2020年03月22日10時59分掲載
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教育
日本国憲法と教員養成「改革」(4)新型コロナ一斉休校「要請」への学校の対応のなぜ? 石川多加子
新型コロナウイルスの感染拡大防止策として安倍首相が要請した臨時休校に、全国のほぼすべての公立学校が従った。教育現場が、児童・生徒の教育を受ける権利より、法的義務のない「要請」を優先したのはなぜなのだろうか。底流には、教科専門科目の軽量化と幅の狭い教育技術重視の国の政策が潜んでいるようにみえる。
▽休校決定の権限は学校設置者に
2020年2月27日、安倍首相が新型コロナウイルス感染症蔓延の防止策として全国の小・中学校・高校及び特別支援学校に臨時休校するよう要請することを決定したのを受け、文科省は28日、各都道府県の教育委員会等へ3月2日からの休校を要請する通知を発出した。同省の調査によれば、臨時休校している(含予定している)公立学校は全国32,384校、98.7%を占める。一方、8府県に亘る20の市・町村立小学校227校及び中学校89校、島根県立の高校35校と特別支援学校12校、埼玉県立の支援学校36校は休校としなかった(3月4日午前8時現在)。
同月3日には、栃木県茂木町が当初予定していた10日から24日までの休校を取り止めて通常の授業実施を決定し、話題となった。2週間を経た16日には、多くが休校を延長する一方、富山市・黒部市・明石市・豊岡市・静岡市・浜松市・成田市等のように、学校を再開した地方公共団体もある。また、日本学童保育学会理事会は14日に「新型コロナウイルス感染症対策に関する緊急声明」を公表して、「子どもたちの親密な交わりが特徴」である学童保育は「子ども一人あたり 1.65 平方メートル」という面積しか無く、指導員も不足しており、「コロナウイルスへのリスク回避という点では、学校以上に危険な場所」であると訴えている(日本学童保育学会ホームページhttp://www.gakudouhoikugakkai.com/file/200314kinkyuseimei.pdf 2020年3月16日取得)。
本来臨時休校に関しては、学校保健安全法(1958〈昭和33〉法律第56号)と学校教育法施行規則(1947〈昭和22〉年文部省令第11号)の以下の条項が存するのみであった。
学校保健安全法20条 学校の設置者は、感染症の予防上必要があるときは、臨時に、学校の全部又は一部の休業を行うことができる
学校教育法施行規則63条 非常変災その他急迫の事情があるときは、校長は、臨時に授業を行わないことができる。この場合において、公立小学校についてはこの旨を当該学校を設置する地方公共団体の教育委員会(公立大学法人の設置する小学校にあっては、当該公立大学法人の理事長)に報告しなければならない
つまり、休校を決定する権限は、学校保健安全法による場合は学校設置者(国・地方公共団体・学校法人)が、学校教育法施行規則に基づく場合は校長が有する。従って安倍首相は、何ら法的根拠が無いにも関わらず休校を「要請」し、9割以上もの学校が法的義務の無い「要請」に唯々諾々と従ったのである。児童・生徒の教育を受ける権利、学習権をどう考えるのであろうか。
しかも、この遵行すべき責の無い「要請」に忠実であろうとするのは教職員・公務員だけでは無いようである。休んでいる児童・生徒が戸外で遊ぶ姿を見掛けた住民から「趣旨に反する」と忠告されたのを受け、学校が保護者へ注意を促すメールを送信したという事案が報じられている(2020年3月6日信濃毎日新聞)。法的根拠だけでなく、科学的な必要性も充分ではない「要請」を厳守する善良な市民の多さに、驚きを通り越して空恐ろしさを感じてしまう。
なお、2020年3月13日には、新型コロナウイルス感染症を新型インフルエンザ等とみなして同様の措置を講じ得るようにした「新型インフルエンザ等対策特別措置法の一部を改正する法律」(2020〈令和2〉年3月13日法律第4号)が成立したことは周知の通りである。今後は、同法に基づいて内閣総理大臣が緊急事態を宣言すると、都道府県知事は「多数の者が利用する施設」である学校に対し、使用の制限若しくは停止等を「要請」出来ることとなった。
▽支配者に従順な人間づくりをめざす教育
