2019年02月04日11時29分掲載  無料記事
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文化

[核を詠う](278)角川『短歌年鑑2019年版』から原子力詠を読む「福島に廃炉は成らずおそらくはわが子の子の子の子の子の世まで」  山崎芳彦

今回は角川『短歌年鑑2019年版』(角川文化振興財団、平成30年12月6日発行)所載の「「自選作品集」、「「題詠秀歌」、「作品点描」から、筆者の読みによる原子力詠を抄出させていただく。月刊総合歌誌『短歌』を発行している角川の『短歌年鑑』は、短歌界の動向を知るうえで貴重な資料であると、筆者は毎年欠かさず読ませていただいているし、保存している。この連載の中でも、2011年の福島原発事故以降、同年鑑からの原子力詠の抄出・記録を続けてきた。今回の「自選作品集」には600人近い歌人による自選作品各5首が収載された。3000首に近い全作品を読むことができ、拙いながらも詠むものの一人である筆者にとって、よい勉強の場を与えられたと思っている。「題詠秀歌」は月刊「短歌」の題詠の企画に応募の作品から選者によって秀歌として選ばれた作品396首が掲載されている。「作品点描1〜9」は、9人の歌人が総合短歌紙誌に掲載された歌人の作品を抽いて、それぞれの読み、評言を記していて、興味深く読んだ。 
 
 この『短歌年鑑』に収載された短歌作品は膨大な数にのぼるが、その中から筆者が「原子力詠」として読んだ作品に限って抄出・記録させていただくのだが、読み違いを冒していることが少なくないことをおそれてもいる。作者、同年鑑の製作に携わった方々に、筆者の力不足をお詫びするしかない。 
 
 1月28日に第198回通常国会が開かれ、安倍首相は施政方針演説を行ったが、その中で原子力に関わって述べた部分は、核兵器禁止問題については一切触れられず、国連の核兵器禁止条約を妨害する政策を続ける姿勢を示し、一方で日米同盟を基軸にした「抑止力」を維持するとして、言葉にはしないが「核の傘」安全保障、つまり米国・トランプの核開発強化戦略に追随する本性を示している。そのうえで、「自らの手で自らを守る危害無き国をだれも守ってくれるはずがない」として軍事力のとめどない強化を進める新防衛大綱を強調する。その先にはこの国の核兵器保持を目指す本音が見える。原発の稼働推進、核燃料サイクルへの固執、再処理工場建設計画などは、核兵器製造能力の保持につながるに違いない。 
 
 また、安倍首相は「原発事故で大きな被害を受けた大熊町では、この春、町役場が8年ぶりに、町に戻ります。…将来の避難指示解除を願う地元の皆さんの地道な活動が実を結びました。政府もインフラ整備など住民の皆さんの帰還に向けた環境づくりを進めます。」など、福島原発事故による人々の苦難には全く触れず、今も深刻な被災者の現状、多くの人々の現実と将来への多様で解決されていない苦しみと不安に対する政府、東電の責任、事故原発、メルトダウンした原発を抱えた福島の現実を無視して「福島の復興なくして東北の復興亡し。東北の悪口なくして日本の再生なし。」と言葉を踊らせるのみである。人間なき復興など、あるはずがない。 
 
 このような安倍政府の下、経団連の中西会長は停止している原発について「再稼働をどんどんやるべき」と言い原発再稼働をあおっている。中西氏は原発を手掛ける日立製作所の会長であり、原発の海外輸出が相次いで破綻しているなかで、国内の原発再稼働、新増設に舵を切っているのだ。 
福島原発の過酷事故、人々の苦難がなかったかのように、政府・財界一体になっての原発推進が企まれている。 
 
 こうした現状の中で、歌人が詠う原子力詠短歌作品である。詠み、読み続けることの大切さを改めて思う。 
 
  ◇「自選作品集」の原子力詠(抄)◇ 
被曝禍に負けてたまるか起き掛けのわれより一頭の奔馬跳ね出(い)ず 
 
福島に本当の森も呼び戻せ今朝学童の鼓笛隊行く 
 
ああ福島セシウム深野嘆く吾(あ)を夕顔の花が笑ったような 
                       (3首 波汐國芳) 
 
火のごとし 生命を繋ぐ蟬声を浴みて瓦礫の兵の墓石 
 
筆舌につくし難かる唯一にて世界は知らず原爆の惨 
                       (2首 秋元千恵子) 
 
エノラゲイに乗りし神父の罪と罰キリストに問ふ朝の炎天 
                       (石橋妙子) 
 
核廃棄物の処理もなし得ず原発を再稼働させ再びの事故 
 
四つの地震プレートのせめぎ合ふうへのわれらの氷上の舞 
                       (2首 實藤恒子) 
 
黒い袋フレコンバッグに詰められし除染廃棄物福島を出(で)ず 
 
福島に廃炉は成らずおそらくはわが子の子の子の子の子の世まで 
                       (2首 武田弘之) 
 
広島の勤労動員学徒の碑ゆきてひとりのわれ立たせたし 
                      (橋本喜典) 
 
ヒバクシャのサーロー節子の活動の結語「光に向かって進め」 
                      (日野きく) 
 
濠ばたに茂るユーカリ被爆樹とう案内板を隠そうほどに 
 
花言葉〈再生〉なればヒロシマに生きつづけ来し大樹ユーカリ 
 
生徒らはオバマの鶴を見たいと言うサダコの鶴を知らないという 
                       (3首 相原由美) 
 
