2019年04月10日00時23分掲載  無料記事
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憲法

民主主義の基本は多数決ではない。基本は自治と表現の自由にある

 アベ政権の「新元号奉祝から改憲へ」戦略に迎合するかのような大手メディアの騒がしさである。 
 しかし、自分自身の、そして身近な人々の生活世界をどうすべきか、どうしたら危機を回避し、少しでも良くできるかを思案するなら、騒がしい虚妄は不要である。 
 ここではシリーズとして、改めて改憲に反対する多角的な視点、それも市民一人一人の熟考から生まれた論考を紹介していきたいと思う。第1回は、「合区」問題についてである。(伊藤一二三) 
 
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【「合区」解消改憲案、なぜ許してはならないか】 
(本間正吾 2019年3月執筆) 
 
 2018年3月、自由民主党は「改憲4項目」なるものを公表しました。そのひとつに参議院の選挙区にかかわるものがあります。いわゆる「合区」解消改憲案です。 
 もともと具体的な選挙方法など憲法の中に書き込むほどのものではありません。細かいやり方は「法律でこれを定める」で十分でしょう。ところが改憲までして選挙区の画定方法を憲法の中に書き込もうとしています。不必要と言わざるを得ません。 
 ただこの改憲案を読んでみると、不必要だと言うだけではなく、とんでもない問題が隠れていることがわかります。こんな改憲を許してしまうと、参議院だけではなく衆議院あるいは地方議会まで含めた“代議制民主主義”の土台そのものが破壊されてしまいます。 
 
1. 現在の憲法の中で選挙制度を考える。 
 
 選挙制度について、現在の憲法がその47条で定めるところはいたってシンプルです。「選挙区、投票の方法その他両議院の議員の選挙に関する事項は、法律でこれを定める」と書いてあるだけです。ですから具体的なやり方は法律で決めればいいのですが、その際は当然、憲法の他の条項を考慮しなければなりません。 
 
 考慮しなければならない他の条項としては、次のものを挙げることができるでしょう。 
 公務員の選定にかかわる“15条”、そこでは公務員の選定と罷免を「国民固有の権利」と明記するとともに、「すべての公務員は全体の奉仕者であって、一部の奉仕者ではない」と定めています。 
 さらに国会の組織にかかわる“43条”では「両議院は、全国民を代表する選挙された議員でこれを構成する」となっています。 
 そして何よりも「すべて国民は法の下に平等であって」と定める“14条”を忘れてはいけません。 
 
 こうした条項を考慮すると、どんな選挙制度になるでしょう。 
 まず14条に基づくならば、一票の重さに格差があってはなりません。 
 そして15条にしたがうならば、選出される議員は、特定の地域の代表でも特定の業界の代表であってもなりません。 
 さらに43条を考えるならば、例えばあまりにも「死票」が多くて投票総数のごく一部を獲得しただけで当選してしまうような場合には、「全国民」を代表する議員を選んだとは言えなくなってしまうでしょう。 
 そんな事態は避けなければなりません。つまり現在の憲法が求める選挙制度とは、票の重みに軽重が無いように人口を考慮した選挙区、なるべく多くの人の意思が代表されるような投票の方法、そういうものになるはずです。もちろん完璧な仕組みを作ることは難しいでしょう。でも可能な限り理想に近い仕組みを作るよう努力しなければならないはずです。 
 これまでも選挙区ごとの票の重みの格差は衆参両院ともに大きな問題となり、憲法判断を求める訴訟も起こされました。一昨年の衆議院選挙においても憲法判断が求められ、一応「合憲」という判断がくだされました。しかし、有権者数が最少の選挙区と最多の選挙区の票の重さの違いは2対1になっており、調整の必要性は判決でも認めざるを得ないところでした。 
 参議院はさらに深刻です。都道府県をそのまま選挙区としているだけに調整は難しく、2010年の選挙では格差は5対1にまでなり、最高裁もついに「違憲」と判断せざるを得なくなってしまいました。 
 
2. 「合区」解消改憲案とは何か? 
 
