2018年09月12日11時48分掲載  無料記事
http://www.nikkanberita.com/print.cgi?id=201809121148553

コラム

アメリカのジャーナリズムはニュージャーナリズムの旗手、トム・ウルフの死をどう報じたか  村上良太

  今年5月に亡くなったアメリカの作家トム・ウルフはニュージャーナリズムの旗手として1970年代から80年代にかけて一世を風靡し、日本のノンフィクション界にも大きな影響を与えたと思われる。日本でもっとも知られたのは宇宙飛行士を扱った「ザ・ライト・スタッフ」だろうが、他にも「クール・クール LSD交感テスト」や「現代美術コテンパン」、「バウハウスからマイホームまで」など、たくさんのノンフィクションの話題作を書いており、さらに晩年は「虚栄のかがり火」などフィクションにも挑戦している。 
 
  しかしながら、筆者は1980年代から90年代にかけて「現代美術コテンパン」とか、「そしてみんな軽くなった トム・ウルフの1970年代革命講座」などを読んだ記憶があるが、実を言えば今一つ面白いと感じなかった。どこか気取った印象が前に出すぎている感じがして好感が持てなかったのである。とはいえ、あれから四半世紀がたち、トム・ウルフが亡くなった今、宝の持ち腐れになってしまったのではなかろうか、という気がする。つまり、ウルフとの出会い方があまりハッピーではなかったかもしれないと思えるのだ。本当は筆者が知らない大きな可能性を拓いた作家だったのかもしれない・・・ 
 
  そんな風に思う今、ウルフが亡くなった5月にアメリカの公共放送PBSで追悼番組が作られていたのを知った。ベテランの女性キャスター、ジュディ・ウッドラフが司会をする番組で、ウルフの過去のインタビューが冒頭で紹介される。ウルフが晩年に小説に挑戦した時のことで、インタビュアーはなぜウルフが小説の執筆に”reporting”(レポート:報告)のスタイルを持ち込むのか?と尋ねている。「虚栄のかがり火」を筆者は読んでいないので、レポーティングの文体をどう小説に適用しているのか具体的にはわからないが、その意味するところはわかる。この質問に対してウルフはこんな風に答えているのだ。 
 
  「レポートのスタイルは今日、他のジャンル以上に小説において重要になっています。というのは小説は物語を語ることにおいては小説にしかできないことを100%やらないとテレビや映画に太刀打ちできなくなっているのです。それは今日のアメリカに存在する物凄い世界に読者を引き込むということなんです」 
 
  ウルフはアメージング(Amazing)という言葉を使っていたが、現代アメリカ社会の凄みを描くためには報道の文体をフィクションにも導入する必要があることを感じたというのだ。もちろん、小説家はどんなスタイルで書こうと自由だが、ウルフにとっては現代社会のアメージングな魅力(腐敗や悪徳も含めて)を描くことが大切だったのではないだろうか。これについて、そのあと、ウルフが亡くなった同日にインタビューを受けたノンフィクション作家のスーザン・オーリアン(Susan Orlean)が「ウルフにとって小説はノンフィクションの延長線上に位置していたと思う」と話している。ということはノンフィクションで描き切れない現実を〜おそらくは様々な制約とかプライヴァシー訴訟のリスクなどで〜小説の形で描こうとした、ということかもしれない。 
 
  ウルフのニュージャーナリズムは報道というだけに収まらず、そこに通常のレポートでは描かれることのない濃密な人間の生や風俗が描かれていたらしく、そこにおいて文学とも言えるものだったと言われている。最初は報道から小説に向かったウルフだが、晩年は小説の中に報道のスタイルを導入しようとしたということのようだ。話題作「蘭に魅せられた男」の著者、スーザン・オーリアンはニューヨーカー誌のスタッフライターでもあり、彼女をその道に導いたものこそ、10代の時に読んだウルフの「クール・クール LSD交感テスト」だったそうだ。今まで読んだことのない独特の語りがあった。この本に魅せられた彼女は数年間、常にこの本を持ち歩いて読み続けたという。そしてついにはノンフィクション作家になる決意をしたというのだ。おそらく彼女のようにウルフの作品を読んでノンフィクション作家になりたいと思った人は少なくないのだろう。それくらい、影響力の大きな偉大な作家だったのかもしれない。 
 
  オーリアンはウルフが大学時代に非常にまじめに文学の勉強をしたことが、のちのニュージャーナリズムを開拓する原点だったと語っている。「まじめな」(serious )という言葉こそ、筆者が触れた80年代当時のウルフにまつわるイメージに欠落していたものだった。あるいは当時の筆者が読み取れなかっただけだったのかもしれない。 
 ウルフの経歴を調べてみると、ウルフは大学を卒業してすぐにワシントンポスト紙(スピルバーグの映画「ペンタゴンペーパーズ」の舞台である)の記者に採用され、そこで報道に文学的な文体を持ち込む努力をしたらしい。文学をまじめに勉強した若者が報道の世界に入ったのち、そこに報道を超えた読む醍醐味を開拓しようとしたのだろう。オーリアンはウルフの本質は人類学者だったのではないかと言う。ウルフが人間集団の間で繰り広げられるパワーゲームを冷徹に描こうとしていたからだという。 
 
  今日、ジャーナリズムはおそらく過去30年で最も低調な時代を迎えているのではなかろうか。といっても優れた書き手がいないわけでもないし、優れた記事やノンフィクションは今日も書かれている。しかし、何か全体として低調になっているように思う。そもそも普通の人がノンフィクション作品に触れる場が非常に限られてきているように思われる。書店も減っているし、ノンフィクションを扱う媒体も少なくなっている。多くの人が貧しくなり、1000円以上の本を買う金銭的余裕も、他人の物語を読む時間的ゆとりもなくなってきている。出版業界の構造不況は個々の書き手の資質とか作品のクオリティ以上の大きな社会的な問題から来ているように思われる。それでもウルフは何か、沈鬱を吹き飛ばすヒントとか刺激を与えてくれるのではないか、という気がする。 
 
※PBSのトム・ウルフの追悼番組 
https://www.youtube.com/watch?v=3_orA6FKigM 
 
村上良太 
 
 
 
■フランスの現地ルポ 「立ち上がる夜 <フランス左翼>探検記」(社会評論社)  村上良太 
http://www.nikkanberita.com/read.cgi?id=201807202152055 
 
■サルトルらが創刊したフランスの評論誌Les Temps Modernesに日本の政治について書きました その2 村上良太 
http://www.nikkanberita.com/read.cgi?id=201808221317303 


Copyright (C) Berita unless otherwise noted.
  • 日刊ベリタに掲載された記事を転載される場合は、有料・無料を問わず、編集部にご連絡ください。ただし、見出しとリード文につきましてはその限りでありません。
  • 印刷媒体向けの記事配信も行っておりますので、記事を利用したい場合は事務局までご連絡下さい。