2020年05月29日11時51分掲載
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司法
なぜ少年法適用年齢の引下げ反対なのか(2)現行法の有効性と目的が見えない安倍政権の短慮 伊藤一二三
なぜ、少年法適用年齢の引下げに反対する意見書が出るのか、その背景事情についての報告を続けたい。なお、現行少年法による、家庭裁判所でのケースワークに基づく教育的措置や、裁判官の審判による少年院送致、保護観察といった決定について、伝統的な法律用語では『保護処分』と呼ばれてきた。この『保護処分』という言葉が、一般には「甘やかし」といった誤解を生んできた面は否定できない。しかし、前回も報告したように、「刑罰に代えて教育を」という少年法の理念は、再犯防止を図る上でも極めて重要で、実態として、甘やかしではなく刑罰以上に厳しい面がある。
8 少年法60条・61条の問題
少年法適用年齢が引下げられると、18・19歳が原則実名報道されることになるのも大問題である。一部週刊誌の編集者やインターネットによる情報氾濫のなかで、既に実名報道が繰り返され、バッシングだけが蔓延している。しかし、少年法第61条(本人を推知できる報道の禁止)は、少年の将来を考えた特別の規定であり、これまで、極めて多くの元非行少年であった人々が、少年法61条は「立ち直りに有効だった」と認めている。
また、少年法適用年齢が引下げられると、少年法第60条(資格取得制限の禁止)が18・19歳の時の非行に適用されなくなる。弁護士、医師はむろん、教員、看護師等の資格取得、公務員になること、建設会社を設立すること等が、原則的に困難になるのである。多くの元非行少年であった人々が、少年法60条は「就職と立ち直りのために本当にありがたかった」と認めている。
非行少年の多くは、家庭裁判所や少年鑑別所での調査面接で、「初めて大人に話を聞いてもらえた」と言う。そこから、多くの非行少年は、司法の壁の中だけでなく、医療・教育・福祉・心理の現場、民間NPOの支援など、社会の様々な人と出会い、社会的ネットワークの中で立ち直る。少年法60条・61条の理念は、マスメディアもまた、立ち直りのためのネットワークの一つとしての役割を求めているのである。そうした司法につながる様々な分野の活動機会を縮小させれば、日本社会の基盤はますますやせ細ることになると考えられる。
9 少年警察の活動の後退
少年法の適用年齢を引下げた場合、非行の防止と少年の福祉を図るための警察活動である「補導」が18・19歳にはできなくなり、少年警察の防犯活動が大きく後退する。繁華街における街頭補導だけでなく、家庭内暴力・家庭内器物損壊などへの指導もできなくなる。
10 それぞれの法律の目的、現行少年法の世界的評価
民法の成年年齢や選挙権年齢が18歳になっても、飲酒、喫煙、馬券購入、児童養護施設の入所年齢などは20歳のままにされている。法律にはそれぞれ目的がある。「脳の衝動抑制機能が成熟するのは25歳ころ」との近時の脳科学の知見を受けて、今やアメリカの州やEU諸国では、再犯防止のために少年法の適用年齢を引上げる(刑事罰ではなく教育的処遇を可能とする)動きが出ている。
国会議員は「成年年齢18歳は世界基準だ。」と檄を飛ばしがちであるが、第二次世界大戦後、成年年齢を21歳〜23歳にしていた国は少なくない。その成年年齢が18歳に引下げられてきたのは、典型的にはアメリカであるが、ベトナム戦争による徴兵の問題からである。また、ブラジルのように国家財政の破綻(デフォルト)を理由に、成年年齢を引下げた国もある。成年年齢の問題の背後には、徴兵制と税金の問題があるというのが歴史が教える事実である。
そうした世界にあって、日本の現行少年法が、原則的に20歳まで教育的処遇を優先し、安定した少年司法システムを構築しているという事実は、諸外国の少年司法関係者、学者から高い評価を受けている。
