2019年06月04日21時12分掲載  無料記事
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コラム

メディアーキーとメディアナルキー  いかに世界同時多発性からリズムをずらすか

  先月、フランス人の研究者の方々との映像に関するシンポジウムに参加しましたが、その時、「メディアーキー」という言葉をフランスの知識人が提唱しているということを知りました。メディアーキーという本が書かれており、作者はイブ・シットン(Yves Citton)という名前のパリ第8大学の研究者です。生まれはスイスのようですが。僕は未読なので、詳しい話はできませんが、多少なりともイブ・シットン氏のテキストを読んだ限りでは、国境を越えたインターンネットメディアの大企業の影響力が強まり、これがリスクを高めていく可能性があると言うことのようなのです。シットン氏は一例としてサッカーのワールドカップみたいに、1人の選手のゴールが決まった時に世界中で億単位くらいの人が同時多発的に同じ反応を取る例をあげていました(応援するチームが逆なら喜怒哀楽も逆でしょうが)。こんな風に、ますます緊密にメディアの映像を通して、私たちは結びつけられてきたということです。 
 
  しかし、これは果たして良いことなのだろうか、とシットン氏は問いかけます。しかも、ある行為が起きてから、それに対する反応までの時間が昔に比べてますます短縮されてきています。たとえば昔であれば手紙で議論していたようなことがツイッターやネットであれば瞬時に応酬が加速して、多くの人を巻き込んでいきます。これは金融がネットで結ばれたことで不安定性を高めてきたのと同様に、世界の不安定性に結びつきかねません。 
 
  こうしたことへの抵抗策として、アナーキーな処し方があり、メディアからあえて距離を取ったり、すぐに反応しなかったり、と世界同時多発性からリズムをずらして、己固有のリズムを持つことを奨励しているのです。これを「メディアナルキー」と呼んでいました。「メディアーキー」に対して、「メディアナルキー」で行こうというのです。 
 
 
■イブ・シットン氏のホームページ 
http://www.yvescitton.net/ 
 
■フランスキュルチュールでのイブ・シットン氏らの話 
https://www.franceculture.fr/emissions/la-suite-dans-les-idees/mediarchie-ce-que-nous-font-lemedias 


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