エンタープライズ初入港より五十年、佐世保の街と基地の歳月 
                       (久保美洋子) 
 
六日、また九日いつさいに触れざりし核禁止条約。日本国首相は 
                       (中西洋子) 
 
山積みのフレコンバッグ眼裏をなかなか去らず春のあけぼの 
                       (塚本諄) 
 
一年に三百六十五回ある十一時二分の今日のそのとき 
 
閃光は斧となりにき斧となり人の頭蓋をを打ち砕きたり 
 
ガラスといふガラスが砕けちりしときなんと無防備な人間の皮膚 
 
人か人を殺むることの効率のよさ際立ちて原子爆弾 
 
七万のひとを殺さないといふことは一人の人を殺さないこと 
                       (5首 馬場昭徳) 
 
答なく凍りつく夏 被爆者の「あなたはどこの国の総理?」に 
 
クスノキの洞の深みは水疱と見せて黒びかりせり「忘るな」 
 
原爆と戦ふ全て曝したりクスノキそよぐ 谷口稜瞱(たにぐちすみてる) 
                       (3首 本渡真木子) 
 
平和公園の泉のほとりに集いいる鳩よ裸足で熱くはないか 
                       (上川原緑) 
 
空越えて消ゆるはアトム、科学の子。否いな北のミサイルなりき 
 
あの夏の閃光(ピカ)、ドン あまた人間(ひと)の影。小(ち)さき男(を)の子と太つた男(をのこ) 
                       (2首 棗 隆) 
 
折り紙の雛(ひいな)を渡しくれたるは悲傷の春を知らぬ六歳 
 
三月の空をはるばるときてひかる雪と雨とはにおいがちがう 
                       (2首 斎藤芳生) 
 
  ◇題詠秀歌から原子力詠の抄出◇ 
中間貯蔵施設進まずわが庭に仮置き汚染土七年経たり 
                       (福島県 大槻弘) 
 
ふる里の土付き新じゃがが届きたりセシウム検査済みの文添え 
                       (東京都 淺田みどり) 
 
神様へたった一つの願いです「フクシマ」を元に戻してください 
                       (栃木県 河原美恵) 
 
  ◇「作品点描」に抽かれた原子力詠◇ 
 〈作品点描1 染野太朗〉 
▼波汐國芳の作品 
福島をうつくしまなんて自惚(うぬぼ)れの爆ぜてすかすかとなりし島はや 
 
唯一人ぶらんこ漕ぎて足に蹴るセシウムまみれの夕焼け空を 
 
陽(ひ)が昇る その向こうにも昇る陽のずんずん小さき明日がつらなる 
 
通院の妻に付き添いゆく日なり身に葉牡丹の渦抱(だ)き込みて 
 (染野氏は「継続する明らかな批評、というより、ほとんど怒りと言ってよいほどの感情の迫力。『自惚れ』『すかすか』『セシウムまみれ』といった語句そのものの強さだけでなく、たとえばブランコの反復や『ずんずん』という語が導く動きの重みそのものがまるで怒りの喩のようなのだ。…」と記している。 筆者) 
 
▼武田弘之の作品 
福島に廃炉は成らずおそらくはわが子の子の子の子の子の世まで 
 (染野氏はこの作品について「「子の異様なくりかえしに批評が滲む。」と記している。 筆者) 
 
  〈作品点描3 内山昇太〉 
▼香川ヒサの作品 
隣国で水爆実験成功し安全資産の「円」高くなる 
 
  〈作品点描4 藤島秀憲〉 
▼藤原龍一郎の作品 
昭和二十年八月五日 広島の小学生太郎の食べた夕飯は何? 
 (藤島氏はこの作品を「『最後の晩餐』という課題を与えられた連作中の一首。原爆投下前夜の『太郎』に焦点を当てた異色作。」と評した。筆者) 
 
  〈作品点描6 松村正直〉 
▼林 和清の作品 
ヒロシマ、ナガサキ…そのさきにまた片仮名の都市を量産する計画(はかりごと 
 
いや真つ先にキョ―トが生まれた筈だつた蓮池を風がひるがへしゐる 
 (松村氏はこの2首について「実際に原爆が投下されたのは広島と長崎の二つの町だが、アメリカ軍の計画や予定ではさらに多くの町が投下目標となっていた。作者の住む京都もその一つ。原爆が落ちていたら町の風景は全く違ったものになっていただろう。」と記している。 筆者) 
 
  〈作品点描7 遠藤由季〉 
▼本田一弘の作品 
亡きひとの言葉と記憶をうけつがむために訛りてゐたるわれらは 
 
ふくしまに生れし言葉よふるさとの土を奪はれさまよふらむか 
 (遠藤氏は「福島という風土、そこに生き継いでいる魂と対話しながら詠う。その土地独自の言葉はその土から生まれ、土に生きる命そのものであり、そこに暮らす人々と密接にかかわり合う。…土を奪われた言葉は行き場を失う。だからこそ自らが土となり、言葉の場としてすくい続け、さまよう言葉たちと対話し続ける。…」と評している。筆者も福島の歌人である本田さんの短歌作品の響きに魅かれ、原発事故被災の地で詠い続けている本田さんを大切な歌人だと思っている。 筆者) 
 
 次回も原子力詠を読みたい。              (つづく) 


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