2020年01月21日16時04分掲載
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「やってきたのは人間だった」、ある外国人労働者の物語 ──『 コンプリシティ/優しい共犯』 笠原眞弓
いま東京で外国人技能実習生を主人公にした映画が上映されている。「外国人技能実習生」問題というと、今やほとんどの人が知っている。そしてその制度が、人権の視点からも問題ありということも知られてきた。労働問題に聞きかじっている私は「つい外国人の技能研修生のこと」というと、告発映画かと思ってしまうが、これはちょっと違う。彼らも人間なんだということを静かに示している。マックス・フリッシュが50年以上前にいみじくも指摘した―――「我々は労働力を呼んだが、やってきたのは人間だった」―――を思い出させるものであり、大声で告発するばかりでなく、こんな示し方もあるのかと
しみじみ思った。
1990年代後半、房総の干物製造業を訪ねた時に従業員のほとんどが中国人だったことや、数年前に長野県のレタス産地で有名な川上村の農家を訪ねると、夏の農家の手伝いが学生アルバイトから中国人に代わって、宿舎が農家受け入れから近くのアパートに代わっていた。それまでは食事も何もかも家族と一緒だったが、今ではすべて実習生自身が賄い、農家は手間がかからなくなってよかったと話していたことから、少しずつ制度が変わりながら「実習生」として外国人を受け入れていることは知っていた。
この映画は、夢を持って来日したにも関わらず、過酷な労働条件に耐えられなかったのか実習先を逃げ出した青年の物語である。逃げること、嘘をつくことを余儀なくさせる社会制度って何なのかと思う。そんな中でも、何とか自己を保ち誠実に生きようとする実習生がここにいる。
チェン・リャンは、技能実習生として中国から来た。彼は、祖母や母親想いで優しい。祖母の反対を押し切って日本に「出稼ぎ」にきたからには、錦を飾らないわけにはいかない。でも現実は、約束とは大違い。実習先を逃げ出して、仲間と窃盗を繰り返す生活。支給された携帯電話には、以前の持ち主への電話が頻繁にかかりってくる。そんなある日、周旋屋から仕事の紹介電話が。思わず彼チェン・リャンはその仕事を前の持ち主のリュウ・ウェイとして受け、親父さん(藤竜也の存在感が素晴らしい)と娘で切り盛りする蕎麦屋の住み込み店員になってしまう。
蕎麦屋で、そば打ちを習うリュウ。「ちゃんと打てるようになったら北京で蕎麦屋をやろう」という親父さん。その親父さんの悩みは、息子に引退を迫られていること。親父さんも、居場所がないのだ。
店にはチェンの在留資格を問う電話がかかり、そんな人はいないというものの、親父さんは「一体君は、誰なんだ?」と。しかし深追いはしない。続いて警察も踏み込むが、親父さんは…。
場面が変わって店で出会いお互いに惹かれ合う女性、葉月があこがれの北京へ渡り、そこから電話をかけてきて映画を見てきたと。それに彼は答える。
そこで私は初めて涙があふれた。彼の「自分探し」=「青春」 は終わった。さて、越えなければならない壁をどう越えるのかと。
幸せは、人が作っていくものだとしみじみ感じさせる作品だ。繰り返される中国での家族との場面が、彼の人間性を表しホッとする瞬間だった。
(近浦 啓 監督)
116分/1月17日より新宿武蔵野館公開中その後全国順次公開
コピーライト 2018 CREATPS / Mystigri Pictures
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