2019年10月06日14時13分掲載
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コラム
アルジェリアの言論の自由を求めるデモ
今、近くの香港で激しいデモが行われ、言論の自由を封じる中国の脅威について日本でも報道されています。しかし、日本国内でいかにメディアが自由に表現できなくなっているかはあまり報じられません。そんな中、僕に刺激になったのはアルジェリアの報道記者が、言論の自由を求めて首都アルジェでデモを行っている姿です。今年、病態のブーテフリカ大統領の再選への出馬に批判が高まり、ついには平和の革命となりましたが、放送の世界ではまだまだ報道が統制されているようです。
僕はフランスでアルジェリアからパリにやってきた政治学者と話をする機会がありましたが、メディアについて聞くと、まず何と言ってもアルジェリアの国営放送がいかに統制されているか、とものすごい憤怒でその政治学者は語ったものです。僕のアルジェリア人の友人がその放送局で記者をしていたものですから、困惑したのを覚えています。<そうか、僕の友人も統制された中で政府の言いなりに報道してきたんだろうか・・・>ちょっと悲しくなったのを覚えています。しかし、今年、友人であるアルジェの放送記者が言論の自由を求めるデモの先頭に立って雄々しく発言しているではありませんか。とても感動したのを覚えています。でも、長い間、ずっと政府の統制の中で彼も仕事を続けていたんです。
「デモをして発言したら仕事上のリスクはないのですか?」と友人の記者に聞くと、「リスクはある」と言いました。減俸されることもあり得るし、場合によっては解雇されるかもしれません。しかし、今年のアルジェリアの「革命」には様々な人々が参加し町に繰り出したのであり、その熱と興奮がアルジェには今も残っているようです。その熱が長い間、じっと耐えてきた友人をついに突き動かしたのだと思いました。つまり、市民が街に出て動いたことが、放送人たちを動かしたのです。日本でも放送記者だけを批判しているだけでは何も動かないでしょう。市民と言う「山」が動かないと記者たちは孤立した中で生活が脅かされているのですから。
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