2018年09月23日22時32分掲載  無料記事
http://www.nikkanberita.com/print.cgi?id=201809232232440

反戦・平和

専守防衛は不戦の砦とならない  醍醐聰

 はじめに、この記事と次の記事で私が言おうとしていることを要約しておく。専守防衛はなぜ不戦の砦にならないと考えるのか? 専守防衛に代わって何を不戦の砦にするべきなのかについての私の考えの骨子である。 
 
 (1)「専守防衛」はその言葉のイメージに反して、自衛を超えた武力装備、武力行使の歯止めにならない。それどころか、自衛のための武力装備のはてしない競争を通じて、軍事的緊張を高める源になる危うさを孕んでいる。 
 (2)「自衛」と「他衛」、「専守」と「先制」の区別は、現実の軍事では、自明でない。「自衛」は「武力による」自衛を想定する限りは、先制攻撃の必要性を排除できない危うさを伴う。 
 (3)「専守防衛」も武力による自衛を意味する点では、昨今、「信頼」を礎にして日本周辺で進展する対話による和平(武力に頼らない和平)の流れに逆行する。 
 
 
◆保革を超えて共有される「専守防衛」への疑問 
 
 自衛隊の存在を合憲とする趣旨の条文を憲法9条に追加するかどうかが目下の改憲問題の大きな争点になっている。 
 今の9条の条項をそのままにして、こうした趣旨の条項を追加することに整合性があるのか? 今、そうした条項を追加するのはどういう意図からなのか? 自衛隊の合憲・違憲をめぐる今後の議論を縛ることにならないか?など、疑問だらけである。 
 
 しかし、その一方で、保守政党もリベラル立憲政党も防衛省も、自衛隊を「戦力」とみなした上で、「専守防衛」を国是とすることによって、自衛隊が他国に脅威を与えるような「戦力」とならないよう歯止めをかけるという原則で、自衛隊をめぐる憲法論争に対処してきた点では共通している。 
 
 たとえば、『防衛白書』(2016年版)は「専守防衛」を「憲法の精神に則った受動的な防衛戦略の姿勢」と説明している。 
 また、集団的自衛権の行使を容認する安保関連法案を阻止しようとしたリベラルル立憲勢力も、自衛隊を違憲とする論者と、自衛隊を合憲としながらも集団的自衛権は容認できないとする論者が連携した運動だった。その際、連携を支えた共通項はやはり「専守防衛」だった。 
 
 しかし、現実はどうか? 
 (以下、高橋杉雄「専守防衛下の敵地攻撃能力をめぐって――弾道ミサイル脅威への1つの対応――」『防衛研究所紀要』2005年10月を参照) 
 
 「専守防衛」は、「他に手段がない場合に」「必要最小限度の」という言葉と接合されると、武力行使に自制的なニュアンスを醸し出し、支持を取り付けやすい。しかし、もともと「専守防衛」はいうなれば理念の宣言であって、近年、政府が進めている自衛隊の装備の実態(自衛隊のリアル)との乖離がどんどん大きくなっている。 
 防衛問題の専門家の間では、以前から、「攻勢防衛」とか「積極防衛」とか言った形容矛盾と思える言葉が使われてきた(高橋、前掲論文、106ページ)。 
 政府・防衛省も近年、「防衛」のための「必要最小限度の攻撃力」を広く解釈して、相手国からの長距離ミサイル・核ミサイル攻撃を抑止し、無効にするための先制的な策源地攻撃能力の向上に努めている。 
 
◆「いずも」の空母化 
 
 たとえば、海上自衛隊の護衛艦「いずも」は最大14機のヘリコプターの搭載が可能と言われている。政府は「護衛艦」と説明しているが、各国の軍事関係者はヘリ搭載「空母」とみなしている。そして今、政府・防衛省内では、この「いずも」を戦闘機が離着艦できる空母に改修する案が検討されている。 
 これが実現すると、「いずも」は尖閣列島など離島防衛に出動する米軍戦闘機に補給を行えるようになり、自衛隊と米軍の一体化がさらに加速することになる。 
 また、将来的には、日本自身が短距離・垂直の離着艦ができる、アメリカの最新鋭ステルス戦闘機F35Bを導入して、「いずも」に搭載する案まで浮上している。 
 こうした空母を自衛隊が保有するのは憲法9条2項が禁じた「戦力」に当たらないか、国会でたびたび論議された。しかし、その都度、政府は、いやこれは「攻撃型空母」ではなく、「防衛型空母」であると称して疑念をかわしてきた。 
 (以上、「いずも」の運用については、増田剛「検討進む『攻撃力』強化 問われる『専守防衛』」(NHK「時論公論」2018年1月16日、を参照) 
 
