2019年07月28日14時37分掲載  無料記事
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ジョージ・オーウェル著「オーウェル評論集」(小野寺健訳 岩波文庫) オーウェルは冷戦的思考では読めない 

  2013年秋の特定秘密保護法の国会審議と強行採決あたりから、日本ではインターネット世界で英国の作家、ジョージ・オーウェルの近未来小説「1984年」への言及が多くなった。高橋和久氏による優れた新訳版が2009年にハヤカワepi文庫から出版されたこともその背景にあるだろう。Amazonのサイトの売れ筋ランキングを見ると、今でもハヤカワepi文庫の売り上げNo1は「1984年」だそうである。さらに、英米文学のカテゴリーでも6位に位置するのだ。オーウェルが全体主義社会の恐怖を描いた「1984年」がこれほど読まれているのは、わが国に同様の未来が待ち構えているのではないか、と不安を持つ人が多いからだろう。 
 
  驚くことに昭和の戦後の流行作家、開高健はオーウェルの「1984年」が当初、日本で紹介されたころは失敗作だったと思われていたことをどこかで書いていた。なぜかまでは、詳しく書いていなかったのだが、要因の1つはソ連を寓話「動物農場」で風刺したり、スペインのアナキストたちがソ連の支援を受ける武装勢力と連携できず、次第に追い詰められていく姿を冷徹に描いた「カタロニア賛歌」などで、オーウェルが右翼作家と見なされたことにあるらしい。インターネットで「1984年」がわが国で翻訳された時期を探すと、早大教授で米文学者の龍口直太郎が英文学者の吉田健一と共訳したのが1950年とされる。折しもGHQによる戦後日本の民主化から間もなく、朝鮮戦争などを契機に逆旋風が吹き始め、米ソ冷戦が始まろうとしていた頃である。1949年には毛沢東らが中華人民共和国を打ち立てていた。スターリン批判はスターリンが1953年に死んだ後である。 
 
  龍口直太郎と吉田健一がどのような思いで翻訳出版にこぎつけたかはともかく、戦後の逆旋風の中で右翼作家と目され、注目されなかったのかもしれない。こう書いても実際のところ、当時、「1984年」が日本でどう受容されたかは、本当に理解しようと思えばリサーチが必要だろう。それはともかく、ジョージ・オーウェルという作家は「動物農場」でもソ連の社会主義革命の帰結を風刺していたために、左派の人々から敵視されたのかもしれない。それでもオーウェルはいわゆる右派の作家などではなかったのである。右とか、左といったイデオロギーよりもオーウェルは全体主義への闘いを生涯かけて描いたのであり、彼の目標は「民主的社会主義」の確立にあった。これはオーウェル自身が書いていることである。 
 
 「1936年以降のまともな作品は、どの一行をとっても直接間接に全体主義を攻撃し、わたしが民主的社会主義と考えるものを擁護するために書いている」 
 (「オーウェル評論集」収録の「なぜ書くか」より) 
 
  1936年はフランコのクーデターによってスペイン市民戦争が起きた年であり、オーウェルは英国から義勇兵としてカタロニアに渡り、そこで闘い、国際政治の現実にぼろぼろに傷つき、フランコ派の勝利を感じながら英国に帰国する。オーウェルは1936年以来、政治的な文章を芸術に高める努力を行ったと書いている。スターリニズムを批判した寓話「動物農場」が書かれたのは1945年である。 
 
  こうしたオーウェルの歩き方はむしろ冷戦終結後の読者に大きな魅力を与えるものだと思う。オーウェルは冷戦が始まる頃、1950年に死んだ。冷戦が終わっておよそ30年になるが、今、初めて左派とか右派というイデオロギーの枠組みから逃れて、オーウェル作品を読める時代である。岩波文庫から出版されている「オーウェル評論集」には英国の反ユダヤ主義に関する考察も書かれていて、現代の英国左派が反ユダヤ主義との批判を最近受けたことを考えると、オーウェルの視点に注目せざるを得ない。また、ヒトラーに対する考察も通俗的な理解とは異なり、率直に彼の思考を語っていて興味深い。そして、英国の伝統作家群の中にかなりの根太い反ユダヤ主義の流れがあり(作家が積極的に差別しなかったとしても、その描写の中にさりげなく差別観が書かれていることも少なくないと言うのだ)、その中でチャールズ・ディケンズは反ユダヤ主義ではなかったごくわずかの作家だと指摘している。そして、本書「オーウェル評論集」でもかなりの紙幅をディケンズへの考察で埋めていることも改めて読みどころだと思う。このことは皮肉であるが、オーウェルが英国の作家であることを語るものである。 


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