 そこで2016年の参議院選挙において、人口の少ない鳥取県と島根県、高知県と徳島県をそれぞれ合わせて選挙区とする、いわゆる「合区」の仕組みを作ることになりました。これでなんとか有権者数最少の選挙区と最多の選挙区の票の重さの違いをほぼ3対1に抑えることができました。 
 でも、問題はこれで解決したわけではありません。まず、この3対1という格差自体がそれで許される範囲なのかが疑問です。また、人口の変動が今後も続くならば、さらに格差は大きくなり、他県でも同じようなことが起こる可能性もあります。やはり「合区」というやり方では問題は解決しないのです。 
 さらに、この「合区」というやり方そのものが問題として取り上げられるようになりました。ふたつの県を合わせることにより、いずれかの県出身の議員がいなくなる、これが問題だというのです。 
 しかし、二つの県の有権者が一緒に議員を選ぶだけですから、選ぶ側の権利ということでは問題は無いはずです。選ばれた議員も国会議員ですから、全体を考えて行動すればいいはずであり、その点でも問題は無いはずです。ところが「○○県出身」の議員がいなくなるのは大変だと騒がれ、大きな問題として取り上げられたのです。 
 そこで、とりあえず「特定枠」なるものを全国比例区に付け加え、出身議員がいなくなる県に配慮しようというやり方が考え出されました。しかし、こんな姑息かつご都合主義きわまりない方法で乗り切れるわけはありません。 
 そこで問題を抜本的に解決するために、憲法そのものを変える案が浮上しました。それがここで問題にする、「合区」解消を理由とした改憲案です。 
 
3. どう変えようとするのか? 
 
 いま伝えられるところの自由民主党の素案ではこうなっています。 
 
 改憲47条 
「両議院の議員の選挙について、選挙区を設けるときは、人口を基本とし、行政区画、地域的な一体性、地勢等を総合的に勘案して、選挙区及び各選挙区において選挙すべき議員の数を定めるものとする。参議院議員の全部又は一部の選挙について、広域の地方公共団体のそれぞれの区域を選挙区とする場合には、改選ごとに各選挙区において少なくとも1人を選挙すべきものとすることができる。 
 前項に定めるもののほか、選挙区、投票の方法その他両議院の議員の選挙に関する事項は、法律でこれを定める。」 
 
 この関連で「広域の地方公共団体」なるものも憲法上で定めなければならなくなります。そこで「地方自治の基本原則」を定めた92条も変えることになります。 
 
改憲92条 
「地方公共団体は、基礎的な地方公共団体及びこれを包括する広域の地方公共団体とすることを基本とし、その種類並びに組織及び運営に関する事項は、地方自治の本旨に基づいて、法律でこれを定める。」 
 
 47条、92条、いずれの改憲案にも大きな問題があります。ただしここでは選挙制度にかかわる47条にしぼって考えます。92条にかかわる問題については、地方自治のについて考える別の機会に譲りたいと思います。 
 
 では47条改憲案を見てください。そもそも参議院が問題だったはずなのですが、なぜか衆議院も含めて、「選挙区を設けるときは、人口を基本とし、行政区画、地域的な一体性、地勢等を総合的に勘案し」となっています。 
 その上で参議院については「広域の地方公共団体」から「少なくとも1人」を選挙しなければならないという規定を入れるわけです。改憲を進める側は、「合区」問題を解消しようというだけで、現在のしくみを変えようとは思っていないと言うかもしれません。しかし、選挙区を画定する場合の基本的な条件がこれにより全面的に変わってしまいます。この案が通ってしまえば、人口のバランスから見て問題があっても、「その他の条件を総合的に勘案」してこうなった、と開き直ることも可能になるのです。とうてい部分的な変更などではありません。 
 こうまでして「合区」解消にこだわる理由は何なのでしょう。そもそも参議院において「広域の地方公共団体」、都道府県を選挙区としてきたこと自体、その理由は説明されていません。参議院が都道府県の代表者により構成される立法機関だと位置づけられてでもいれば分かります。でもそんなことは憲法のどこにも書いていません。都道府県の枠にこだわる意味は何なのでしょう。 
 
4. 「行政区画、地域的な一体性、地勢等」とは一体何なのか? 
 
