2020年02月01日12時49分掲載  無料記事
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岡谷公二著 「アンリ・ルソー 楽園の謎」 

  最近、日本の風景や庭園を何日かに渡って撮影したのですが、丸一日、風景に浸る経験をこれまであまり意識的にしたことがなく、意外にも満ち足りた時間を満喫することができました。ただ風景と向き合うだけでこんなにも発見があり、感覚が刺激されるものだったとは。そんな中、風景を見る自分の見方の基盤に、ある画家の絵画世界が影響を与えていることに気がつきました。その画家とは素朴派と呼ばれるアンリ・ルソーです。アフリカの砂漠でジプシー女が月明かりの下で眠っているとライオンが静かに近寄っている、というような絵や、ジャングルの中で黒人がジャガーに食いつかれている絵など、その多くが異国的かつ幻想的なムードを漂わせています。 
 
  日本の風景を見ていて、ルソーの絵を思い出したのは、もっと対象を絞ると動物というよりも、植物に関してでした。植物の葉の一枚1一枚あるいは木々の立ち並ぶ風景。そんな植物のある風景は、どこかでルソーの絵画を思い出させずにはいなかったのです。それで偶然にも書店でアンリ・ルソーの伝記である岡谷公二氏の「アンリ・ルソー 楽園の謎」という本に出会い、即座に読みたいと思いました。もうずいぶん古い書物で、かつて読んだことがあったのですが。この評伝ではルソーの人となりがいろんな角度から描かれていて、それはそれで面白いのですが、僕が最も知りたいと思ったのは、日本の風景を見ていて、そこにルソーの視点を感じたのはなぜだろう?という謎でした。 
 
  いくつか興味深い手がかりがありました。というのは先ほど「幻想的」と書きましたが、ルソー自身は自分の絵画をリアリズムと思っていた節があることです。そして、そのリアリズムと通じるのはルソーが植物に異常な関心を持っていたらしいことで、パリの植物園はルソーが足しげく通って創作のインスピレーションを得る場所だったらしいことです。たとえば「ジャガーに襲われる黒人」でも中央の人間の惨劇よりも、むしろ背景に密に描き込まれた木々や草花が圧倒的な力を持っていて、中央の「劇」は画題を与えるために添えられたに過ぎないものであるかのようです。もちろん、中央の劇は決して軽視されるべきではないのでしょうが、その背景こそ本質的にこの絵の空間を形作るものであることは確かです。あるいは、「カーニヴァルの晩」という一枚でも、中央の道化師のカップルよりもその後ろに描かれた冬の葉を落とした木々にどうしても目が行ってしまいます。 
 
  ルソーの絵に描き込まれた、これらの植物のリアリティが自分の中にあるものの源だったのだな、と本書を読みながら思いました。ルソーは葉っぱでも、枝でもかなりリアルに絵に描き込んでおり、それが「幻想」世界を支える上で重要な造形をなしています。それは写真的な細密さというよりも、むしろ、植物の存在感のリアリティを実にうまく表現していると言った方がよいでしょう。そして、それは「アフリカ」という異郷に本質的なものではなく、熱帯でなかったとしても、日本の植物や風景もまったく同様のものがあるように思えます。ルソー的に見ると、日本の風景も、ルソーの絵画風に見えてくるものです。 
 
「ルソーにとって絵を描くとは、とくに晩年の密林風景を描くとは、彼が生き、呼吸しているこの現実と同じ密度、秩序、構造を持つ世界の創造をめざすことだった。彼の細部への執着はそこからくる。この現実では、細部はすべて明確であり、なにひとつなおざりにされていないからである。彼が樹木の葉一枚一枚を丹念に描くのは、実際の樹木にあって、一枚の葉とてかりそめにはついていないからである。これは、一般に言うリアリズムとは違う」(「ルソー 楽園の謎」) 
 
  こういう描きかたは、たとえばセザンヌの描く木々とはまったく異なります。自然のつかみ方が180度違っているようです。 
 
  遠近法とは無縁だったルソーの絵画は当時の中央画壇には長い間、ほとんど無視され、ルソーは税官吏をしながら生計を立てていた日曜画家でした。それでも暮らしに困ると、描いたカンバスを売りに出していたそうで、その描かれたカンバスは絵を漂白され、中古のカンバスとして売りに出されていたと言います。もちろん、それは税官吏をやめて絵に専念するようになってからでしょうが。ルソーの絵画は本当はもっとたくさんあったけれど、そんな風にもったいないことになっていたのだそうです。 


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