敗戦後75年ばかりの間に、支配者にかくも従順な人々を作り出した要因の一つは、やはり教育であろうし、多くは受ける側ではなく指導する側の問題であると言える。
2016年の教育職員免許法改正によって、教科書や学習指導要領の記述を疑わない教員が更に増えるのではないかと非常に恐れている。従前は「教科に関する科目」、「教職に関する科目」、「教科又は教職に関する科目」の三つに分け、それぞれ履修単位数を定めていた。例えば1種免許状の取得にはそれぞれ、小学校教諭の場合は8単位、41単位、10単位、中学校教諭は20単位、31単位、8単位、高校教諭は20単位、23単位、16単位を修得する必要があった。改正後は、3区分を無くして単に「教科及び教職に関する科目」とし、小学・中学・高校いずれも59単位を履修すれば1種免許状が付与されるようになったのである。
2017年には同法施行規則が改定され、「教科に関する科目」、「教職に関する科目」の6科目(「教職の意義等に関する科目」、「教育の基礎理論に関する科目」、「教育課程及び指導法に関する科目」、「生徒指導・教育相談及び進路指導等に関する科目」、「教育実習」、「教職実践演習」)、「教科又は教職に関する科目」の合計8科目は、「教科及び教育の指導法に関する科目」(1種:小学校30単位、中学校28単位、高校24単位)、「教育の基礎的理解に関する科目」(同じくいずれも、10単位)「道徳、総合的な学習の時間等の指導法及び生徒指導、教育相談等に関する科目」(同じく、小学校・中学校は10単位、高校は8単位)、「教育実践に関する科目」(同じく、小学校・中学校は7単位、高校は5単位)、「大学が独自に設定する科目」(同じく、小学校は2単位、中学校は4単位、高校は12単位)の5科目に換えられた(「教育職員免許法施行規則及び免許状更新講習規則の一部を改正する省令」平成29年文部科学省令第41号)。改正教免法及び施行規則は、既に2019年度入学者から適用されている。
従来の「教科に関する科目」が「教科の指導法」と統合されて「教科及び教育の指導法に関する科目」になったことは、教員の専門性に深刻な影響をもたらしかねない。国語・数学・社会といった各教科の専門的事項の学修が減じる一方、指導方法のそれは増えるのである。改正前は、「教科に関する科目」は研究者たる教員が担当するのが常であったが、改正後の「教科及び教育の指導法に関する科目」は、実務家教員(初等・中等教育機関の教諭経験者等)が担う場合が増えるであろう。財政難に喘ぐ大学では寧ろ、実務家教員を雇用して教科内容と指導法との両方を指導させれば、一石二鳥なのである。
▽教科専門科目の軽量化と教員の「資質能力」
教科専門科目軽視の趨勢は、1998年の教免法改正に早くも決まっていた。この時には、免許基準が引き上げられはしたものの、教科に関する科目の最低必要単位数が減らされ、教職に関する科目は増やされ、かつ、選択履修科目として教科又は教職に関する科目が新設されたのである。
1種免許状を取得するには、教科に関する科目が中学及び高校で40から20に、教職に関する科目が中学で19から31、高校で19から23、教科又は教職に関する科目が中学で8、高校で16と定められた。小学校では、教職に関する科目は変わらず41、教科に関する科目は18から8、教科または教職に関する科目は8とされた。教職専門科目の単位数増加は、他学部に比して教員養成課程の方が教科に関する科目の学修が少なくて済むという結果を生ぜしめた。教員養成課程では、教職に関する科目の単位数が卒業に最低必要な124単位に含まれるが、他学部てに於いては含まれない。例えば中学校1種免許状の場合、前者なら124単位で足りてしまうのに対し、後者では、124単位とは別に教職に関する科目31単位、計155単位を履修しなければ取得出来ないのである。 他学部・大学に比して、教員養成に特化した学部・大学卒業者の方が教科内容を学ぶ時間・量が少なくても教員になれるという奇妙な状態となったのである。
教免法の目的は元来、「教育職員の資質の保持と向上を図ること」(1条)である。教員の「資質」・「資質・能力」・「資質能力」という語は近年、教育再生実行会議の提言や中央教育審議会(以下、「中教審」と略)の答申等に度々登場する。これらの文書等は、具体的にどのような資質や能力を求めているのであろうか。
