2019年09月02日03時32分掲載
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コラム
豊臣秀吉と竹中平蔵 戦乱から天下泰平へ
竹中平蔵という人を見ると筆者は豊臣秀吉とだぶって見えることがしばしばあります。豊臣秀吉は日本の政治家の頂点に上り詰めた武将でありながら、生まれは貧しかったとされています。であればこそ、子供時代から、頭を使って頭角を現し、ついには時の寵児、織田信長に認められるに至りました。竹中平蔵氏も、庶民の家の出というイメージがあり、頭を使って頭角を現し、時の宰相、小泉純一郎氏のもとで経済財政政策担当大臣などを勤めました。小泉純一郎氏はどこか、織田信長に似て、孤独で変人的な雰囲気を持ち合わせています。藤吉郎秀吉も竹中平蔵氏も、時代の転機に天才的な政界の最高権力者のもとで権力の頂点近くまで登りつめていったことは同じでしょう。その意味で、興味深い人間であると率直に思います。
その一方で、秀吉は庶民の出でありながら、信長亡き後、天下を取り、1586年ごろ、政界の頂点を極めたら、1588年に刀狩り令を出します。これは農民から牙を抜いたに等しい命令です。さらに、1591年には農民と武士、そして町人の間で身分を変えることを禁止しました。それ以前は戦国時代であり、下克上の時代でもあり、どんな貧しい人でも才覚があればのし上げれましたし、農民でも武装して武士と闘うことも可能でした。身分も固定されてはいなかったのです。黒澤明の映画「七人の侍」は野武士の収奪に対して、農民たちが浪人たちの力を借りつつも、自衛の闘いをする映画です。この時代背景は戦国時代末期(1586年)とされ、まさに秀吉が刀狩令を出したり、身分の移動を禁じる命令を出したりする直前の時代です。混乱の中で貧しくても才覚があればのし上がれる時代が、秀吉の天下統一で終わり、以後、江戸時代に向けて固定された身分制社会に移行するのです。
竹中平蔵氏の歩みもまた人間が知恵と努力で頭角を現し、最高権力に至る物語と見ることができると思います。その意味ではまさに現代の藤吉郎秀吉ではないでしょうか。そして、小泉政権から安倍政権にかけて、日本も1980年代のバブル時代から90年代以後のバブル崩壊期にかけての大混乱が次第に収まり(昔風に言うなら)再び天下が平定され、庶民は闘うすべ(経済力、知力、組織力)を失い、ゆっくりと身分制社会に移行しつつあるように感じられます。正確には身分制社会ではありませんが、政治や学問の分野における世襲制が強まり、次第に社会の階層間の移動が難しくなりつつあります。そして、戦国時代のような荒々しい自由な人間たちはほぼ死滅し、権力にひれ伏す従順な人間ばかりになりました。このような時期は日本史を顧みれば戦国時代ののちに天下が統一され、江戸幕府の身分制社会の中で天下泰平の300年に向かった魁の秀吉の時期に似ているのではないでしょうか。その意味で、竹中平蔵氏は、批判する人もたくさんいますが、日本史においては秀吉と同様にトリックスター的な存在と言えるではないかと思います。そして、七人の侍たちとともに闘った農民たちは、以後は刀を持つことは許されなくなるのです。日本の大衆はそれを今、再び受け入れようとしているかに見えますね。
武者小路龍児
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