2020年06月18日14時34分掲載
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コラム
ふたたび、60年前の6月15日 内野光子(うちのみつこ):歌人
1960年6月15日から60年、このブログでも何度か触れているが、特段政治には関心がないまま、学生だった私は、安保反対の集会やデモには、参加していた。共産党系の大学自治会の列に入ることもあったが、ひとりで当時主流派といわれた全学連の集会を覗いたりもしていたが、6月15日の国会議事堂南通用門での樺美智子死亡事件には衝撃を受けた。さらに、その二日後の6月17日の新聞一面に掲げられた、在京新聞社「七社共同宣言」の衝撃はさらに大きかった。60年後の今日の朝刊は休刊日である。あす、どれほどの記事が載るのだろうか。いまはもう、目の前のことに目を奪われているような記事やそれどころではない?とでも言いたげな論調の紙面やテレビではある。
今、アメリカに端を発し、世界中で大きなうねりとなっている市民運動の中で、警官の黒人差別による死亡事件を思うとき、日本は、なんと平穏に「新しい日常」とやらに活字や映像が消費されていることだろう。ついこの間まで、改元だ、令和だ、オリンピックだ、果てはタレントの不倫だ・・そして、非常事態宣言・自粛だと騒々しく、「政治案件」は、とうに霞んでしまった。メディアは「共同宣言」を思い出すまでもなく、とっくに死んでしまったのだろうか。
5月21日、画家の菊畑茂久馬さんの訃報に接し、1935年生まれと知った。短歌と天皇制に気づかせてくれた一人であった。まだなさりたいこともあったろうにと残念に思う。菊畑さんの<前衛美術>には触れたことはないながら、その著書『天皇の美術―近代思想と戦争画』(フィルムアート社 1979年)によって、戦争画や藤田嗣治への関心がより深まっていったのである。近年、再評価された炭鉱画の山本作兵衛の早くからの紹介者としても知られている。絵については全くの独学、九州を拠点にしていらしたということにも、私は惹かれていた。また、宮本武蔵から青木繁、香月泰男ら31人の画家の列伝風のエッセ集『絶筆―いのちの炎』(葦書房 1989年)の熱量にも圧倒されたのである。ご冥福を祈りたい。
内野光子 歌人
※七社共同宣言(編集部注)
「1960年6月15日に全学連をはじめとするデモ隊が国会議事堂に突入して機動隊と衝突し、その混乱の中で樺美智子が死亡するという事件が発生すると、報道各社は態度を一変させ、6月17日に東京に本拠を持つ朝日新聞・毎日新聞・読売新聞・産経新聞・日本経済新聞・東京新聞・東京タイムズ[1]の主要紙7社が「暴力を排し議会主義を守れ」と題する共同宣言を発表した。」
(ウィキペディア)
初出:「内野光子のブログ」2020.6.15より許可を得て転載
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