2020年05月19日13時24分掲載
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文化
[核を詠う](304)うた新聞3月号「東日本大震災から9年いまの思いを詠う」から原子力詠を読む「廃棄物貯蔵地内なるわが屋敷 更地になりしと風は知らせ来」 山崎芳彦
短歌総合紙『うた新聞』(いりの舎発行)3月号(3月10日発行)の特集「東日本大震災から九年 いまの思いを詠う」から原子力詠を読ませていただく。この特集には、岩手、宮城、福島、茨城の歌人20氏の作品とエッセイが掲載されているのだが、その中から筆者の読みによる「原子力詠」を抽かせていただく。この9年を経て、改めて原発がある限り消えない深刻な危険、本質を、福島第一原発の過酷事故が人びとにもたらした災厄、九年を経て益々明らかになっている多様で、捉えきれない、さらに続く解決不可能な諸問題を、あたかも「解決済み」のごとく扱う政治・経済支配権力者とそれにつらなる「原子力マフィア」の底知れない非人間的な悪徳を憎まないではいられないと痛感している。
挙げれば限りないが、つい先般、5月13日に原子力規制委員会は日本原燃の再処理工場(青森県六ケ所村)の「安全基準適合」の判断を示した。政府の後押し、関連経済界をはじめとする原子力マフィアの原子力社会への固執、この国に生きる人びと、命あるものよりも自らがかちとる経済的利得、政治的支配力を上位に置く政治・経済支配者、権力者の横暴としか言いようがない。核燃料サイクルによる核発電の持続にとどまらない、プルトニウムによる核兵器の開発・保持への道筋にもつながる危険なことが、新型コロナ禍による危機、全国民的な不安を知らぬがごとく、原子力マフィアが進めている策動から、目を逸らしてはならないと痛感する。彼らは、コロナ禍の中でも、許し難い原子力政策を、政府、行政、原発推進によって利益を得る關係大企業とそれにつながる企業群、立地自治体の原発推進勢力が連携して推進している。
福島第一原発事故による被災者の真の生活再建、廃炉作業にたずさわる作業員の健康と生活の保障、核放射能汚染物・汚染水の処理、徹底した長期的な被災者に対する補償、廃炉後の原発立地地帯のあり方…「復興五輪」などと謳いあげることができる現実ではないだろう。九年は、過ぎた年月であり、この九年が人びとの未来に明るくつながって行くのか…。六ヶ所村の核燃料サイクル政策のための再処理工場の安全審査合格は、その未来をより暗く、危ういものにするものだと言わなければならないだろう。
『うた新聞』3月号の「東日本大震災から九年 いまの思いを詠う」から原子力にかかわって詠われたと筆者が読んだ作品とエッセイを、一部ではあるが、抄出させていただく。筆者にとっては、20氏の全作品が貴重な、学ばされるものであり、抄出せざるを得ないのは、いつものことだが心残りである。。
耕作地に太陽光発電広ごるとソーラーシェアリング新たなる知識
再稼働の準備粛々整ひて安全基準世界一とふ
(2首 宮城県仙台市・佐藤淑子)
東北の機動力です 福島の起爆剤です南相馬市(みなみそうま)は
(宮城県仙台市・伊藤誠二)
原発禍を遁れ九年避難地にさむざむとして元日迎ふ
廃棄物貯蔵地内なるわが屋敷 更地になりしと風は知らせ来
避難地に住みて九年夕の灯のほつほつ点る街並みをゆく
(3首 福島県いわき市・吉田信雄)
(作者の随想。「福島第一原発の近くにあったわが家は廃棄物貯蔵地に組み入れられている。『一時帰宅もこれが最後と雑草に埋もるるわが家を振り返りたり』と詠んだのが四年前。最近そのあたりも更地になったと聞かされた。諦めていたとはいえ七十年以上も過ごしたふるさとゆえ複雑な気持ちではある。同時に今居るこの地を竟の住処として生きてゆく運命を甘受し、『避難地』などと詠むのもそろそろ終わりにしなければなるまい。まさに遠きにありてわがふるさとを思う今日この頃である。」)
九年を帰還困難区域なる父祖の奥都城を改葬したまふ
帰れざる父祖の奥都城 父祖の家 九年は長くはた短しとふ
放射能に立ち入り難かりし墓地よりの歴代のみ魂を謹しみ迎ふ
(3首 福島県福島市・佐藤輝子)
(作者の随想。「原発事故後の九年は、長かったのか、短かったのか。帰還困難区域から父祖の墓地の改葬を決意した方々との会話の中で痛切に感じたことである。/いつか帰れる、きっと帰れると思い続けての歳月。そして遂に大きな決断に至った方々の心情を、寺に関わる者として真摯に受け止めさせて頂いた。/折しも一月二十一日、菅官房長官が満十年となる来年の東日本大震災追悼式をもって最後とする方針を発表したが、改めて帰還困難区域からの避難者への思いを新たにしたことである。)
