2018年11月11日14時32分掲載  無料記事
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反戦・平和

世界の「原爆キノコ雲」観に学ぶ 韓国「BTS」のTシャツを教材に

  韓国の人気男性音楽グループ「防弾少年団」(BTS)のメンバーが着ていたTシャツに原爆のキノコ雲がデザインされていたことを理由に、テレビ朝日が音楽番組「ミュージックステーション」へのBTSの出演を見送った。バカな話だ。韓国内だけでなく日本や米国の若者にも人気の若者たちが、なぜこのようなTシャツを着ているのかという疑問を手がかりに、アジアの隣人との相互理解を深めていこうとする姿勢が見られないからだ。せっかくの機会なので、世界の人びとがヒロシマ・ナガサキをどうとらえているのかを、アジアと米国を中心にざっとおさらいしてみよう。(永井浩) 
 
▽日本と米国、アジアの原爆認識ギャップ 
 問題のTシャツには「PATRIOTISM(愛国心)」「LIBERATION(解放)」などの文字とともにキノコ雲、日本の植民地支配からの解放(「光復」)を祝って万歳する人びとの写真がプリントされている。 
 
 これに対して、日本では「放置した韓国政府に謝罪を要求すべきだ」(美容外科医の高須克弥)「原爆被爆者をおちょくるようなパフォーマンスをするバカにももちろん腹が立つが、そんなバカを出演させるテレビ局やプロデューサーにも猛烈に腹が立つ」(作家の百田尚樹)などといった「嫌韓」発言がツイッターで拡散し、テレ朝はそれに押されてBTSの出演見送りに踏み切ったとされる。 
 
 だが共同電によると、デザインした韓国の会社代表は「原爆が投下され、日本の無条件降伏で光復が来たという歴史的な事実と順序を表現するため」と説明し、「反日感情を助長する意図はなかった。BTSに申し訳ない」と陳謝した。 
 
 こうした原爆観は韓国だけのものではない。他のアジアの多くの人びとも、広島・長崎への原爆投下のニュースを知って、「これでやっと日本軍の残虐行為が終わる」と歓迎した。原爆投下から50年目の1995年に、米国の郵政公社が第二次大戦の戦勝50年を記念して発行しようとした切手をめぐる日米間のやりとりとそれをめぐるアジアの反応がそのことを示している。 
 
 問題の切手は、原爆のキノコ雲の写真をあしらい「原爆は戦争の終結を早めた」との説明文がついていた。これは、米国政府が戦後一貫して堅持している公式見解である。原爆投下による日本の降伏で本土侵攻作戦が避けられ、100万人の米兵とそれ以上の日本人が救われたというのだ。この「原爆神話」は米国民にも信じられつづけ、原爆切手が予定された年に米調査会社ギャラップがおこなった世論調査では、国民の59%が原爆投下正当論を支持すると答え、10年後の2005年の調査でも支持者が過半数を上回っている。 
 
 この切手発行計画をしった日本政府は、「被爆国であるわが国の国民感情からいえば、けっしていい感じはもたない」と不快感を表明し、日本のいくつかの新聞も原爆切手を批判的に報じた。図柄は日本政府の要請をうけて変更されることになったが、アジアではこの切手がどのように見られているかについては政府もメディアも言及しなかった。 
 
 シンガポールのストレーツ・タイムズ紙では1994年12月に、こんな論争が交わされていた。コラムニストのコー・バクソンは同月12日付紙面で、原爆切手をめぐる日米のやりとりにふれ、「米国はこの切手を発行すべきだった。原爆投下の図柄を外すことは歴史の書き換えに等しい」と主張した。コーは、広島、長崎の被爆者やその肉親、家族らの気持がわからないわけではない。しかし、シンガポールの人びとも、日本軍の占領下で筆舌に尽くしがたい残酷な仕打ちを受けた。その苦しみからの解放を早めてくれたのが原爆投下だとかんがえている。たとえ小さな切手であれ、それは「人間の人間に対する残酷さを記憶にとどめ」、再び大きな罪悪を繰り返さないようにするために貴重なのだ、と言う。 
 
 これに対して、読者からいくつかの反論が寄せられた。一人は「原爆が戦争終結を早めた」というのは正しいが、それだけでは歴史の複雑さをゆがめる恐れがあるとし、アジア人に対する米国人の人種差別意識などの側面も見るべきだと指摘。別の読者は、多くの日本人は自国の戦争犯罪を深く悔い、原爆の悲劇もすでに広く知られているのに、あえてこうした切手を出すことは、かえって日本の核開発を不必要に刺激することになりかねないと憂慮している。コーはこれらの声に、その後のコラムで「戦争が常に人間の不必要な愚かさの恐るべき結果である」ということを訴えたかったのだ、と応えている。 
 
