあいだ、背後の慰霊碑のまえには、この大会にまったく無関係な動きがある。死者の家族たちが花をささげ香をたいているのだ。かれらはみな、公園をうずめる群衆が眼にもうつらなければ、その拍手と喚声が耳にとどきもしないというようだ。しかし、かれら広島の死者(の家族…岩波新書『ヒロシマ・ノート』には、「の家族」が入っている。筆者)たちの存在は、僕にとって、ギリシア悲劇のコーラス隊のように、談の前景でおこなわれる劇の栄光と悲劇とをもっとも鋭くうかびあがらせる役割をはたすように思われる。森瀧代表理事はそのコーラス隊に背後からしっかり支えられて二万名にたちむかっている。》」
「これは一九六三年八月のことだ。そしてさらに三十年、森瀧先生はこのとおりの人であったのだ。とくに核実験に抗議する、慰霊塔のまえでの座り込みをはじめられてから、とくにそうであった。テレヴィの報道で、その姿に接するたび、私は胸を深くうたれては、ここに哲学者がいる、と考えたのだった。ここに人間がいる、Ecce homoという言葉とほぼ同じ意味で。」
「広島、長崎の経験、さらにそれ以後の五十年の痛苦にみちた被爆者の経験を生かすのでなければ、日本人はまったく経験に学ぶことのない人間だ、といわれていたし方はないと思う。そしてこの五十年の経験は、それを哲学とする、あるいは人間の思想とすることで、初めて人類共通の資産となると思う。」
「それを考える時、核実験に抗議する人々の輪のなかに、いつも哲学者森瀧市郎先生がいられたことはまことに大きい意味があるだろう。私はあらかじめその意味を受けとめる心において、あのようにいつも、ここに哲学者がいる、と感じとってきたのだ。/これからも森瀧先生の著作を通じて、ここに哲学者がいる、と思いつづけるだろう。そして自分がひとり二十世紀の核状況について心重く考える時にも、その脇に確かな幻のようにして・・・。」(『人類は生きねばならぬ』一九九五年刊より)
大江氏の「ここに哲学者がいる」の全文を記してしまった。森瀧さんの「核絶対否定」の思想と運動について読み、また大江氏の『ヒロシマ・ノート』を読み返しながら、あの第九回原水禁大会の悲惨ともあるいは不条理ともいえる国際的な核実験競争に関しての態度、「いかなる国の核実験にも反対」かどうかなどをめぐっての「分裂」への混迷、長期にわたる原水協・原水禁の組織的不協和は、その後の歴史の推移を思えば核軍事力の拡大・強化を目指す激烈な核実験競争とそれがもたらした世界の現実が、すでに誤りがどこにあったのかは明らかではないかと筆者は考えている。また、原子力の「平和的利用」の幻想が今や核放射線がもたらす人類生存への危険が明らかにされている今、核発電を否定する「脱原発」「原発ゼロ」社会の実現についても、原発推進の政府を退場させる共同の力を、決して容易ではないにしても、多くの国民的な運動を構築していくことについての展望は拓けるとも考える。
「核絶対否定」への道筋を拓き、さらに前進することへの願いは、非力非才の筆者の中にもある。森瀧市郎さんの『核絶対否定への歩み』は今こそ読み、学ぶ価値のある貴重な一冊であると思う。 (つづく)
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