2019年02月09日20時50分掲載  無料記事
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社会

私の昭和秘史(1)はじめに「 英霊たちの慟哭」 織田狂介

 かつて自らをアウトサイダーのジャーナリストと呼ぶ硬派の社会派記者がいた。織田狂介のペンネームで名をはせたその人は、多くの仲間を特攻出撃で死なせた怨念を抱えながら、”戦後”を生き抜き、その闇を凝視してきた。彼の終生のテーマは「天皇とはいかなる存在か」であった。天皇代替わりの今年、彼の遺言ともいえる未発表原稿を遺族のご好意で本誌に掲載できることとなった。感謝したい。(日刊ベリタ編集長 大野和興) 
 
 私たち昭和初年代に生まれた多くの仲間たちの殆どが、あの太平洋戦争末期には“特攻出撃”などという、どうにもならない自殺行為にまで参加し、生命を賭けて守ろうとして「祖国日本」とは、いったいなんであったのだろうか。そして、そうした行為を黙っていた「天皇陛下」とは、いったいどんな存在だったのか・・・・。それを改めて正面から問い糺そうとしたのが、この小著の意図であり本音である。 
 私は率直に言って、この時代こそは「悪魔に支配された闇(ヤミ)の時代」だったのではないかと思えてならない。私たちの少年時代から青年期にかけての貴重な過渡期での、さまざまな生活体験や、自らの足跡をふりかえってみるとどうしても、そうであったとしか思えぬ、なんとも得体の知れない妖怪の存在と、その“不気味さ”を実感してならないからだ。 
 
 そんな私自身の想いと懊悩のすべてを赤裸々に告白しながら執筆した、これはすべて事実に基づいた私自身の体験による『昭和秘史』である。主として私の少年期に発生した昭和11年の、いわゆる「2.26事件」前後の状況と、この事件で死んでいった青年将校たちへの想いと、「天皇陛下」の存在。さらに昭和19〜20年にかけての太平洋戦争末期、あの「特攻出撃」で死んでいった私たちの先輩や盟友たちの心情への想いと、そのときの「天皇陛下」や陸海軍首脳たちの存在。そして、さらには、いまなお私たちの胸奥には、これら先輩朋友たちが“幽明境”を放徨(さまよい)ながら、偲び泣くが如くに「慟哭」しつづけている―という厳然たる事実を彼らに代わって活写したつもりである。 
 
 そして、さらにこのこの続編として書き綴ろうとしているのは、辛うじて、なんとか生き延びて「生まれかわったつもりの私」が、戦後のあの混乱期から日本経済の高度成長期にかけて、アウトサイダーのジャーナリストとして体験し実見聞してきた、戦後の「妖怪(フィクサー)や魑魅魍魎(ちみもうりょう)たち」の悪業のすべてをそのまま粉飾せずに活写していくつもりであることを申し添えておきたい。私がこの「昭和時代こそは悪魔に支配された」と指摘する所以は、この『昭和秘史』に明確にされるはずである。 
 
≪プロフィール> 
織田狂介 本名:小野田修二 1928−2000 
『萬朝報』記者から、『政界ジープ』記者を経て『月刊ペン』編集長。フリージャーナリストとして、ロッキード事件をスクープ。著書に、「無法の判決 ドキュメント小説 実録・駿河銀行事件」(親和協会事業部)・「銀行の陰謀」(日新報道)・「商社の陰謀」(日新報道)・「ドキュメント総会屋」(大陸書房)・「広告王国」(大陸書房)などがある。 


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