2019年04月08日12時42分掲載
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農と食
1人の手練れの百姓がいなくなった 大野和興
数日前、リンゴ農家の諏訪さんが亡くなった。
葬儀があった翌日の昨日、朝日俳壇でこんな句を見つけた。
冬草や竹馬の友は畑に死す
今治市の金子敏雄さんの作品とある。諏訪さんとの付き合いはここ20数年程度でぼくは秩父の産ではないから、もちろん竹馬の友ではないし、年も諏訪さんは85歳で亡くなったのだからぼくより6歳年上ということになる。
諏訪さん自宅と自宅に隣接するリンゴ園はぼくの家から150メートルほど、畑に通う道すがらなので、朝夕顔を合わすたびに声を掛け合た。急ぐときはリンゴの話はしないことにしていた。ことリンゴに関する限り、諏訪さんは話し始めたらとまらないからだ。
諏訪さんのリンゴおいしかった。過去形でいわなければならないのは、なんとも残念なのだが。毎年冬からいまの時期にかけては園を深く掘り起こし、落ち葉やわらを積んだ堆肥を播いていた。消毒はできるだけ控えているけど、全くしないわけにはいかないからなぁ、と話していた。あんなに香りがよくておいしいものに虫やカビが来ないわけはないので、北海道のような乾燥した冷涼な気候のところでも、防除カレンダーでは年十数回播くことになっている。それを諏訪さんのように数回に押さえるのは、生産者として容易なことではない。
諏訪さんのリンゴは、おいしいので直売で全部売り切れた。ぼくのところでも友人、知人に送ったが、秩父でこんなにおいしいリンゴが出来るのか、とみんなびっくりした。リンゴの樹は150本ほどの小さいリンゴ園だが、諏訪さんはこの園で家族を養い専業農家として生きてきた。そのほか干し柿や園の隅に植えたコンニャク玉を摺り下ろして昔ながらの手法で作ったコンニャクなども売ったりした。農学者津野幸人が中国地方の中山間地を舞台に描いた「小さい農業」そのままの農業の姿が、秩父という中山間地の、それもぼくのご近所にも生きていた。
遺族はお棺に木の枝を二本入れた。一本は、まさに今咲こうとしている桜。向こうについたら先に行っているお連れ合いと花見をしてくださいという思いを込めた。もう一本は、諏訪さんの自慢のリンゴ「群馬名月」の枝。群馬名月はその名の通り群馬で育成された品種で、香りと水気がたっぷりあり、甘さも程よい黄緑色、黄色の実をつける。諏訪さんの群馬明月の収穫をみんな待っていた。諏訪さんは自他ともに認める接ぎ木の名手だった。向こうでお連れ合いとまたリンゴ園のはじめてくださいという思いを託した。
お連れ合いが亡くなったしばらくして園の中でぼんやり立っている諏訪さんに会った。「百姓というには一人ではできないもんだな、大野さん。二人でやっていたのもが一人になると、5人分くらいの手間がかかる」と話した。
1人の手練れの百姓がいなくなった。リンゴ園の後を継ぐ人は今のところいない。
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