 しかし、「攻勢防衛」の意味があやふやなのと同じ様に、「防衛型空母」と「攻撃型空母」はどういう基準で、誰が線引きするのか? 「空母化の研究 専守防衛からの逸脱だ」(『朝日新聞』社説、2018年6月3日)といっても、解釈論争から抜け出せそうにない。「自衛のための必要最小限度の範囲内」といっても実効性のある議論にならないのは、安保関連法案の国会審議からも明らかだ。 
 
◆巡航ミサイルの導入 
 
 2017年12月8日、小野寺防衛大臣は長距離巡航ミサイルの導入を正式に表明し、それに向けた関連経費として約22億円を2018年度予算案に追加要求した。北朝鮮のミサイル警戒にあたるイージス艦の防護や離島防衛が目的と説明した。 
 しかし、各方面から指摘されているように、巡航ミサイルに搭載するアメリカ製のミサイルは射程900キロは、日本海から発射すれば北朝鮮全域に届くことになる。小野寺氏は相手国の攻撃から届かない遠方から攻撃するためというが、これほどの長距離を射程にした巡航ミサイルが離島防衛のためとは想定しにくい。いくら防衛用といっても、相手国には先制攻撃用の装備強化と受け取られ、軍事的緊張をいっそう高め、防衛予算の際限ない肥大化を生むのは必至である。 
 
 実際、政府・防衛省は2018年度「防衛」予算に、「島嶼部に対する攻撃への抑止・対処力の向上」のためとして戦闘機(F-35A)の取得(6機785 億円)、輸送機(C-2)の取得、2機435 億円)、水陸両用作戦における部隊の展開能力等を強化するためとしてティルト・ローター機(V-22)の取得(4機393 億円)の購入予算を計上した。 
 また、弾道ミサイル攻撃等への対処として、陸上配備型イージス・システム(イージス・アショア)と、それに搭載する迎撃ミサイル(SM-3ブロックIIA等。一式627億円)の購入予算を計上した。 
 
 結局、一方当時国がいくら専守防衛用と言っても、相手国から見れば先制攻撃用となり、それぞれが対処能力を向上させる装備体系の競い合いが避けられず、仮想「防衛」のための予算の肥大化に歯止めが利かなくなる。緊縮財政を叫ぶ一方で、有権者はいつまでこうした仮想防衛に税金を託すのか? 
 
◆「専守防衛」のリアル 
 
 近年、折に触れて議論される「敵地攻撃能力」は専守防衛の理念のリアルを問いかける先鋭な問題である。 
 従来から、「他に適当な手段がない場合」は「座して死を待つ」のではなく、一定の制限の下で攻撃的な行動をとることは法理論上、許されると解釈されてきた。しかし、たとえば、いくつもの移動式ランチャ−から発射される弾道ミサイルに対する防御的戦力とはいかなるものかとなると、議論は混迷する。 
 弾道ミサイル発射後の反撃能力を整備して報復的抑止を利かせると言う考え方がある。しかし、いくつもの移動式ランチャ−から発射されるとしたら、すべての発射位置を事前に把握して反撃するのは事実上、不可能である。また、いくらハイテク兵器を使っても相手国の攻撃能力を抑止するには通常兵器では不可能で、確実な反撃能力というなら、核武装にすすまざるを得ないという見方がある(高橋、前掲論文、115ページ) 
 しかし、そうなると相手国もこうした核抑止力を上回る核武装に進むのは必至で、際限のない「抑止力」競争が軍事的緊張をさらに高めるという悪循環を避けられない。 
 
 もう一つ、考えられるのは「先制的一撃」論である。こちらからの先制的一撃で相手国のミサイル攻撃力を破壊し、無力化するという発想である。 
 しかし、この場合も、すべての移動式ランチャ−を撃破できなければ、残りのランチャーから即座の反撃に遭うことを覚悟しなければならない。その意味で「先制的一撃」論は危険なオプションと言われる(高橋、前掲論文、116ページ)。 
 また、一方が「先制的一撃能力」を整備していると知れば、他方も「座して死を待たない」のは当然だから、相手国の一撃能力を上回る先制的攻撃能力を開発しようとするのは避けられない。 
 
このように考えると、「専守防衛」という理念は、相手国の戦力は一定(たえば、ミサイル発射基地は固定型、攻撃能力も当方の攻撃能力の向上にかかわりなく一定不変)という、非現実的な想定の下でしか、意味をなさないことがわかる。 
 
<醍醐聰のブログから> 


Copyright (C) Berita unless otherwise noted.
  • 日刊ベリタに掲載された記事を転載される場合は、有料・無料を問わず、編集部にご連絡ください。ただし、見出しとリード文につきましてはその限りでありません。
  • 印刷媒体向けの記事配信も行っておりますので、記事を利用したい場合は事務局までご連絡下さい。