2020年03月13日08時47分掲載  無料記事
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政治

山尾志桜里議員(立憲)の党の緊急事態宣言賛成方針への反対に募る共感の声

  立憲民主党の山尾志桜里議員(立憲)と言えば、優秀でありながらも改憲論議に前のめりの政治家として疎ましく思っていた人も少なくなかった。しかし、今、国会で審議されているコロナウイルスに関する緊急事態宣言を可能にする法改正案で党幹部の方向性に最後まで反対した人として、評価が高まっている。2年間という長期間、国会の事前決議も要求しないまま、首相に国民の権利も制限できる大きな権限を与えるくらい危険なことはない。 
 
 <立憲の安住淳国会対策委員長は11日、賛成に回る理由として、少数である野党に法案をひっくり返す力がない以上、賛否を採決する「事前承認」も、ただ報告するのみの「事前報告」も事実上同じだという趣旨の発言をしている。 
 この日の山尾氏は、枝野幸男代表や安住氏を前に「承認があってもひっくり返せないというなら、私たちはほとんどの法案でひっくり返せることはない」と指摘。さらに「それでも真摯(しんし)に質疑に立って、必要があれば与党を説得し、頑張って修正を勝ち取ろうと努力する。その結果がおかしければ、反対することで問題点をいまと未来に残す。それが野党の大事な仕事だ」と訴えた。>(朝日) 
 
  この法律はかつて民主党政権時代に立法化した法律の改正案だから、あるいは、将来、立憲民主党ら野党共闘が政権を取った時も活用できるから・・・などと言った理由で賛成したとしたら、大きな誤算だと言えよう。法律というものはどんな時でも、首相が誰であっても適用できるものでなければならない、と野党の国会議員が考えているとしたら勘違いも甚だしい。緊急事態宣言は首相に大きな権限を与える立法であり、「いつ誰でも」ということはあり得ない、まさに、誰にその権限を委ねるか。その時、首相は誰なのか、ということは決定的なことなのだ。現在の行政府は異常である、という認識が最も重要だ。もし行政府が誤った方針を取れば国民の犠牲はむしろ甚大になる。さらに、この改正案にはコロナウイルスとは別次元の高度の政治的な危険がある。立憲民主党執行部はそのことを読み違え、国民に大きなリスクを与えることに賛成の意を表してしまった。このことは日本の東アジアにおける衰亡を象徴する事件であろう。 
 
  繁栄する国民と衰亡する国民を分けるものは、危険に対する行動に外ならない。衰亡する国民は危険に対する感性が鈍化し、素直に危険に対して行動することができない。繁栄する国民は危険に対して、体も心も正直に反応できる。台湾や香港や韓国がそうである。彼らは危険に正直に反応できる。反応も早い。感性が鈍化していない。危険を感じたら民衆が立ちあがり、危険の除去のために決然と行動する。衰亡する国民は、仮に危険の存在を知っていてもあれこれ考え、疲れて何一つ行動に移すことができない。これを退廃と言う。だが、日本人すべての感性が鈍化しているわけではない。今回の一件は、立憲民主党執行部の感性の鈍麻を象徴する出来事だ。立憲民主党の安住国対委員長の<少数である野党に法案をひっくり返す力がない以上、賛否を採決する「事前承認」も、ただ報告するのみの「事前報告」も事実上同じだという趣旨の発言>はまさにその象徴である。この言葉には後ろにいる民衆の姿が感じられない。 
 
 
武者小路龍児 


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