2020年08月06日13時23分掲載
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アジア
モンゴル語を失うモンゴル人 阿部治平:もと高校教師
――八ヶ岳山麓から(320)――
このほど、中国内モンゴル自治区では、2020年第2学期(9月?)からいくつかの市や旗(モンゴル人地域の行政単位で中国本土の県にあたる)において学校教育のすべてを「国家通用語」(=漢語すなわち中国語)で行うとの方針を明らかにした。
中国のおもな少数民族区域には小学校、中学(中高一貫)の双方に普通学校と民族学校の二種類がある。普通学校はすべての教科を漢語を使って教える。民族学校は原則として現地の少数民族語によって教育を行うが、教科目として「漢語」があって、学年が進むにつれて「漢語」の授業時間と漢語によって教える科目が多くなるのが一般的である。漢語を母語とするものは普通学校へ、ウイグル・カザフ・チベット・モンゴルなど少数民族語を母語とするものは民族学校へ入学する。のちの大学受験などのことを考えて、少数民族でも官僚や知識人の場合は子供を普通学校にやる人がかなりいる。
だから「学校教育をすべて漢語でやる」というのは、民族学校でもすべての教科を漢語でやり、民族語を使っては教えないという意味である。
内蒙古師範大学の馬占様教授によれば、このたび出された政策は次のような内容を含んでいる;
1、小学校1年生からの「漢語」の授業は漢語を使って漢語を教える。
2、小学校「道徳」も漢語で教える。
3、中学の「歴史」「政治」も漢語を使う。
ここには触れてないが、「モンゴル語」は教科目としては残るらしい。
ネットなどで見ると、この言語政策に対し、モンゴル人の大学教授など知識人たちは猛烈に反対している。理由はほぼ以下の通りである。
第一、母語をモンゴル語とする小学1年生に漢語を使って漢語を教えるというが、それは無理だ。普通学校で児童生徒に英語だけで英語を教えることを考えても見よ。子供たちは理解できないところを教師にどう質問するのか。教師はどうやってわかないところを説明するのか。教育効果が劣悪なものになるのは目に見えている。
また幼少のものは母語の確固とした文法構造が生成されていない。これへの早すぎる第二言語の教育は母語の発達を阻害し、このために第二言語の習得も不十分な結果を招く。
道徳教育を漢語でやるというが、「道徳」は抽象概念の多い科目だから、そもそも語彙が理解できない。「歴史」や「政治」などの科目では、もっと高度の概念に遭遇する。そのうえ「歴史」では古代漢語が登場する(注、中国の「歴史」は漢民族の歴史を教え、少数民族の歴史を教えない)。現代漢語の習得がまだよくできていないものに、漢語で授業をやってどうして古代漢語が理解できようか。
こんなことをやれば、母語も漢語も中途半端な人間ができあがる恐れがある。内モンゴルには民族語教育の体系があり、数十年これでやってきた。この体系を変える必然性がない。
たしかに母語は脳の成長とともに身につくものであって、単なる意志伝達の道具ではなく、民族の文化を担っている。ひとはそれを土台に第二、第三の言語を習得していく。だから第二、第三の言語は母語の容量を超えることはできない。母語をしっかり習得することがまず求められるという主張は、その通りであろう。
民族言語を学校教育から追放する動きは、内モンゴルだけのことではない。むしろ内モンゴルはだいぶ遅かったといえる。今から10年前の2010年9月、青海省教育局は幼稚園から中学高校までの教育用語を漢語にすると決議し、小学校では2015年までに漢語を主とし民族語を従とする「双語教育(バイリンガル教育)」を実現し、民族中学に対してはその実現時期をもっと早めるものと決定した。
青海ではこの決定に、小中学生から元官僚集団まで、チベット人地域あげての反対となり、五つある民族州の中心の町のどこでも中高生のデモが起きて、青海当局を震撼させた。省政府所在地の西寧では、当局は大学生のデモを阻止しようと「公安(特高)」まで動員して大学を取り囲んだ。その結果、「教育用語を漢語にすることができないところはやらなくてもよい」という譲歩を引き出した。しかし、当局もさるもので、「やれるところからやる」方針によって現在漢語による教育は、チベット人地域で拡大している。
青海チベット人が政府の言語政策に抵抗したとき、すでに新疆ウイグル自治区、チベット自治区では、小中学校などの教育機関での少数民族語の使用が禁止され、漢語による教育が徹底していた。以前本ブログでも述べたが、昨年新疆ウイグル自治区を旅行したとき、私たちが会ったカザフ人の少年らは、カザフ文字は小学校の低学年で学習しただけだ、学校でカザフ語を使うと処罰されると語っていた。
内モンゴル自治区は、じつは内モンゴルというのは名ばかりで、1949年の革命以来の漢人の大量移住によって、モンゴル人人口は10数パーセントになってしまった。フルンブイルやシリンゴルのような牧畜がかろうじて残っている地域を除けば、日常生活の中で漢語が圧倒的な地位を占めており、モンゴル人でもモンゴル語を母語とするものはじょじょに減る傾向にある。私のモンゴル人の友人は、夫人ともども家庭でモンゴル語を使用していたが、子供は事情があって普通学校に入学させた。学年が進むにつれ、子供たちは漢語を優先し、ついには両親に対しモンゴル語を使うなと要求するようになってしまった。漢語が下手だと「没有文化(教養がない)」といって軽蔑される傾向があるからだと思われる。
古代秦漢帝国以来、漢民族は周辺民族を征服し同化させて拡大してきた。この歴史的傾向は、1949年の革命によって弱まることはなく、むしろ中国共産党統治下では異民族支配は明清帝国のそれよりも直接的で厳格なものになった。
現代漢民族大衆は、国家統一と中央集権を民族の幸福と感じている。少数民族への偏見の少ない人でも、少数民族には統治能力がないとみて、彼らの高度自治とか独立の要求などを頭から否定する人が断然多数である。少数民族が「中華民族」の一員になること、すなわち漢化によってのみ進歩できると考えるのである。この点、中共の民族政策は漢民族大衆の感情にもなじみ、しっかりとしみ込んでいると思う。
少数民族に対する言語政策は、同化政策の一環である。文字のある言語を持ち、誇るべき文化を持つモンゴル・カザフ・ウイグル・チベットなど少数民族の知識人は、執拗に中央政府の言語政策に抵抗している。だが残念ながら、現在の強権政治の下ではごまめの歯ぎしりである。
今回のモンゴル語のあしらいかたに対しては、今後もモンゴル人からの異議申立てはあるだろうが、それは蹴散らされ、漢語による学校教育によってモンゴル人の漢語使用人口は一層増加を続けるだろう。ウイグルやカザフやチベット同様、モンゴル文字もモンゴルの歴史も、ただ研究の対象としてだけ存在することになるだろう。(2020・08・02)
阿部治平:もと高校教師
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