2020年06月10日23時41分掲載
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政治
街は中立というわけではない 政治学者フランソワーズ・ヴェルジェス <Les villes ne sont pas neutres>Françoise Vergès(politologue)
アメリカのミネアポリスの警官によって公衆の目前で黒人が殺された事件は瞬く間に世界を駆け巡り、各地で人種差別に対する抗議を起こしています。英国では人々が奴隷商人だったエドワード・コルストンの像を引き倒しました。米国では南部のバージニア州知事が南北戦争の際に奴隷制継続を望んだ南軍の総司令官リー将軍の像を撤去すると発表しました。バージニア州ではアメリカ大陸発見のコロンブスの像が先住民の大虐殺の責任があるとして、デモ隊に倒されたばかりです。
こうした中、この話題に関して、パリ在住の政治学者、フランソワーズ・ベルジェスさんは次のように述べています。ちなみにヴェルジェスさんはマダガスカル島の脇にあるフランスの海外県、レユニオンで育っており、白人、黒人、アジア人の血が混じっています。
フランソワーズ・ヴェルジェス
「フランスでは共和主義者の像であれば場所を移動させても何ら問題はなかった。たとえば、ヴィクトル・ユゴー(パレロワイヤルにあったユゴーの像は1964年にロダン美術館に移された)、ラファイエット(ルーブル広場にあったラファイエットの像はラ・レーヌ広場に移された)あるいはガンベッタ(カルーゼル広場にあった像はエドワール・ヴァイアン・スクエアに移された)などの像の例がある。
しかし、その生涯が奴隷制度や植民地での暴力に緊密につながっている男たち(コルベール、ガリエニ、マルシャン ※)を称揚する像を移動させることを求めたら途端に抗議が起きるのだ。まさに記憶の忘却者、歴史の忘却者というものだ!
では、すでに今日においていったい誰がシュルシェール(※)の像が奴隷制の歴史や奴隷制に対する闘いを教えてくれた、と主張することができるだろうか?人々は嗤うだろう!これらの像はある特定の時代の国民の物語を称揚するものに過ぎないのだ。そして、フランスの街々や海外領土における国民の物語は、つまり、植民地帝国フランスの偉大さなのである。
街々は〜通りの名前、地名、モニュメント、公共建築〜中立ではない。それらは黒人や女性、移民、人種に区分され特徴づけられる人々に対して敵対しているのである。それらは、歓迎的で親切な空間を提供することからほど遠い。像たちは動き、消え、移動させられ、壊される。それらは私たちがすべての人々のための風景に望むものの反映なのであり、一部の人々の望むものではないのだ。」
フランソワーズ・ヴェルジェス
(パリ在住 政治学者)
※編集部
上の文の中で、「では、すでに今日においていったい誰がショルシェールの像が奴隷制の歴史や奴隷制に対する闘いを教えたと主張することができるだろうか?人々は嗤うだろう!これらの像はある特定の時代の国民の物語を称揚するものに過ぎないのだ。」というくだりをもう少し、詳しくヴェルジェスさんに尋ねてみました。
ヴェルジェスさんによると、フランスで最終的に奴隷制が廃止となったのは1848年5月22日です。自由・平等・友愛のフランス革命が起きたのは1789年でしたが、奴隷制が最終的に廃止されるまで60年近くかかっています。ヴィクトル・シュルシェール(※1804- 1893, 政治家・ジャーナリスト ※)らが奴隷制廃止を訴えたことが1848年の二月革命の時に実ったのです。しかし、その一方で、当時フランスの植民地だったマルチニック島を見ると、この日5月22日より以前に、島の奴隷だった人々が反乱を起こした結果、フランス政府の奴隷制廃止の政令が到着する前に、奴隷制廃止を勝ち取っていたのです。シュルシェールは確かに奴隷制廃止に一役買ったものの、それは奴隷制との闘いの全体の中の一時代のエピソードでしかない、ということ。しかもフランス側の目線で、ということでしょう。それを伝えたいということでした。しかも、シュルシェールは奴隷制廃止論者だったけれども、一方で植民地支配は支持していたのです。
もう一つ、文中のコルベールは17世紀、ルイ14世の時代の重商主義を推進した財務総監ジャン=バティスト・コルベール(※1619-1683)ですが、重商主義は財政立て直しのために植民地主義を推し進めることになりました。ジョゼフ・ガリエニ(※1849-1916, 軍人)はインドシナの植民地支配の過程でベトナム人の反乱を鎮圧したり、マダガスカルの征服に乗り出したりしたとのこと。ジャン=バプティスト・マルシャン(※1863- 1934,軍人・探検家)は英仏でアフリカ大陸の覇権を争った1898年のファショダ事件の際にフランス軍の指揮をしていた軍人でした。フランスでは英雄として讃えられ第二次大戦後においても銅像が建てられたということですが、アフリカでレイプや強制労働、掠奪などを起こした責任者であるということです。
※ヴィクトル・シュルシェール
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%B4%E3%82%A3%E3%82%AF%E3%83%88%E3%83%AB%E3%83%BB%E3%82%B7%E3%83%A5%E3%83%AB%E3%82%B7%E3%82%A7%E3%83%BC%E3%83%AB
■N.バンセル、P.ブランシャール、F.ヴェルジェス著「植民地共和国フランス」(岩波書店) 明治元年から150年の今こそ読みたい一冊
http://www.nikkanberita.com/read.cgi?id=201812161449190
■浜田雅功のブラックフェイスはなぜ問題か? 人種差別問題に詳しいフランスの政治学者Francoise Verges さんに聞く
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■マクロン勝利宣言の裏で 反ラシスム(反人種差別主義)集会が開かれる 年々勢いを増す人種差別主義にどう立ち向かうか
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■「個々の政治家以前に『構造的ラシスム(人種差別主義)』を解体しなくてはならないのです」 パリの討論会から
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