2019年10月12日04時19分掲載  無料記事
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コラム

台湾の独立運動家、史明さん死去  

  先月、台湾の独立運動家として名高い、史明(Su Beng)さんが亡くなった。100歳だった。独立を目指す台湾の人々から本当に尊敬され、慕われていたようだ。もしベトナムの独立の指導者、ホーチミンが生きていたなら、少し似ているのではないか、という気がする。僕はこの人に台湾の2014年の政変の取材中に会ったことがあるのだが、すでに95歳近かっただろう、その時は車椅子だった。台湾の大学生たちが国民党政権が中国と秘密裏に結んだ自由貿易協定を数の力に任せて批准しようとしたことに反対して、議会を占拠したのだった。学生たちが立てこもって闘っているその時、史明さんは議会に若者たちの応援に駆け付けたのだった。僕はその時はオーラを放つこのお爺さんが独立運動家であることはなんとなしに知っていたが、その生涯については知らなかった。 
 
  ニューヨークタイムズに追悼記事がChris Horton記者の署名で割と大きく出ており、読んでみると、驚いたことに1993年まで東京の池袋近郊で中華料理店を経営していたらしいことを知った。なぜ独立運動家の史明さんが東京で料理店を営んでいたか、となると話は長くなる。Horton記者は実に丁寧に記載している。史明氏は早稲田大学に留学したが、のちに日本の台湾支配に抵抗し、そのため大陸に渡って毛沢東らと共産党の活動をしたけれども、政敵らへの粛清のあり様に疑問を抱いて、共産党から離れることになったのだという。そこで台湾に帰国したが、今度は中国から渡ってきた蒋介石の支配と闘うことになった。史明氏らはかつては武装闘争とか暗殺を手段としていたが、のちに平和的な闘争に転じた。 
 
  中国で知り合いパートナーとなった日本人の女性と東京で店を開き、そこで独立運動を続け、「台湾人四百年史」を日本語で記した。1635年にオランダに支配されて以来、400年近くに渡って異民族の支配を受けてきた台湾の歴史だそうである。Horton記者によればこの本は1980年に米カリフォルニア州で中国語に訳された。アメリカへ法律を学びに留学した台湾人の弁護士志望の若者たちがよく読んだし、彼らは後に1986年に民進党を結成したようだ。この本は台湾では軍事独裁政権時代で発禁だったのだ。史明氏が台湾に帰国したのは民主的な議員選挙が行われた直後の1993年で大統領選挙が始まる3年前のことだった。 
 
  こうして見てみると、台湾の歴史だけでなく、中国と日本を含む東アジアの歴史の生き証人と言える人物だ。近くで見ながら、そのことに気づかず、話を聞く機会を逃したことは残念でならない。当時は未だ国民党政権だったのだ。その中で、「台湾独立の父」が駆けつけてきてくれたことは若者たちにとって大きな励みになったはずだ。日本人はかつて植民地を持ち、周辺国の人々を支配する存在だった。一方、「台湾人四百年史」のように台湾人は400年に渡って異民族の支配を受けてきた。それゆえだろうが、台湾には自由や民主主義を求める強い民衆の意志と結束がある。こうした人物が若者たちの運動の場に駆けつける。何世代にも渡って闘ってきた家族があり、仲間がある。その層の厚みこそ植民地支配を受けてきた台湾人の持つ財産であり、日本人が少なくとも50年は持つことができないであろう強さだ。植民地の蜜を吸った国家の国民は後に必ず、その毒に子孫まで侵され、過去の報いを受ける。 
 
 
■アジア最後の植民地「日本」 〜政府から国民主権を奪われた人々は「植民地」の人間である〜 
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