2018年11月15日09時47分掲載
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アフリカ
【西サハラ最新情報】 スペインの責任 平田伊都子
11月14日は、西サハラ人民にとって<屈辱の日>です。 1975年のこの日、11月14日に、<マドリッド三国秘密合意>が結託されました。 <マドリッド>はスペインの首都マドリッドで、<三国>とはスペインとモロッコとモーリタニアで、<秘密>とは国連を始めとする国際社会や西サハラ人民に内緒で、<合意>とは当時のスペイン植民地を北をモロッコに南をモーリタニアに分譲した密約を指します。 つまり、スペインが内戦の危機も手伝って西サハラ植民地を放り出したのです。 スペイン植民地軍撤退後、即、北からモロッコ正規軍が、南からモーリタニア正規軍が西サハラに軍事侵攻し、挟み撃ちになった西サハラ住民は、難民となって北東のアルジェリアに逃げていきました。 西サハラ人民に難民という苦難をもたらした11月14日、もう43年になります。
(1)モロッコ国王陛下の息子が♠米大統領に握手してもらった:
11月11日、土砂降りの雨のパリで、第一次世界大戦終結100周年の式典が催された。モロッコのマスコミは、モロッコ国王陛下と皇太子(15)が最前列に席を取ってもらって参列している写真を大きく載せ、世界大国の一員であると大宣伝した。調子に乗ったMWN(モロッコ世界ニュース)は、いかにモロッコ人がフランス植民地兵としてご主人フランスのために戦い犬死していったかを、自慢した。MWN(モロッコ世界ニュース)は、「約4万人のモロッコ兵が第一次世界大戦に参戦した。植民地軍に配備されたモロッコ兵たちは、フランス軍のかたわらで、勇敢に戦った」と、モロッコ奴隷兵を讃えている。さらにMWN(モロッコ世界ニュース)は、「モロッコ兵は第二次大戦にも、<山の強者>との勇名を轟かせた。歴史家は、85,000人のモロッコ兵が激戦地で植民地軍の中で戦い、1,000人以上が戦死し800人以上が負傷したと語っている。パリ解放にも貢献したそうだ」と、エスカレートしていった。
宗主国の奴隷兵として使い捨てにされたことが、そんなに嬉しいんだ、、?
(2)ジョン・ボルトンのお友達:
2018年11月11日以来、MWN(モロッコ世界ニュース)は「米国家安全保障補佐官ジョン・ボルトンの友人がアルジェリアとロビーイスト契約をした」と、ネガテイブ・キャンペーンを張っている。曰く、「米国家安全保障補佐官ジョン・ボルトンの親友であるデヴィッド・キーン(73才)が、アルジェリアとロビー活動の一年契約を360,000$で結び、2018年11月1日から活動を開始した。西サハラに関してワシントン政界の動きを逐一、アルジェリアに報告する積りだ。せっかくモロッコが西サハラ問題を上手く操作しようとしている矢先に、とんでもない妨害だ」と、キーンのロビー活動を非難した。キーンはロビー活動を正式に米国議会から認められている。モロッコの方こそ、賄賂を使った裏ロビー活動はもとより、あらゆる手段を使って西サハラの国連活動を妨害してきた。<モロッコ国王ファースト>は<♠アメリカファースト>より永久的で絶対的だ。世界中がモロッコ国王のご意向に従うのが、当然だとしている。
20年前に当時の国連事務総長西サハラ個人特使ジェームス・ベーカーと西サハラ住民投票実現を目指し失敗したジョン・ボルトンは、西サハラ人民投票を諦めていない。2018年4月9日に米国家安全保障補佐官の要職に就いたボルトンを、モロッコはモロッコの味方に引き込もうと画策した。が、失敗した。モロッコは第一次大戦記念式典を利用して、♠直談判を試みた。ご主人のフランス大統領はモロッコへの援護攻撃をしようと、♠米大統領に数回のボデータッチで迫った。結果は? どうも、♠米大統領のお好みじゃないようだ、、
ジョン・ボルトンの親友デヴィッド・キーン氏はベテランのジャーナリストで、ワシントン・タイムズの重鎮で、ロビー活動家だ。ただし、ワシントン・タイムズは保守的な新聞で、キーン氏は2011年から2013年まで全米ライフル協会の会長を務めていた。ボルトン以上に、保守強硬派だ。結果は? まだまだ、始まったばかりだ。
(3)元西サハラ宗主国のスペインに責任はないのか?:
1884年から1975年まで、西サハラはスペインの植民地だった。
1960年12月14日に国連総会でこの地球から植民地を一掃しようと、<植民地独立付与宣言>1514決議が採決された。この時、西サハラも植民地という当該地域に指定された。国連脱植民地化第4委員会は、この決議に基づいて現在も西サハラの脱植民地化を目指している。スペインが西サハラから撤退した1975年以前に、西サハラ宗主国スペインに対して、国連は何度か<西サハラ人民投票>をやるようにと、勧告をしていた。が、スペインはその勧告を無視し、国連や西サハラ人民に相談もせず、突然、西サハラをモロッコとモーリタニアに分譲してしまったのだ。しかも、国連からも国際司法裁判所からも国際刑事警察機構からも、スペインはお咎めを受けていない。スペインは西サハラ植民地を、自分の勝手で放り出した。その責任を感じていないのだろうか?
西サハラ人民を難民にし、西サハラの大地を分譲したカルロス王子(当時)は、スペイン国王となり、不倫と賄賂とハンティングで失脚しました。 2018年6月2日、スペインには社会労働党出身で美男のペドロ・サンチェス首相が誕生しました。 ペドロ首相は国連総会一般討論演説で、「西サハラの恒久的な平和解決を期待している。スペインは西サハラ人の民族自決権実現を目指す国連事務総長と国連事務総長個人特使の努力に敬意を払う」と語りました。 では、スペインにどんな責任があるのか?スペイン自身は具体的にどう対処するつもりなのか?」
ペドロ首相殿、お聞かせください。
Youtubeにアップした「人民投票」(Referendum)のご案内です。
「人民投票」日本語版 URL :https://youtu.be/Skx5CP3lMLc
「Referendum」英語版 URL: https://youtu.be/v0awSc25BUU
Youtubeに4月アップした「ラストコロニー西サハラ」もよろしくお願いいたします。
「ラストコロニー西サハラ 日本語版URL:https://youtu.be/yeZvmTh0kGo
「Last Colony in Africa] 英語版URL: https://youtu.be/au5p6mxvheo
WSJPO 西サハラ政府・日本代表事務所 所長:川名敏之 2018年11月15日
SJJA(サハラ・ジャパン・ジャーナリスト・アソシエーション)代表:平田伊都子
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