2019年04月22日16時14分掲載  無料記事
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「バナナと日本人」と「エビと日本人」 市民と研究者が手を携えて生まれた名作

  テレビとか新聞は基本的に「現在」を扱ったメディアですから、10年前、20年前、30年前の日本人がどういう感覚で暮らしていたか、実際にどういう暮らしだったのか、そうしたデテールは忘却される傾向があります。テレビのドキュメンタリー番組でも時代時代でトレンドもナレーションも大きく変わっています。1980年代のバブル時代の表現と、今日の貧困化する日本における表現は大きく違っているはずですが、そうした対比を実感できる機会はほとんどなく、いつも「現在」しかないために「現在」がずっと昔からそうだったかのような錯覚を抱いてしまいがちです。 
 
  鶴見良行著「バナナと日本人」が出版されたのは1982年、村井吉敬著「エビと日本人」が出版されたのは1988年です。いずれもロングセラーの名作です。著者の鶴見良行も村井吉敬も、NGOであるアジア太平洋資料センター(PARC)に参加してアジア諸国を旅しながら、現場を歩いて問題を探る活動を続けていました。とくに消費地である日本と、原料や食品を供給するアジアの周辺国との経済関係がこれでよいのか、ということをバナナやエビといった日本で人気のある一商品に着目して問い続けていました。当時を振り返ってみると、1970年代から80年代にかけて日本は経済発展がピークに向かい、円の価値が上がった結果、様々な食品を各地から大量に輸入する国へと変わりつつありました。このグローバル化の流れは、のちには日本の工場の海外移転などの空洞化の問題とも関係してきます。 
 
  鶴見氏も村井氏もアジア太平洋資料センターで活動しながら、グローバル化の足元で起きている問題を1980年代に早くも問題提起していました。現地労働者への搾取とか、農薬による健康問題、あるいはエビなどの輸出換金商品の生産拡大による環境破壊、さらには現地の文化への影響などです。それから30年〜40年近く時が移った今、海外に対して影響力を行使してきた日本人が逆にグローバル化の影響に飲み込まれています。鶴見氏や村井氏らがこれらの本を書き上げ出版した時代は日本経済が絶頂に向かう時代でしたが、今は大衆の実質の所得が低下し、どんどん貧しくなりつつあります。では、1980年代に彼らが提起した問題はどうなったかと言えば、多少、現象面で変化はあるにしても、基本的な問題は今日まで脈々と続いているようなのです。その意味で、これらの本は今日読んでも面白いですし、いろんなことを考えさせられます。アジア諸国の問題だけではなく、彼らがその実践を通して、日本の調査活動のあり方に対する問題提起をもしていることです。 
 
  鶴見氏も村井氏も大学の研究者でもありましたが、フィールドワークを重視し、常に現場に立って歩きながら考えることを重視していました。時には専門の異なる研究者たちが関心を持つ市民とともに1隻の船をチャーターして現地探査をしていたそうです。多彩な人同士で観察と考察を突き合わせ、ディスカッションすることで複数の視点が共有されていたのです。書斎で統計データとか、ネット資料だけをキリバリして書いたものとは異なるまったく書物なのです。しかし、現地で見たことだけで書くわけでもなく、それらを執拗にデータと突き合わせてねちっこく検証する姿勢も持っていました。現地での調査と日本での調査・研究・資料の分析、それら2つの柱があって初めて実現したものです。今日、これらの本が調査報道の基本書として読者の方々から高く評価される理由です。しかし、当時、彼らの研究していた領域は未だ学会では新しいジャンルだったこともあり、問題意識を共有する市民の参加と支援が力になっていました。そして鶴見氏も村井氏も学会で発表するにとどまらず、広範な市民に向けて本を書くことで大衆に問題の存在や背景を知って欲しいと願っていました。 
 
  アジア太平洋資料センターは研究者と市民が手を携えて調査研究を行う場として、今も活動を続けています。そうした幅の広い研究のあり方をこのNGOの参加者たちが創り出したことは今日、非常に大きな意味を持っていると思います。というのは、今の時代、ジャーナリズムと大学と市民が手を携えることで初めてできる領域が拡大しているからです。スポンサーや国家がメディアや大学に及ぼす力が今日のように強まっている時代において市民が参加する調査・研究・報道の必要性はますます高まると私は見ています。そして、それぞれのプレイヤーたちが所属する組織のカテゴリーの敷居を越えて協力し合う必要も増えていると思います。 
 
  私は昨年、アジア太平洋資料センター製作の「甘いバナナの苦い現実」というビデオ制作で監督をつとめましたが、その際、テレビと異なって多様な専門領域を持つ市民の方々の様々な意見を聞きながら仕上げていきました。もともとアジア太平洋資料センターには1970年代の末からの鶴見氏らによる膨大な研究の集積があります。さらにその影響を受けて育った中堅の研究者もたくさんいます。それらの情報は取材と編集の大きな手助けとなった反面、今の理事たちの多様な意見もたくさん出されるのでビデオに1つにまとめるのは大変でした。しかし、その大変さこそがそれまでの自分になかったいろんな視点から問題を見つめることができる貴重な経験となったと思います。私一人の経験にとどまらず、今後、映像や活字などのメディアが市民の視点を取り入れることはますます必要になってくることのように思えてなりません。 


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