2020年07月11日01時53分掲載  無料記事
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農と食

コンビニ商品の曲がり角 

  先日、ファミリーマートの沢田貴司社長が都心店舗の売り上げ減少が経営に響いていると朝日新聞のインタビューで語っていた。また商品についても、がっつり食べたい男性客向けのアイテムが多かったファミリーマートにとって、テレワークで自宅で食事をする人が増えてくると、むしろ自宅で調理して食べる食材へのシフトが求められているようである。ファミリーマートに限らず、コンビニ経営者にとって、この変化を新型コロナウイルス(COVID-19)の流行下における1〜2年の非常事態ととらえるか、長期的な変化の兆しととらえるかで今後の態勢も異なってくるのだろう。新型コロナウイルスの流行が去った時、今行われているテレワークが完全になくなるとは思えない。テレワークによって首都圏のラッシュも多少なりとも緩和されるはずである。 
 
  自宅で炊飯器でご飯を炊いて昼飯を食べるようになると、まず最も意識が変わるのはコンビニのおにぎりではないだろうか。自宅でご飯に梅干しやら沢庵やら鮭やらを入れて握って海苔を巻くと簡単におにぎりになる。筆者はおにぎりに100数十円を支払うのは今では躊躇するようになった。実際、この2〜3か月、コンビニのおにぎりを1個も買っていない。コンビニに対して敵意はないけれども、今の時世、収入も減少して、食費も外食を控えて節約しよう、という心理が働いてしまう。しかし、その一方で、都心のオフィスで仕事をするようになった時にコンビニにおにぎりがないとそれはそれで困るだろう。わがままな客だろうが、おにぎりは指標となる商品である。 
 
  コンビニは「時間がない」「調理場がない」という状況の人々に便利なビジネスモデルだから、通勤時間が減り、自宅に調理場がある人にとっては便利さが減少してしまう。それだけでなく、コンビニの便利さ、そしてコンビニの食品のおいしさになじんでいた人々に対して、新型コロナウイルスは自宅で料理をする機会を提供した。そうした時に、おにぎりでもサンドイッチでも、今までコンビニには何十種類と種類が並んでいたけれど、自分で自由に作ることのできる自由度に比べると、コンビニにおける「選択の自由」は非常に小さな自由でしかなかったことに気がつくのである。コンビニは鮮度管理やコスト管理で実に多くの制約に縛られているから〜顧客が金に糸目をつけないのであればともかく〜実現できる自由はそれほど大きくない。しかも、コンビニ店舗が増えすぎて、次第にその食材も飽きられてきている面があると思う。実際、筆者はコンビニになじみすぎたのが仇となって、コンビニの企画に合わない食品を食べたいと思うことが増えている。 
 
  この先、たとえCOVID−19が収まっていったとしても、人々は時間に少しでもゆとりのある暮らしを求めるだろう。過密な電車にも乗りたくないだろう。総じて労働のあり方自体にも変化が求められているのだ。そして、そのちょっとした贅沢は〜収入は減少しているとしても〜料理を作る喜びとも関係することである。多分、今の時期に多くの人が感じたことは、今後も後を引くだろう。コンビニが今後も持続してサービスを提供するとすれば、やはり、今までと同じビジネスモデルを続けるというよりは、次の生活に向けて、その生活を支援するような食材やサービスを充実させてほしいと思う。すでにコンビニで行政などによる様々な暮らしの支援制度の情報や申請方法をまとめた冊子が売られていたがこれはタイムリーな商品だったと思う。人々が時々で切実に求めるものが置いてあれば売れるだろう。難しい時だと思うのだが、変化をポジティブにとらえていく方がよい。 


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