2019年05月02日22時54分掲載
無料記事
http://www.nikkanberita.com/print.cgi?id=201905022254344
社会
昭和秘史(14) 斉藤瀏『獄中の記』にみる 2・26事件と恋闕の情 織田狂介
まず、その一文である『召人・斉藤史(あや)』と題するエッセイを紹介しておこう。これは平静10年新春の「歌会始め」に召人として招かれた歌人・斉藤史さんのことについて、やはり歌人でありかつエッセイストとしても知られる佐伯裕子さんが、毎日新聞・文化欄コラム『短歌トピックス』に寄せられた一文である。
――野の中のすがたゆたけき一樹あり 風も月日も枝に抱きて
斉藤史新春の「歌会始めの儀」の今年の題は「姿」だった。右は召人として天皇に招かれた斉藤史(87歳)の一首である。明治以降、3人目にあたる女性の召人であった。宮中に招かれて歌を詠む感慨を問われ、「わたしのような者にお召しがかかったことに驚いております」と応えている。謙譲ともとれるコメントの裏に、激しく濃い思いのひそむ気配がして、わたしはひと日を捕われていた。(傍点は筆者)
歌集『魚歌』(昭和15年刊)により、モダニズム歌人として鮮烈に登場した史だが、旧軍人だった父・瀏(りゆう)は、昭和11年の2・26事件の際、反乱ほう助罪で官位(陸軍少将)を失っている。また幼なじみの青年将校たちが銃殺刑になった衝撃を、くり返しうたってきた歌人でもあった。その子の史が60余年を経て、宮中に列する胸中はどのようなものであったか、と考えてしまったのだ。
2・26事件に関しては、『魚歌』当時は、次のようにうたわれていた。
・濁流だ濁流だと叫び流れゆく末は泥土か夜明けか知らぬ
・羊歯の林に友ら倒れて幾世経ぬ視界を覆ふしだの葉の色
・額(ぬか)の真中(まなか)に弾丸(たま)をうけたるおもかげの立居に憑きて夏のおどろや
・いのち凝らし夜ふかき天の申せども心の通ふさかひにあらず
「反乱軍などと思いもよらぬ汚名のままに・・・」、そんな悲憤の伝わる歌だ。「歴史が明らかにする」という信念を抱きつつ訴える対象が、ただに「天(あめ)(天皇)」ひとりに絞られているのも、彼らの遺志をひきついだもののように読める。(傍点は筆者)
平成の天皇の前に、額を上げて立つ斉藤史の姿を見て、これはひとつの物語なのだ、と私は感じていた。日本が遠く忘れて来た物語を、女性ゆえに、長い戦争の世をも生きのびて、男たちの敗北の思いに語る、ひとりの伝承者として立っていたのである。
<野の中のすがたゆたけき一樹(いちじゅ)あり風も月日も枝に抱きて>。
激しい憤りはひそまり、何もかも包みこむような風のような歌が、ここも過ぎく場所にすぎない、と囁いていた。<歌人>・・・」(原文のまま)
私は、このエッセイを読みながら、思わず胸が締めつけられるように痛み出し、悲憤の嗚咽(おえつ)を止めることができなかった。そして、この一文を書いた佐伯裕子という女性の、なんとも鋭い洞察の心根に深い感謝と共感を捧げたものである。――そして、この凄い感性の持主である斉藤史さんに、まごうかたなき2・26事件当時の斉藤瀏少将の、あの無念さがそのまま残像となって重なっているのをかいまみる想いがしたものである。
斉藤瀏は昭和3年、陸軍少将のときに中国革命軍と日本軍は交戦した「済南(さいなん)事件」の責任をとらされ予備役の編入され、さらにその後の2・26事件に関与し、青年将校たちの「反乱をほう助した」罪で入獄するという悲運の軍人として知られている。そしてまた一方では、明治末期(日露戦争のころ)から佐々木信綱に師事した歌人として秀れた人物であった。私の父が、どういう経緯で、この斉藤瀏の『歌集』を座右に置いていたのかは知る由もないが、ふと思い浮かんだことは、そういえば私の父も陸軍の一兵卒として、あの大正時代bの第一世界大戦に応召され中国大陸の「青島(チントウ)作戦」(ドイツの植民地があった)に参加したことを聞かされていたことがある。ひよっとしたら、そのこと若い父が斉藤瀏少将に私淑していたのかも知れない。
斉藤瀏は、事件の主導者だった青年将校たちに慕われ、家族ぐるみで暖かい支援と交際を続けていた。なかでも岡田啓介首相を官邸に襲った栗原安秀中尉と、娘の史とは幼馴染みということもあって、特に目をかけて慈しんでいたといわれる。彼ら青年将校蜂起のときにも率先して現場に駆けつけ、陸軍首脳らとの会談にも立ち会ったり、公正なアドバイザーとしての役割を果たしていたが、やがて彼らが、「反乱軍」の汚名をきせられ入獄し、さらには獄中で非業の死を遂げたのちにも、その慈愛は変わらず、むしろ熱く烈しさを増していったもののようである。
そして、こうした経緯を自らの行動を省みながら綴った『獄中の記』のなかに、その深い想いは籠められており、さらにはいく十数首にわたる当時の彼の歌のなかにも、その心がうかがえて読む人々の胸を打つ。その和歌のいくつかを挙げておこう。
・そこに少しの日陰をつくれひるがほよ花は汚れて骨埋めらる
・暁のどよみに答え嘯きし天のけものら須臾にして消ゆ
・たふれたるけものの骨の朽ちる夜も呼吸づまるばかり花散りつづく
・友等の刑死われの老死の間埋めてあはれ幾春の花散りにけり
≪プロフィール>
織田狂介 本名:小野田修二 1928−2000
『萬朝報』記者から、『政界ジープ』記者を経て『月刊ペン』編集長。フリージャーナリストとして、ロッキード事件をスクープ。著書に、「無法の判決 ドキュメント小説 実録・駿河銀行事件」(親和協会事業部)・「銀行の陰謀」(日新報道)・「商社の陰謀」(日新報道)・「ドキュメント総会屋」(大陸書房)・「広告王国」(大陸書房)などがある。
Copyright (C) Berita unless otherwise noted.
日刊ベリタに掲載された記事を転載される場合は、有料・無料を問わず、編集部にご連絡ください。ただし、見出しとリード文につきましてはその限りでありません。
印刷媒体向けの記事配信も行っておりますので、記事を利用したい場合は事務局までご連絡下さい。