 もともと選挙を行う上で行政区画を勘案する必要など無いはずです。国民の代表を選んでいるのであって、行政区画の代表を選んでいるわけではないのですから。たしかに選挙管理事務を行う上では行政区画を考慮した選挙区というのは都合がいいかもしれません。ただその程度の話です。また山や川や島といった「地勢等」が選挙にどう関わるのでしょう。選挙運動の際に車を走らせる上では地勢が影響するかもしれません。しかしそれだけのことです。山や川が政治に関わるわけではありません。 
 とはいえ、この中の「地域的な一体性」という言葉には一定の説得力があるかもしれません。「地域の“一体性”も、ある程度気にしながら議員を選ぶということも必要かな」と思う人はいるかもしれません。 
 でも考えてみてください。投票行動は個人が行うものであり、だれにも干渉されてはならず、周りのしがらみにとらわれてもいけないものなのです。だからこそ「投票の秘密」も守られなければならないのです(15条)。つまり投票行動は「地域的な一体性」などに左右されてはならないはずのものなのです。 
 
 そもそも「地域的な一体性」とは何なのですか。 
 「広域の地方公共団体」、具体的には都道府県ですが、それは統治の都合上、国土を分割して設置したものにすぎません。その枠組みができたのは百数十年前のことでした。もともと生活圏のまとまりから生まれたものでもありません。農村での生活が基本である時代、生活圏などはごく小規模なものです。それでも都道府県の枠ができることにより、その枠内でさまざまな分野のまとまりが形成されていきます。 
 つまり政治、経済、教育などは都道府県の枠の中で動きます、それによって都道府県ごとのまとまりが歴史的につくられていくことになりました。都道府県を単位とする、地方の政界、財界、教育界等の「○○界」の形成です。 
 かんたんに言ってしまえば、「地域的な一体性」とよばれるものの正体はこれです。これを言い換えれば、「地域的な一体性」とは地域の各種利害関係のまとまりだ、ということになります。 
 
 こうした「地域的な一体性」を勘案して選挙区が定められることになるならば、選挙というものの性格は大きく変わります。 
 先ほども言ったように、民主的な投票行動とは地縁や血縁、政治的経済的利害にも影響されることなく、自分の政治信条と良心にもとづいて代表者を選ぶものです。そして選ばれた議員たちも、地域や業界などの政治的経済的利害関係の代表としてではなく、国民全体の代表として、一部ではなく全体に奉仕するものなのです。 
 改憲案のように「行政区画、地域的な一体性、地勢等を総合的に勘案」して選挙区が画定されるようになってしまえば、有権者は地域のしがらみの中で投票し、議員は地域の利害あるいは「○○界」の代表として選ばれるということになってしまいます。 
 これでは現在の憲法がもとめている代議制とはまったく異なる仕組み、むしろ現在の憲法が否定する仕組みになってしまうでしょう。 
 
5. 「合区」解消改憲案をゆるしてはならない理由。 
 
 47条の改憲案は参議院の「合区」の問題からはじまる、そのようにマスコミ等も伝えています。 
 事実経過はそうかもしれません。しかしここで見てきたように、参議院に限らず、すべての選挙の意味はこの改憲により根底から変わってしまいます。 
 投票行動を個人の思想信条に基づく行動として保障し、選ばれた議員たちには各人の良心に基づいて国民全体のための行動を求める、これが現在の憲法の定めるところなのです。 
 これを「きれいごとだ、理想にすぎない」と言ってはなりません。たとえ実現が難しくとも、選挙制度というものは、常に可能な限り理想を求めて作られていなければならないのです。そうでなければ代議制に正統性を担保し、民主主義を支えることができなくなってしまいます。「参議院の一部に限った話」と言いながら代議制民主主義の土台を破壊する、この改憲案を許してはなりません。 
 
(『子どもと法・21通信』より転載) 


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