▽加害・被害の関係から相互理解へ 
 事情はほかのアジアの国々でも変わらない。1989年3月8日の毎日新聞広島市内版に、「なぜ原爆の被害面しか訴えぬ?」との見出しの記事がある。華人系マレーシア人留学生は、広島の原爆資料館を見学した母国の一行のひとりが「該死(ガイスー)!」とつぶやいた、という話を明らかにしている。「死んで当りまえ」という意味だ。留学生はこれを通訳するのをためらったが、彼が小学4年生で広島の原爆投下を学んだとき、教科書の記述、先生の教え方は「日本がマレーシアに残酷なことをした報復」という内容だったという。 
 
 「東南アジアと日本 終戦記念日に寄せて」と題する読売新聞(夕刊)の1984年8月13日からの連載で、フィリピンの著名な作家フランシスコ・ショニール・ホセは、日本軍の侵略後に人びとが過ごした苛酷な年月をふりかえり、1945年に米軍がフィリピンにもどってきたときの心境をこう記している。「われわれの多くにとって、たった一つの願いは(米軍の)日本進攻に加わって、日本軍がわれわれにしたことを倍にして仕返しすることだった。広島に原爆が投下されたとき、われわれは日本に対する憎悪の余り、東京、京都など日本の都市全部を見逃した米軍は手ぬるいと思ったほどだった」 
 
 日本でも、こうしたアジアの声に耳をかたむけ、相互理解を進めていこうという動きが出てきた。原爆で左足を失い、「広島を語る会」の「語り部」をつとめてきた沼田鈴子がその一人だ。 
 
 沼田は長いこと、修学旅行生たちに被爆の苦しみだけを語りつづけていた。ところがある日、広島を訪れたマレーシア人から、「マレー半島で住民を次つぎに虐殺していったのは広島の歩兵第十一連隊だった」と聞かされた。沼田は1989年、マレーシアに行き、日本軍の犠牲者や遺族らに頭を下げ、「日本人が憎いかもしれないが、被爆の実態も知ってほしい」と語りかけた。原爆の悲惨さを初めて知ったマレーシアの人たちは、沼田の手を握りしめ「被爆者の苦しみがよくわかるようになった」と語ったという。 
 
 沼田によれば、「原爆投下で自分たちは助かった」と思いこんで、広島を訪れるアジア人は中国やフィリピンからの人にも多い。だが、初めて被爆の惨状をしると、自分たちの原爆認識を反省し、アジアの人びとも広島の人びとも同じ戦争の犠牲者として、平和の貴さを語り合える場がひらかれていくという。そして「原爆投下を正当化しようとする米国の切手は絶対許せない」と主張しながらも、アジアの人びととの交流をつうじて「真実をしっかり見つめること、そして戦争には加害と被害の両面があることから目をそらさないことが第一歩」と説く。 
 
 加害・被害の関係を超えてアジアとの共生関係を築くための試みは、メディアにも出てきた。中国新聞は1992年から93年にかけての連載「亜細亜からアジアへ」で、日本の戦争犯罪の跡とアジアの人びとの思いを検証した。記者たちはシンガポール、マレーシア、韓国、台湾、インドネシア、タイ、フィリピン、中国で取材をかさねた。一冊にまとめられた同名の本によると、被爆地の新聞として、被爆者の心情をかんがえると、企画にためらいがなかったわけではないという。だが、読者の反響は「賛否両論に分かれながらも、投稿者の全員がヒロシマを問い続ける意義を見据えていたといえる。この結果は救いだった」と総括されている。少数ながら、アジア各地で反核運動にとりくむ人たちから「被爆の実相をもっとアジアに伝えてほしい」という要望もあった。 
 
▽中国女性作家の広島取材の目的 
 戦後60年の2005年8月、『尊厳―半世紀を歩いた「花岡事件」』の中国人女性作者、旻子(ミンズ)が来日したとき、私は彼女へのインタビューを日刊ベリタに書いた。アジア太平洋戦争末期、日本に強制連行された中国人が、秋田県の鹿島組(現・鹿島)花岡出張所での虐待に耐えかねて蜂起した「花岡事件」の全貌を描いた作品は、2003年に中国ノンフィクション大賞を受賞、その邦訳が日本僑報社から出版されたのを機に、彼女は初めて日本をおとずれた。 
 
