2019年07月22日01時17分掲載
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検証・メディア
今回の選挙戦、最大の敗者は民間放送局だったかもしれない
今回の参院選、新聞ではTVの選挙報道が民放では4割も減ったと報じられている。投票率は50%を切ったとされ、争点が見えなかったとか、低調だったという声があるが、その責任のかなりの部分はおそらくTV報道に起因するものだろう。特に民放である。
その象徴がれいわ新選組と山本太郎代表の報道であり、政党要件を満たしていないと言って、放送局の多くは投票が終わるまで無視し続けてきた。過去の民放なら面白ければ食いついていったのではなかろうか。面白いと言うことは視聴率もとれる、ということである。ところがそれをしなかったということは選挙報道の本質を見失っているし、資本主義の原理も機能していないことを意味する。多くの人がツイッターで、放送局が投票が締め切られたら、ここぞとばかりに一斉に報道しはじめたのを見て、怒ったり、呆れたりしている。このことを民放の報道担当者は過小評価するべきではないだろう。TVはどんな時であれ常に持てる力の全力を出し切っていなければ、視聴者に見限られるものである。今回のTVの選挙報道で多くの人はTVを見る目が変わったのではなかろうか。大リーグのレッドソックスの八百長事件と同じではないのか、ということなのだ。
TVを決して批判したいのではないが、未来を思うと暗雲が垂れ込めている。というのもTVが無視している間、れいわ新選組の中継はインターネットで流されて見たい人はそちらに釘付けになったからだ。だから、インターネットの中継や録画で人々は選挙戦を見る味をしめてしまった。これは大きい。品川駅前で行われた「れいわ祭」は放送局が流さなかったみたいだが、あの面白さは日本の歴史に残るものだった。それをその時に放送局は流さなかった(いや、実を言えば筆者は今回の選挙戦の間、TVを見なかった。だからこれはSNSのジャーナリストを含めた様々な人々の書き込み情報に基づいて書いているのだが)。TVの報道関係者にとっては取り返しのつかない痛手だ。もうTVには「お役目ご苦労さん」と感じた人が世の中に確実に何割か増えたと思う。一度信頼を失ったら、取り戻すのは楽ではない、と世間では言う。いずれは選挙の後のスペシャルもネットで行われるだろう。インターネットで時時刻刻、ノーカットで候補者たちの力闘を見てきた人々にとって、開票時の選挙特番のインサート映像は演出意図ばかりが目立ち、冷めたピザでしかない。かつては面白かったのだが、今ではもうさっぱり興奮できないのだ。今回の参院選で確実に何かが一線を越えて変わったのである。
■上西充子著 「呪いの言葉の解きかた」(晶文社)
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■国会パブリックビューイングを見に行く
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