2020年05月23日11時02分掲載
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コラム
「ルイ16世は馬鹿だった」「いやルイ16世は馬鹿ではなかった」・・・
安倍首相がルイ16世と自分は違う、というような趣旨の発言を国会でしたということがインターネットで話題になっているようです。このことでしばらく前に、ロシア人の哲学者とルイ16世は馬鹿か、馬鹿でなかったかで議論したことを思い出しました。私が「ルイ16世は馬鹿だった」と表現したことに、ロシア人の哲学者は「いや、ルイ16世は馬鹿ではなかった」と言うのです。
18世紀のフランスのブルボン朝の王だったルイ16世は馬鹿ではなかった、と言う人は意外と少なくありません。実際に、ルイ16世は庶民から慕われていた王だったようです。そもそも、フランス革命が起きた原因にフランスの財政がひっ迫してきた経緯があり、それはルイ16世一人の責任ではなくルイ15世ら、先代たちからの財政のつけが回ってきていたことが背景にあります。ルイ15世の治世の間にオーストリア継承戦争や7年戦争などに敗れ、フランス財政はかなり悪化していて、ルイ16世が王位に就いたのは1774年、フランス革命の15年前でした。この間、1775年から1783年までアメリカ独立戦争が起こり、ルイ16世のフランスは独立側に武器その他の経済支援をしていました。アメリカの独立は世界史的には進歩の象徴ですが、ルイ16世はそれを支援していたのです。
一方でフランスにおいてもルイ16世は破綻に近づく財政の立て直しを迫られていましたが、そのためにはフランスを構造改革しないとどうにもならないところに来ていたことをルイ16世は知っていました。それまで税を納めるのは第三身分と言われた商人や農民その他の平民たちで、特権階級の貴族と僧侶は税を払わなくてもよかった。しかし、ルイ16世はこのタブーを破って、各地で領地を持ち、領民から巻き上げている貴族たちに納税させようとしました。しかし、当然ながら貴族たちは反対し、様々な手を使ってルイ16世の提案をつぶそうとしました。<貴族は納税すべきか?>この問題が浮上した結果、次第に下の身分に置かれてきた第三身分の人々が<納税者だけが真の国民だ>という意識に至り、フランス革命につながっていきます。ルイ16世はこうした運動を起こした中心人物だったわけですが、民衆が高揚してくるに及んで次第に不安に駆られていったようです。民衆は当初英国のような立憲君主制に改革することを考えていたとされますが、ルイ16世の取り巻きは王宮から逃げてフランス革命をつぶそうとしている外国軍と組むことを王に提案します。ルイ16世自身も、自分が始めたことながら、改革が行き過ぎてしまうことを恐れて、フランス革命の始まった1789年から2年後の1791年にこっそり家族で逃亡を図りました。しかし、これが見つかって妻や子供とともに革命軍に捕まってしまい、この時、裏切られたと思った民衆の王に対する感情が急激に悪化していったようです。結局、1793年にルイ16世は断頭台の露と消えました。
筆者がルイ16世が馬鹿だと考えた理由は〜いろんな資料を読むと本当は馬鹿ではなかったかもしれないのですが〜このヴァレンヌ事件という逃亡事件を起こしてしまったことにあると思います。たとえ自分の思惑以上に変革が進んでしまったとしても、そこから逃げてしまう決意をしたことに、致命的な性格の弱さがあったと思えるのです。ある意味で気の毒な人だったのかもしれません。しかし、ルイ16世こそがフランス革命の発端だったことは忘れてはならないと思います。特権階級の特権に手を付けるという、フランスの構造改革を始めたのはルイ16世その人だったことです。もしヴァレンヌ事件を引き起こしてさえいなかったら、フランスは英国のような立憲君主制に移行していたかもしれません。そうすると、もっとゆっくりだったでしょうが、異なる政治的な道のりを歩んだ可能性もあります。
※山川出版社「フランス史」(福井憲彦編)
フランス革命も含めてフランスの通史がよくわかる本です。
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