 作品には目をそむけたくなるような日本人の暴虐の数々が描かれているが、旻は執筆意図について、けっして反日感情を煽るためではないと強調した。「中国人がこの事件をどのように見ているのか、われわれの認識と気持ちをきちんと伝えたいと思うようになりました。一人の作家としての私の信念は、歴史の真実を明らかにすることはけっして怨みを植えつけるためではなく、平和を育てるためだというものです」 
 
 彼女はまた、中国人も日本人もけっして一様ではないことも理解している。『尊厳』の訳者の山邉悠喜子は私財をなげうって旻の取材に協力してくれた。花岡出張所で飢えに苦しむ中国人労働者らに、上司の目を盗んでひそかにおかゆを差し入れてくれた日本人のことを著書で紹介している。今回、自分が北京から東京へ来るまでの道中、いかに多くの見ず知らずの普通の日本人に親切にしてもらったかをあれこれ話してくれた。ただ彼女は、戦争中の「人間として自然の心を失った」日本人の行為と、「礼儀正しい雅な雰囲気を持つ現在の日本人」とがどうつながるのかがいまだに理解できない、とも言う。 
 
 そしてそんな思いをいだきながら、広島に行く計画をしている。目的は、「日本人が広島の地で自国民の過去を忘れないようにどのような努力をしているかを自分の目で確かめたい。中国人はその点について学びたい」というのがひとつ。もうひとつは、「瀬戸内海の大久野島を訪れ、どのような毒ガスが製造され、中国で使われたのかを調べたい」。 
 
 広島、長崎への米国の原爆投下は中国ではどのように受け止められているか、との問いに彼女はこう答えた。「日本人は広島、長崎の体験から、なぜこのようなことが起きてしまったのかの教訓をくみとってほしい。日本は戦争末期にもアジアの盟主として、アジアに覇権を求めて侵略をつづけました。でも、原爆はあまりにも大きな殺傷能力をもった兵器で、投下は多数の一般の日本国民を殺した人道に反する行為です。米国は広島、長崎を原爆の最初の実験の場にしました。このような反人道的行為は米国のような国にしかできません。中国人にはできません。倫理、道徳が米国や日本とは違います」 
 
▽Tシャツを日韓の核と歴史認識の対話の糸口に 
 その米国でも、近年「原爆神話」を見直し歴史の真実に学ぼうとする動きが出てきている。共和党のジョージ・ブッシュ大統領も民主党のビル・クリントン大統領も、「日本に謝る必要はない」と言明して原爆投下を正当してきたが、民主党のバラク・オバマ大統領は2016年に現職大統領として初めて広島の平和公園を訪れた。彼は原爆投下を謝罪はしなかったものの、被曝者と抱き合い、「核兵器のない世界を追求する願い」を込めて、自らが折った四羽の折り鶴を原爆資料館に贈り話題となった。米国の若い世代の大学教員は、毎年8月に学生らとともに広島、長崎を訪れて、現地の人びとと原爆投下について意見交換し、米国が原爆にどう向き合うべきかを自国の若い世代と考えていくプロジェクトを進めている。 
 
 BTSの原爆Tシャツ着用については、韓国内にも「韓国人の犠牲者も多かった原爆のTシャツを着たのは軽率でないか」との指摘があるという、一橋大学大学院のクオンヨンソク准教授の談話が11月10日の毎日新聞に載っていた。おそらく原爆投下は日本の植民地支配からの解放を助けたと信じる韓国の人びとも、被爆の実態は正確には知らないのではないかと思われる。だとしたら、原爆Tシャツは核兵器だけでなく歴史認識について、日韓両国民が対話をつうじて相互理解を深めていく格好の教材となるはずである。できれば、BTSのメンバーも広島、長崎を訪れてほしい。 
 
 ラテンアメリカの人びとがヒロシマ・ナガサキをどう見ているかについては、先に下記の一文を日刊ベリタに寄稿しているので興味のある方は一読いただきたい。 
http://www.nikkanberita.com/read.cgi?id=201808011626203 
 
 アラブ世界のヒロシマ・ナガサキ観は別の機会にゆずるとして、とりあえず以下の事実だけを記しておこう。自衛隊のイラク派兵を機に、原爆のキノコ雲の下にいて戦後「平和国家」に生まれ変わったはずの日本が、キノコ雲の上にいた軍事超大国米国との軍事的一体化をますます強化し、さらに世界のあらゆる地域で共同作戦に参加する態勢を整えようとしているのはなぜなのか、という疑問がこの地域の人びとには広がっている。この疑問は、おそらくアジアの人びとも抱いているのではないだろうか。 


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