2019年08月12日19時20分掲載
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リュシアン・フェーブル著「歴史のための闘い」
フランスのアナール学派の歴史学者であるリュシアン・フェーブル(1878-1956) の「歴史のための闘い」(平凡社)は訳者の長谷川輝夫氏自身があとがきで述べているように「原著は極めて個性的な文章で書かれ、日本語化が実に困難であり、訳者の力量不足もあって、翻訳の出来栄えは完璧とはとうてい言い難い」。実際、筆者も本書を読んで、アナール学派の基本思考や歩みが述べられている貴重なテキスト群でありながら、読みづらさが残念でならない。解説の二宮宏之氏も書いていることだが、フェーブルはアナール学派の同僚のマルク・ブロック(※)に比べると脱線しがちで、とりとめのない傾向が濃厚だったのかもしれない。
それでも本書は希少な価値を持っている。「歴史と歴史家の反省」ではフランスの歴史学者の歩みが19世紀から説明されており、文献のみを相手にして王や権力者の言動を時系列でつづることを重視した過去の歴史学に対して、資料は歴史のみならず経済から人口まであらゆる資料に拡大し、人間の生きた歩みを描き出すことに軸を変えることの意味を語っている。それは進化思想に縛られ、「現在」を唯一と絶対視した過去の歴史学と異なり、歴史の中で実現できなかったり、発展できなかったりして潰えた傍流にも目を凝らし、その実存的な意味を探ることも歴史学の役割だとしたのである。これは勝者が歴史を書いてきた王族中心の歴史学とは異なる歴史観である。
「トゥール・リーブルの価値が数世紀にわたり徐々に下落したこと、数年の間に賃金が下がったりあるいは物価が上がったりしたことも、れっきとした歴史事実で、我々にとっては君主の死や短命な条約の締結よりいっそう重要なことです」
「歴史は決して与えられているものではなく、通常、歴史家によって創造されるもの、いいかえれば仮説として推論の助けを借り、最新の意を要するそして興味津々たる作業を通じて作り上げられるものなのです」
今年、フランスから来日した歴史学者のイヴァン・ジャブロンカが社会科学を文学にすることで社会科学に100年に一度のイノベーションを起こすことができると語ったが、以前のイノベーションがこの歴史学におけるアナール学派の台頭と言えるのではないだろうか。歴史学を狭い権力史観から、もっと広い民衆の生の実像の把握に力を置いた歴史学に変えた時、歴史学の中に経済学や人口学、人文地理学や社会学が注ぎ込んだと言って過言ではない。ジャブロンカ氏の師匠であるアラン・コルバンもまたアナール学派の歴史学者である。
「歴史のための闘い」はあと少し注を付けたり、解説をつけたり、訳を少し整理したりすればもう少し分かりやすくなるのでは、という気もする。フェーブルのロジックの流れが分かりづらい、これが本書の最大のネックに思われる。しかし、マルク・ブロックのことや、フェルナン・ブローデルのことなどがかなりリアルタイムで書かれているので、過去形ではない生々しい感情が文章にこもっていてその意味でも版を重ねて欲しい一冊だ。
※リュシアン・フェーブルとマルク・ブロック(1886- 1944)は1929年、「社会経済史年報」を創刊した。この時、二人はストラスブール大学の同僚だった。この「年報」のフランス語 Annalesがアナール学派のネーミングとなり、ここから新しい歴史学が始まったと言っても過言ではない。
■歴史家アンリ・ルッソ氏の来日講演 「過去との対峙」 〜歴史と記憶との違いを知る〜
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■イヴァン・ジャブロンカ著「私にはいなかった祖父母の歴史」 社会科学者が書く新しい文学
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■イヴァン・ジャブロンカ氏の日仏会館における講演「社会科学における創作」
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■日本に関心を持つ売れっ子イラストレーター、ノーラ・クリューク(Nora Krug) 村上良太
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■パトリック・モディアノ著「ドラ・ブリュデール」(邦訳タイトル「1941年。パリの尋ね人」)
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■【お正月読書案内】これで歴史はもう恐くない! 独断による歴史本 10日間コース
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