2019年01月20日14時24分掲載
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韓国
韓国労働運動の息吹に触れた4日間(4)〜2018年11月労働者大会参加と日韓連帯・交流報告
【11月12日(月)4日目(最終日)】
<南営洞と延世大学―軍事独裁政権下の拷問・虐殺の現場を訪ねて>
ツアー最終日のこの日は、荷物をホテルに預け、午前中は建国現代史の現場を訪ねた。それは今年話題になった韓国映画『1987年、ある闘いの真実』の中に出てくる2人の人物、朴鍾哲(パク・ジョンチョル)さんと李韓烈(イ・ハンニョル)さんの記念館だ。
まず初めに、地下鉄南営駅すぐ近くにある警察人権センターの中にある朴鍾哲記念館に行く。
軍事独裁政権による民主化運動弾圧、拷問、虐殺の現場となった旧警察治安本部対共分室の建物が、「韓国警察人権センター」(KOREAN NATIONAL POLICE AGENCY HUMAN RIGHTS CENTER)と名前を変えて残っている。この4階と5階が朴鍾哲記念館となっている。
外から見上げると、5階部分だけ窓が小さいのがわかる。この5階フロアーが拷問部屋だ。部屋もベッドと小さなテーブルと椅子、トイレ、風呂など当時の様子が残されている。日本の留置場のようなところであるが、浴槽があるのが大きな特徴だ。つまり、水拷問ができる機能があるということだ。
ソウル大生・朴鍾哲さんが水責め拷問で虐殺された(1987年1月)部屋の入口に花束が置かれ、奥の壁に遺影が飾られていた。天井の隅には監視カメラもある。4階には展示室もあり、パク・ジョンチョル青年の幼少時からの写真や愛用のギター、当時の新聞や資料が並んでいた。
建物を出てから、同行してくれたキム・ウニョンさんが私たち皆に「ちょっと聞いてください」と話してくれた。
「いま韓国で活動している人間にとって、この場所は来たい場所ではない。民主化闘争の歴史を新たに学ぶ人には必要な場所だが。知人や活動家の犠牲の真実は明らかになっているわけではなく、私たちにとっては現在進行形の問題だ。心が重くなる。映画『1987』を見たときに、涙なしには見られなかった。民主化の歩みは幾多の困難があった。朴槿恵弾劾のうねりも、ある日突然出てきたのではない。闘いの積み重ねがあった。民主主義は肥料を養分とする木のようなものだ。韓国の民主主義闘争は内部矛盾と分断を抱え、二重苦の中での闘いを強いられている。ここは民主主義の真の完成に向かう闘いを決意する場であり、韓国の民主主義を考える空間だと思う」
次に向かったのは、ちょっと離れた学生街の新村にある延世大生・李韓烈(イ・ハンニョル)さんの記念館だ。延世大学の近くに賠償金とカンパで2005年に建てられた。
1987年6月9日、朴鍾哲さんの虐殺に抗議して、延世大学構内からデモで街頭に向かおうとして軍隊に阻まれ、頭部に催涙弾の直撃を受けて倒れる。頭から血を流して崩れ落ちようとする李韓烈さんを学友が抱きかかえた写真が、当時海外にも配信されて報道された。
記念館の3階がイベントスペースで、4階に遺品や写真、当時の新聞が展示されていた。こうして虐殺の事実を記録し保存し展示し後世に歴史として伝えていこうとするところが韓国の運動の凄い所だと思った。
記念館を出て、事件の現場となった延世大学の正門まで行ってみた。こぎれいな建物が並ぶ、広大なキャンパスだ。若い学生たちが出入りしていて当時の面影は何もない。近くの食堂でキムチチゲ。辛いが美味い!
<高さ75mの高空籠城闘争―金属労組ファインテック支会激励訪問>
ツアーの最後は、金属労組忠清南道支部ファインテック支会の高空籠城闘争の現場を激励訪問した。
地下鉄9号線の新木洞駅から歩いてすぐのソウル熱エネルギー供給公社敷地内に、直径5m以上はある巨大な煙突が何本もある。高さは75m。
そのうちの正門近くの煙突の上に、“解雇撤回”を求めて昨年11月12日から2人の組合員が籠城している。ちょうどこの日が籠城1年となる。11月10日の労働者大会でも、テレビ電話でアピールしていた。
門の扉や歩道、道路の向こう側の土手には横断幕がたくさん掲げられていた。「上空の監獄で闘っているみなさんを支援します」という横断幕もあった。あいにく、この日は正門脇のテントには誰もいなかった。なので、向かいの土手に上り、煙突に向かって全員で、大声でハングルのエールを送ると、気が付いたのか、煙突の上に掲げられた横断幕の向こうから手を振る2人の姿が見えた。残念ながら交信手段がないので、キム・ウニョンさんに支援カンパを託して空港に向かった。
その後、ファインテック支会の高空籠城闘争は劇的展開を経て勝利した。
ファインテック支会は、労働者大会以降、高空籠城が1年を過ぎて12月になっても親会社のスターフレックスが何の反応も示さないことから、
「スターフレックスが2015年、買収したスターケミカル(慶尚北道亀尾)を廃業させようとしたとき、支会長のチャ・ガンホさんが雇用保障などを要求して、高さ45mの煙突で408日間高空籠城したが、今回の高空籠城は408日を超えさせてはならない」との思いから闘いを強めた。
そして支会長のチャ・ガンホさんは、12月9日からスターフレックス本社の前で座り込み、無期限ハンストに入った。
また、人権団体代表、牧師、神父、詩人などが12月16日から同調ハンストに決起し、「スターフレックス(ファインテック)闘争勝利のための共同行動」は、その他、リレーハンスト、一日ハンスト、一食ハンストなどを呼びかけて支持を広げていった。
さらに12月29日には、ファインテック煙突希望バス集会を行い、全国から労働者市民が500名集まった。
こうした中、408日目に当たる12月24日は過ぎてしまったが、12月27日、ついに事態が動き、ファインテックの社長で、親会社スターレックスの専務理事であるカン・ミンピョ氏との第1回交渉が行われた。
さらに、1月3日に行われた第4回交渉では、親会社スターフレックスのキム・セグォン代表理事が出てきたが、「スターケミカルの時のように廃業するおそれもある。その時、本社が責任を取ることはできない」とキム・セグォン代表理事が拒否したために決裂した。
これに対して、煙突の上で籠城しているパクチュノ前支部長とホングタク事務長は、1月6日から無期限ハンストに突入した。
こうした労組の決死の闘いの前に、ついに会社も折れ、子会社での労働条件の3継承(雇用、労組活動の保障、団体協約)を認めさせ、親会社スターレックスのキム・セグォン代表理事が、個人の資格で社長に就任し、責任をとることで合意した。しかし、雇用保障は最低3年という制限がついた。
必ずしも100%満足いくものではないと思うが、粘り強い決死の闘いによって職場復帰を勝ち取ったことは驚愕すべきことであり、学ぶ点が多い。
今年も4日間ビッシリ詰まったスケジュールだったが、韓国の労働運動、社会運動の息吹に触れた充実した4日間だった。韓国の仲間たちの温かい歓迎と、4日間に与えられた問題提起に、どう応えていくべきか。重たい課題だ。(尾沢孝司)
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