2018年10月24日07時10分掲載  無料記事
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コラム

歴史家アンリ・ルッソ氏の来日講演 「過去との対峙」 〜歴史と記憶との違いを知る〜

  パリから歴史家のアンリ・ルッソ(Henry Rousso)氏が来日して「過去との対峙」と題する講演を行った。今年10月23日、東京の日仏会館でのことだ。これは記念的な講演となったと言って間違いではないだろう。国家が歴史にどう向き合うか、ということへの大きなヒントを語ったからだ。英雄の伝説みたいなものではなく、集団が抱える「負の歴史」に関してである。 
 
  アンリ・ルッソ氏が世に出るきっかけとなったのは「ヴィシー症候群」という言葉を用いて、フランス人の第二次大戦中の集団的記憶の問題を取り上げたことだった。ルッソ氏には同じタイトルの著書もある。フランス人がナチに占領されたことやナチに協力を強いられたことなどの苦い記憶を忘れ、勇敢にナチと戦ったレジスタンスにまつわる記憶を選び取ったことに由来する。今回の「過去との対峙」と題する講演の冒頭、ルッソ氏は歴史と記憶が異なる概念であることをまず私たちに示した。記憶は厳密には歴史ではない、と言う。歴史は起きた事実であるが、記憶とは先ほどのヴィシー症候群のように個人であれ、集団であれ、そこに「選択」という主体的な行為が介在している。ある集団や国家が自分に心地の良い英雄的な記憶ばかりを選択して、苦い負の記憶を忘却しようとすれば歴史から離れてしまうことにもなるだろう。 
 
  さらにルッソ氏はスタンダールの小説「パルムの僧院」の例を挙げたのだが、小説の背景になっているナポレオン戦争に兵士として参加する主人公自身がその全貌を知ることがなかったと言うのである。歴史的な事件の渦中にいる当人自身ですらその全体像を知ることは難しい。だからこそ歴史家が必要となる。このように歴史と記憶は異なったものである。さらに記憶はその時々の政治や社会の文脈に応じて変化していく。だからこそ歴史に向き合うことが問われるのだという。日本も安倍政権になって国家が戦後保ち続けてきた「集団的記憶」の形を変えようとしているかに見える。 
 
  フランスやドイツなどの欧州国家は戦後、数十年が流れたのちに、「記憶政策」と言う国家的な政策を取るようになった。「記憶政策」は3つの柱からなっている。 
 
1、 歴史を知る 
2、国家が加害の責任を認める 
3、被害者に補償する 
 
  これら3つの柱こそ民主主義の指標であると言う。フランスが過去と向き合う最大のきっかけとなったものがナチによるユダヤ人虐殺=ホロコーストあるいはショアに関する史実を明らかにし、フランス国家自らが加害の歴史に目を向けたことにあった。フランス国家は当時、ナチ占領下ではあったがユダヤ人の拘束や移送などで国として加担してしまった。戦後しばらくはあいまいにしていたが、のちに負の過去を直視することを迫られた。この負の歴史とフランス国家が向き合ったことが、ユダヤ人虐殺にとどまらず、過去の奴隷制の加害責任やアルジェリア独立戦争の際にフランス内務省が起こした虐殺事件など、国家が一連の負の歴史と向き合うきっかけになったという。つまり、ショアに向き合った時の試行錯誤に満ちた歩みによってその営みが普遍化され、一連の「過去との対峙」を生み出したと言う。 
 
  その例として、2001年に制定されたトビラ法があると言う。トビラとは南米にあるフランス海外県ギアナ出身の黒人議員クリスチャーヌ・トビラのことだが、トビラ法によりフランス国家が16世紀にはじまる奴隷貿易を誤りだと認めることに至った。今更と言えば今更だろうが、それでも国家が過去の負の歴史に向き合うことにしたのである。ホロコーストの被害者に国が向き合うならば「平等の原則」に照らして、奴隷制度の被害者にも向き合うべきだ、と言うのである。 
 
  ルッソ氏によると、2000年代にはフランスで一連の「記憶」に関する法律が制定されたそうだ。1999年にはアルジェリア独立前にフランス国家がアルジェリアの民族解放戦線や独立容認派あるいは平和勢力を組織的に弾圧したことも治安事件ではなく、正式に「戦争」だったと認め、それを法律にした。「あれは戦争だった」とフランス国家が求めたことでアルジェリア独立戦争に出征させられた兵士は第二次大戦と同様の年金に対象にもなった。さらにまたマクロン大統領が「フランス国家による戦争犯罪」を認めるきっかけにもなった。これは「戦争」と認めたことの「良い効果だ」とルッソ氏は言う。 
 
  日本では「マルコポーロ」という雑誌がホロコーストの存在を否定する記事を掲載したことがあった。ショアの歴史と向き合い、それをきっかけに過去との対峙に進んだフランスから見れば、大きな誤りというだけでなく、犯罪的な行為と言えるだろう。 
 
 
※トビラ法についての文章(立法から15周年の記念として) 
http://www.esclavage-memoire.com/evenements/loi-taubira-tendant-a-la-reconnaissance-de-la-traite-et-de-l-esclavage-en-tant-que-crime-contre-l-humanite-15e-anniversaire-199.html 
 トビラ法(LOI TAUBIRA)は2001年5月10日に制定されたとされる。 
 
 
 
■ロバート・O・パクストン著「ヴィシー時代のフランス 対独協力と国民革命 1940−1944」 
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