2020年06月09日02時14分掲載  無料記事
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コラム

赤信号みんなで渡れば怖くない では、みんなで学歴詐称すれば・・・

  学歴詐称がテーマになっているようです。私の場合も学歴詐称するほどの市場的な値打ちに乏しい大学卒業者なので、就職の履歴書に厚かましくも<ハーバード大学卒業>とか<モスクワ大学卒業>とか、書いてみたかった。もしそうなったら、どのように周囲の世界が変わりうるのか、実験してみたかった気がします。このことは、20世紀に作家の安部公房が生涯追いかけて描き続けたテーマと深く重なってきます。 
 
  安部公房はインターネットの世界がどこまで進むか、おそらく理解していたのだろうと思います。日本で最も早くワープロを使い始めた作家の一人でもありました。いずれ必ず、ネットの中で男女なのか、本名なのか、職業は何なのか、学歴はなんなのか?いったい、その人間はどんなアイデンティティなのか、そのことは公式の書類や画面に表記され、登録されたものと乖離しうるであろうことを安部は理解していました。 
 
  その時、安部が提示した人間を確認する方法は、つまり、人間を把握する最後の手段は「声」を認識することだと言っていました。ここで言う「声」は象徴的表現であり、聾者でも文字を判読することができれば「声」を判別できる、という意味においてです。安部公房はあらゆるアイデンティティをはぎ取られ、人間存在と人間存在が対峙した時、最後は「声」を手がかりに、一人一人が対峙する人間が何者なのかを、自分の物差しで測らなくてはならないと考えていたようです。 
 
  日本人は世界の国々の人々に劣らず、権威に弱く権威主義者で、ハーバード大学とか、モスクワ大学などと聞くとそれだけで、ひるんでしまうものです。でも本当にそれがどう人間の本質に関わるかと言うと、試して見るほかありません。その学歴は嘘かもしれないからですし、もしかしたら、他の大学に追い越されているかもしれません。 
 
  安部公房がなぜそのような思考を行っていたかと言うと〜安部自身は東大医学部という日本で最高に難関の学部の卒業者ですが〜青年時代に過ごした満州で日本帝国が崩壊するのを間近に見たことが原点にあります。その時、昨日まで当たり前だった国境線も無意味になり、統治機構もすべて幻として消え失せてしまい、カオスが支配していました。帝国が滅亡してしまったのだから、個々の人間のアイデンティティは風に吹き飛んでしまいます。安部公房はそのテーマを終生追い続けました。国家とか、学歴とか、所属企業とか、家族とか、そうしたものに一切の基盤を置かない人間存在の可能性を文学を通して探り続けたのだと思います。そうして安部がたどり着いたのは「声」でした。その声が誠実かどうか、それを人間個人が自らの感性と知識で判断できることの大切さを安部は描いたのだと思います。 
 
  東大卒業者は生涯かけて、東大の意味する真のエリート性を示すことができなければ失格と言ってよいのです。出世したいために公文書を書き換える官僚であってはならないはずです。だから、東大卒をアイデンティティにする人間は、非常に厳しい人生を送らなくてはならないのです。逆に言えば東大卒であったとしても、その人間が東大の価値に劣る言動しかしない人間であれば本物の東大の卒業証書を持っていたとしても、それはトイレットペーパーの価値しかないと思います。 
 
 
※安部公房(作家、劇作家、演出家; 1924- 1993) 
「終りし道の標べに 」「壁 - S・カルマ氏の犯罪」「砂の女」 
「他人の顔」「燃えつきた地図」「箱男」「箱舟さくら丸」など独創的な作品が多数ある。 


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