「ここまでは」「炉心の事故は起こらない」津波、原発「まさか」とふ念
波乱なく過ぎむと思(も)ひし残生に波のかたまり実家砕きつ
滾ちゐし水の熱量もどらぬを原発事故に懲りない人ら
(3首 福島県いわき市・伊藤正幸)
(作者の随想。「いわきの自宅で激震に遭遇。すぐに庭を飛び出て芝生の下側の地面に亀裂が走るのを足裏に感じたが、その後の津波によって故郷である閖上の約八百の人々が呑み込まれ、また福島第一原発が最終的に水素爆発の事故に至るとは思ってもみないことであった。後者については、原子炉建屋を含めて見学する機会があり、港を見下ろす敷地から水平線を見つめたが、津波への想像力は働かなかった。自然災害も含め、極めて低い確率でも可能性のあるものは必ず起こることを肝に銘じている。」
「いわき市」の文字をニュース画面に見つ また被災地となりてしまへり
(福島県いわき市・大谷湖水)
時はもう令和となりても拭えざる山の深きに残るセシウム
あと一年経れば一昔と呼ばるるか原発事故も大震災も
富岡の桜並木を歩きたく地図に探すも行ける日遠し
(3首 茨城県那珂市・片岡 明)
(「不安な日々」と題する作者は東海第二原発から30キロ圏内の地に住む。その作者の随想は次の通りである。
「東日本大震災から九年になり、テレビや新聞で報道されることはめっきり減った。その中で話題に上るのは、近くの原発再稼働問題だけである。新年になってから、原発を抱える当村の長であるある会合で、原発推進を認めるようなニュアンスの話をしたらしく、後日に抗議を受けた。子の跡に村会議員選挙があり、演説では賛否を避けていた議員が過半数当選した。これが力となり再稼働を推進していくのではないか。この話を聞く度に、不安な日々を送っている。」
日本原電東海第二原発の再稼働推進は国の後押しを受けて多くの県民、ましてや原発に近く在住の人々にとって重大事である。立地自治体、近隣地域の政治・関係業者の動向は複雑であるという。茨城県内に住む筆者は再稼働を許してはならないと思っている。)
ああこれは柊(ひひらぎ)南天(なんてん)たちどまる 福島の家にも咲くころならむ
(東京都世田谷区・遠藤たか子)
トリチウムつていつたいどんなものだらう相馬の海の底のざわめき
帰還できぬ人らの思ひを吹き散らす〈ふつこう〉のなかに潜む促音
聖火リレーのコースは復興の見せ場なり急造の街をなでる潮風
(3首 福島県伊達市・藤田美智子)
(作者の随想。「昨年度開校した『なみえ創成小・中学校』在籍の中学生は二名。かつて浪江町立の中学校には三校合わせて八百名を超える子どもたちがいたのに。たった二人の中学校生活。学校行事や部活動はどうしているのだろう?原発事故がなければ、もっと違った学校生活があっただろう。/彼らにとって『復興』とは何か。『復興』ばかりが叫ばれるが、そもそも元に戻ることさえかなわぬ人々の暮らしに復興などというものがあるのか。『復興五輪』ということばがむなしく響く。」)
良き所と福島を言ふ声聞けば「事故の前は」とよどみなく添ふ
双葉より移り来たると住民と和(なご)はしき写真載りけりWebに
復興を伝へむ聖火リレーとぞふさはしからぬ景色は避けて
(3首 東京都昭島市・市野ヒロ子)
(福島県いわき市出身の作者である。随想。「九年前の震災は、自然の脅威と共に、この国の抱える様々な問題をも浮き彫りにした。とくに原発事故は、その政策の欺瞞や矛盾を露呈させた。当時、東北の惨状を目の当たりにして、多くの人が、己の生き方や社会の有り様を問い直したように見えた。しかし、そんな動きもほどなく萎み、今、隠蔽や虚偽に満ちた政権の横暴にも物言わぬ空気が広がっている。復興の名に誘致を決めた東京五輪だが『復興』が強調される陰で、多くの真実が隠されていくことを深く危惧している。」)
穏しかる日本の自然詠む歌のこのごろ見えず自然は脅威
原発の廃止を明言する候補せざる候補ら影武者のごとし
変はりませう変へますと市民に訴ふる九年前の高校生は
(3首 茨城県鉾田市・中根 誠)
セシウムを身に積みし蛍烏賊(いか)の悲しみか海に群青を鏤めいるは
放射線量怪しみつつも九年後の寒の薄穂涼しく靡く
(2首 茨城県水戸市・秋葉静枝)
次回も原子力詠を読む。 (つづく)
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