2020年05月18日12時40分掲載  無料記事
http://www.nikkanberita.com/print.cgi?id=202005181240541

コラム

時代の曲がり角と言葉   村上良太

  今、パリのポンピドーセンターで様々な文化的事業の仕掛け人として活躍しているのが哲学者、マチュー・ポット=ボンヌヴィル氏。今、その個性的な哲学エッセイ集が日本で初出版となりました。彼は「言葉と物」や「監獄の誕生」などを執筆したミシェル・フーコーの研究者ですが、フーコーは自らを哲学者ではなく、認識についての歴史学者、という風に規定していました。 
 
 
  フーコーは社会における人々の認識の仕方、認識の枠組みは歴史における時代時代によって移り変わっていくものであり、この認識の枠組みを「エピステーメー」と呼んでいました。エピステーメーが変わると新聞やTV、ラジオ、書籍、演説、会話などにおける人々の言葉・言説もまた変わると考えていたようです。人々は言論において自由だと思い込んでいますが、実際には社会を覆っている認識の枠組みである「エピステーメー」に縛られて発言しているのだ、ということになります。だからこそ、エピステーメーを意識することができる者だけが、そこから外れることのできる言説を通して自由を創り出していくことができるのです。 
 
 
  今、時代が大きく変ろうとしているようです。新型コロナウイルスがそれまでの世界のエピステーメーを人々に認識させる機会となったのかもしれません。フーコーの研究者のマチュー・ポット=ボンヌヴィル氏は時代を変えていくためには、新しい言葉が必要であり、まずは作家や物書きが率先して、新しい時代を拓くための言葉を創り出すことが大切だと哲学エッセイ集「もう一度・・・やり直しのための思索」(原題「Recommencer」)の中で語りかけています。新しいことを行おうとしても、古い時代の手あかのついた言葉を無意識に使っている限り、その思考にとらわれてしまうからです。もちろん、言葉を使うということはどの国の言語であれ、古来からの思考の枠組みを土台にしています。新しい言語を人工的に作り出すことが必要なのではありません。既存の言語を使いながら、ミシェル・フーコーは文学でもなく、哲学でもない新しい文章を書こうとしていたと言います。既存の言語を使いながら、新しい言葉を獲得することは容易ではありません。それはとても挑戦的なことです。実験や試行錯誤を伴います。でもそれをやり遂げた者だけが新しい時代を拓くことができるのです。 
 
 
 
※マチュー・ポット=ボンヌヴィル氏の1分間メッセージ 
 
・アンスティテュ・フランセのツイッターから 
 
https://twitter.com/i/status/1261813821024251904 
 
・アンスティテュ・フランセのFacebookから 
 
https://www.facebook.com/ifjapon/ 
 
 
 
村上良太 


Copyright (C) Berita unless otherwise noted.
  • 日刊ベリタに掲載された記事を転載される場合は、有料・無料を問わず、編集部にご連絡ください。ただし、見出しとリード文につきましてはその限りでありません。
  • 印刷媒体向けの記事配信も行っておりますので、記事を利用したい場合は事務局までご連絡下さい。