かつての師範教育を反省して敗戦後の教員養成が始まったことは、連載の初回で述べた。しかし、早くも1950年代には開放制をめぐる批判がなされるようになり、中教審、教育職員養成審議会(以下、「教養審」と略)が数回の答申、建議を公表している。中教審の1958年答申「教員養成制度の改善方策について」は、「教員に必要な資質としては、一般教養、専門学力(技能を含む。以上同じ。)、教職教養の三つが要求され、しかもこれらが教師としての人格形成の目的意識を中核として有機的に統一されることが必要である」としている。
時代は下って、教職専門科目重量化を決定付けた1998年の教免法改定は、前年の教養審の答申「教員の資質能力の向上方策等について」を受けている。同答申では、「今後特に教員に求められる具体的資質能力」として、「地球的視野に立って行動するための資質能力」・「変化の時代を生きる社会人に求められる資質能力」・「教員の職務から必然的に求められる資質能力」を示している。
また、教職課程の科目区分撤廃を提案した中教審の2015年答申「これからの学校教育を担う資質能力の向上について」では、「使命感や責任感,教育的愛情,教科や教職に関する専門的知識,実践的指導力,総合的人間力,コミュニケーション能力」といった「不易の資質能力」に加え、「自律的に学ぶ姿勢を持ち,時代の変化や自らのキャリアステージに応じて求められる資質能力を生涯にわたって高めていくことのできる力や,情報を適切に収集し,選択し,活用する能力や知識を有機的に結びつけ構造化する力」・「アクティブ・ラーニングの視点からの授業改善,道徳教育の充実,小学校における外国語教育の早期化・教科化,ICTの活用,発達障害を含む特別な支援を必要とする児童生徒等への対応などの新たな課題に対応できる力量」・「『チーム学校』の考えの下,多様な専門性を持つ人材と効果的に連携・分担し,組織的・協働的に諸課題の解決に取り組む力」と解説している。
1958年と、1998年及び2015年の答申では、教員の資質或いは資質能力の捉え方に顕著な違いがある。前者が教養と教員の専門性を重んじているのに対し、後者はそうではない。「これからの時代の教員」には、「時代や社会、環境の変化」に応じるべく授業にアクティブ・ラーニングやICTを採り入れると共に、いじめ等の問題への対処として道徳教育に熱心に取組み、かつ、地域住民等と協力関係を築ける力が必要である等とし、学識、知見の広さ・奥深さ等には比重を置いていない。
▽How toを教え込む教員養成は間違い
繰り返し述べているように、敗戦後の教員養成は、免許状主義、開放制、上進制、専門職制の確立、大学における養成の5原則を掲げ開始した。中でも専門職制の確立と大学における養成は密接に連関しており、「戦前の師範学校が国家意思の伝達を担う教員を育成し、幅の狭い教育技術を習わせてきた点を反省し、大学における高い教養の修得と深い専門的学芸の研究を通して、個性豊かな人間を形成し、そのような青年の中から、教育についての専門的知識・技能を身につけた教員を生み出す」(早稲田大学教育総合研究所「戦後の教員養成と私立大学」2016年、学文社、9頁)べく維持されねばならない。専門的学識教養を備えるには、教科専門科目を幾ら学修しても充分ということは無い。
一般教養科目についても同じである。文部科学省が2018年度教職課程認定申請担当者説明会用に作成した資料には「大学教員の研究的関心に偏った授業が展開される傾向があり、教員として必要な学修が行われていない」ことを「教員養成に関する課題」の一つに挙げているが、師範教育が過去にもたらした影響を踏まえず、筋違いな見方と言わねばならない。専門性とは、知識と様々な現象とを客観的に相対化し、言語化し得る力、または、可視化し、対象とする形に出来る力を指すのではないだろうか。逆に、全てを形にし得るものでもないことをも理解する力でもある。故に、このような力は、議論や論文の執筆、研究成果の発表といった種々の表現活動を通し、真理を探究する作業と姿勢とを通して備わるものであろう。教員養成が、技術、How toを教え込む教育に終始してはならないのである。
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