即ち、適用年齢を分かりやすく統一する、18歳になったら刑事罰だといった現在のアベ政権の考え方は、実は極めて短絡的で拙速な考え方であり、結果として、個人の幸福や健康・福祉、社会の安心・安全を増進させるという国法全体の目的を害することになり、本末転倒と言わざるを得ない。
11 法制審議の今後
以上、2〜10に述べたように、現実に現行少年法の有効性が認められる。制審議会少年法・刑事法部会の委員は、実は政府・法務省が望む少年法適用年齢の引下げ「改正」に応じたい委員が多い。それでも、議論が停滞してきたのは、現行少年法の明確な有効性を無視し、破壊するような「改悪」ができないからである。元家庭裁判所調査官有志、元少年院長有志、元家庭裁判所裁判官有志による意見書が、すべて少年法適用年齢の引下げに反対しているのも、現行少年法が、巷間流布する「少年非行の増加、凶悪化」などという実態は無く、むしろ「少年非行の減少と凶悪化阻止」に有効に働いてきたことを実務経験から知っているからである。また、与党内で公明党議員は、現行少年法の有効性を認めるようになっており、その影響力は小さくないと思われる。
しかし、法務省は、2020年12月に「新たな処分」として甲案・乙案を提示し、基本的に18歳以上には少年法の適用を認めていない。現在、COVID-19のため、法制審少年法・刑事法部会は3月から審議が止まっているが、6月10日から再開し、8月には5回の審議日程を詰め込み、今秋には少年法適用年齢の引下げ「改正案」を臨時国会に提出することを目論んでいる。
12 最後に
少年法適用年齢の引下げに関する動きを見ていると、筆者には二つのことが思い浮かぶ。
一つは、ありもしない危機感を煽り、さらには本当に救うべき弱者を差別し、放置し、現実検討を欠いた議論で法解釈を捻じ曲げ、法改正を強行しようとする。そして、国民がワイドショーやニュースメディアによってイメージを煽られ、増幅し、バッシング感情を高めることを利用して、個人の自由な意見表明や行動といった基本的人権を厳罰で威嚇し、委縮させ、自粛に追い込む。コロナ対策しかり、検察庁法「改正」問題しかり、共謀罪しかり。
そこには、経済的合理性・効率性だけを金科玉条にして(時に権力者の個人的利益を優先して)、日本社会が歴史的に積み重ねてきた平和と民主主義、権利の平等性を上から目線で無視し、破壊する。安保法制しかり、モリカケ問題しかり、病院や保健所の統廃合しかり。表面的・現象的には様々な議論があるように見えて、そこには、深層構造における強権的なロジックが繰り返されているとしか思えない。アベ政権は、少年法によって救うべき者は誰であり、そのことで日本社会の安心・安全が確保されてきたという現実を受け止めていないと言わざるを得ない。
二つは、行政官庁の官僚組織が、政権内閣に適切な修正意見や調整力を発揮できなくなっているということである。「良吏二千石」という言葉がある。本当の官僚は、殿様のために働くのではなく、農民・商人・職人のために働くのだということである。官僚組織の上層幹部が、政権内閣に忖度し、自粛し、真の意味での発言・諫言をしない。少年法「改正」問題で言えば、検察官が主導する刑事局だけが主導し、法務省保護局、矯正局の声は小さい。全国の家庭裁判所を把握し、日本の少年非行の実態を悉知しているはずの最高裁家庭局は、法制審議でダンマリを決め込み、ほとんど発言していない。そうした官僚組織の忖度と自粛が行き過ぎ、官僚としてのバランス感覚、覚悟が見えないために、検察官OBや裁判官OBが声を上げざるをえなくなっているのではないか。
「手続的に間違っていない」「専門家会議が云々」といったことを強弁する者は、本当の責任をとる気持ちがないのである。それは日本を壊滅的な敗戦に導いた旧大日本帝国の大本営や東条内閣も同様であった。検察庁法の問題で話題になった言葉であるが、歴史的な知恵を失っているアベ政権に、「これ以上、この国を壊させてはならない」のではないかと思われる。
(おわり)
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