2018年10月25日23時29分掲載  無料記事
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馬場紀寿『初期仏教』を読む 根本行雄

 今年8月に出版されたばかりの、馬場紀寿著『初期仏教 ブッダの思想をたどる』(岩波新書)を紹介しながら論評したいと思う。私たちの多くは、中村元訳の『原始仏教』(岩波文庫)に親しみ、その影響を受けてきた。そのような私たちにとって、この本は画期的なものである。 
 
 馬場は、『初期仏教』の序文である「はじまりの仏教」において、自らの研究の方法論を明らかにしている。「仏典を資料として批判的に検証した上で、仏典を取り巻く歴史的状況を考察し、恣意的な解釈を慎み、文献学的に正確な読解を目指す」ものであり、その方法は「歴史的読解」であり、「仏典を歴史的文脈で読み解く作業」であると説明している。だから、「初期仏教を実証的に論じようとするなら、古代インドの言語であるサンスクリット語やパーリ語はもちろんのこと、漢語やチベット語に翻訳された仏典を読解して、原初のすがたを再構成する必要がある。」(viページ)とも述べている。 
 
 私たちの多くは、中村元訳の岩波文庫、『ブッダのことば(スッタニパータ)』、『真理のことば、感興のことば(ダンマパダ、ウダーナヴァルガ)、『ブッダ最後の旅(大パリニッバーナ経)』などに親しみ、その影響を受けてきたので、私たちは「原始仏教」という言い方に慣れ親しんでいる。 
 
 しかし、馬場は「これまで、『原始仏教』という概念がしばしば紀元前三世紀以前の仏教を指して用いられてきたが、紀元前三世紀以前の仏教について確実にわかっていることはほとんどないため、この概念は用いない。」(40ページ)という方法論的立場をとる。 
 
「韻文仏典のなかには紀元前に成立したものが含まれているが、元来、結集仏典としての権威をもたず、その外部で伝承されていたのである。このことは、かつて中村元らの仏教学者が想定していた、韻文仏典から散文仏典(三蔵)へ発展したという単線的な図式が成り立たない」(70〜71ページ)と述べる。それゆえに、馬場は「原始仏教」ではなく、「初期仏教」というコトバを使用する。それこそが、「我々が資料にもとづいて実証的に明らかにしうる、最も古い時期の仏教」(iiページ)なのであると、馬場の方法論的立場から明らかにする。 
 
 この初期仏教の仏典を「初期仏典」と呼んでおり、それは「口頭で伝承されたテキストだったことは、紀元前の仏典を理解するうえで、いくら強調しても強調しすぎることはない。」(41ページ)そして、「部派の仏典を通さなければ、初期仏教の思想を知ることはできない」(41ページ)と述べる。 
 
 馬場は、「第一結集」を踏まえて、「インドの仏教教団は、この『法と律』こそが、教団のおいて結集された正当な仏典であると位置づけた」(59ページ)と述べる。仏教の出家教団が南アジアに展開していく過程で、「部派」と呼ばれる、ある種の集団が現れた。そして、「遅くとも後四〜五世紀までに、『上座部大寺派』『説一切有部』『化地部』『法蔵部』『大衆部』という少なくとも五つの部派がそれぞれ、自らが結集された仏典の伝承を担っている」(60ページ)と述べる。「三蔵のなかに、出家集団が口頭で伝承した初期仏典が源泉資料として含まれていることは確かである。したがって、初期仏典を研究しようとするならば、諸部派が伝承した三蔵を分析し、そのなりたちを検討することによって、『法と律』=結集仏典とは何だったのかを探るのが、最も有効な方法のひとつである」(61ページ)と主張し、「パーリ三蔵は、もともとスリランカの上座部大寺派という一派に伝承した。」(61ページ)と述べている。 
 
 
 『初期仏教』は、次のような目次になっている。 
 
 序文  はじまりの仏教 
 
 第一章 仏教の誕生 
 
 第二章 初期仏典のなりたち 
 
 第三章 ブッダの思想をたどる 
 
 第四章 贈与と自律 
 
 第五章 苦と渇望の知 
 
 第六章 再生なき生を生きる 
 
 跋文  ひろがる仏教 
 
 
 
 馬場は序文である「はじまりの仏教」において、次のように述べている。第一章では、「仏教が誕生するまでの古代インドの社会や思想状況を概観」する。第二章と第三章においては、初期仏教について論じる際に利用する資料についての説明が書かれており、第二章では「思想理解に最低限必要な情報として、初期仏典の歴史を概観」し、第三章においては「インド仏教の出家教団諸派が『ブッダの教え』として共有した思想を特定し、それが紀元前にまで遡る思想であることを論証する」、と。第四章から第六章では、初期仏教の思想を解説し、仏教と仏教以外の諸思想との関係において、思想を読み解く」。本書は、「古代インドにおける初期仏教思想の独自性を浮き彫りにすることを目指している。」と述べている。全体として、この本はとてもよくまとまっており、初期仏教についての概観を十分に与えてくれるものになっている。 
 
 
 
 この本は、それぞれの章が単行本になってもおかしくない内容となっている。それが「新書」という40字詰め原稿用紙で、約300枚から500枚くらいの分量に仕上げられている。それゆえに、この本を読んだ印象としては、表層をなでまわしたような感じを受ける。彼の文章は、いわゆる血と汗の産物ではなく、自然科学に似た感じを与える、まるで人体の骨格標本の解説を読むような無味乾燥な印象を受ける。 
 
 このような2種類の印象は、コインの裏表のようなものだ。馬場の『初期仏教』にはこのような長所と短所がある。 
 
 
 ネモトは学生時代から「原始仏教」の研究をしてきている。しかし、もちろん、古代インドの言語であるサンスクリット語やパーリ語はできないし、チベット語に翻訳された仏典などは読んでいない。あくまでも、中村元訳の岩波文庫、『ブッダのことば(スッタニパータ)』、『真理のことば、感興のことば(ダンマパダ、ウダーナヴァルガ)、『ブッダ最後の旅(大パリニッバーナ経)』などを利用し、「原始仏教」の思想、ゴータマ・ブッダの思想を解明し、それを哲学的に考察しようとするものである。 
 
 
 
 馬場は、初期仏教の研究を踏まえて、「初期仏教では口頭で仏典が伝承された以上、歴史上の人物としてのブッダの思想を文献研究によって復元することは不可能である。」(78ページ)と述べ、「正当な手続きを踏むことにより、一定程度の客観性をもって特定できる”相対的に”古い仏教の思想」(78ページ)であるとし、「(一)諸部派がブッダの教えとして共有し、(二)紀元前の仏教に由来する思想」を『ブッダの思想』と呼ぶ」(78ページ)という研究態度を明らかにしている。だから、ネモトと馬場とでは大きな相違点があるのではないかと読者の多くは思われるだろう。ところが、馬場が説明している「初期仏教」の思想と、ネモトが理解している「ゴータマ・ブッダの思想」とは、ほとんど、相違点がないのだ。 
 
 
 
 私たちがこれまで「原始仏教」と呼んで親しんできた中村元の岩波文庫、そして、「ゴータマ・ブッダの思想」についての論評は次の機会にさせてもらう。 
 
末筆ながら、馬場にお願いしたいことは、中村元の岩波文庫のように、わたしたち一般読者に入手のしやすい文庫本か、新書というかたちで、初期仏教の思想に親しむことのできるパーリ仏典、上座部大寺派のテキストを一冊の本という形で、一日も早く出版してもらいたいということである。 


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