2020年08月26日13時39分掲載
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コラム
ドキュメンタリーとマイクロペニス 4
今年になって、医学でマイクロペニスという極小であり(勃起時に7センチ未満がそう呼ばれています)僕もその範疇にあることを書きました。10代の思春期の頃から、ずっと誰にも言えず、隠し続けてきた一番恥ずかしいことです。僕はゲイではないのですが、恋愛してもその果てに肉体関係を結んだり、家族を持ったりということに対する不安があって、もうすでに50代半ばですが、今まで独身でした。一番苦しいことは、以前は僕のようなケースを呼ぶのに「短小」という曖昧な表現しか知らなくて、甚だしい肉体的ハンディだとは自分で思いながらも、それをどう認識したらよいのか、誰に聞くこともできず、悶々としていたわけでした。
しかし、自分の一番弱いところ、一番恥ずかしいところを示したことで、一番変わったのは僕自身の心が以前よりはるかに楽になったということでした。もう隠さないでいいんだと思うと、今までずいぶん、抑圧されていた事に思い当ります。学生時代は映画作りを目指して映画学校に行ったのですが男女の関係が中心のドラマは自分には無理だな、と諦めてしまいました。でも自分自身のことで隠すことはもうないのだ、少なくとも肉体上の事では・・・と思うと、もっと以前に、10代の時から、恋愛の芽はたくさんあったのに、残念なことをしたと思います。一時つき合った女性に対しても、自分を隠さず打ち明けることができていたら良かったと思います。
思うに、肉体的なハンディキャップというのは実際に存在し、障害者という福祉の対象となる範疇もあれば、「短小」みたいに、平均値から開きがあるという程度のものまでさまざまです。だから豊胸手術やペニスを大きくする手術も行われるのでしょう。それを否定はしませんが、その前に、人間の肉体に関する正しい知識とか、精神的なケアを教育現場の方々にお願いしたいと思います。僕が啓発されたのは海外のドキュメンタリーだったのですが、その作品では医者が学生たちのサイズを測定し、偏差のデータをグラフで示して、その人がこのばらつきのどのあたりにいるか、ということを冷静に教えていました。思うに、この肉体のばらつきをどう考えたらよいのか、ということも、なぜそのようなことが起きるのか、ということや、子供たちがくじけないような考え方の教育を施してほしいと思うのです。昔はこういう性に関する知識は学校ではなく、売春宿に通うような「先輩たち」から教えてもらえ、というのが常識でした。
それともう一つ思い当ったことは、僕が子供の頃に映画などでは男性がほとんど常に主人公でした。当時は指揮者には女性は無理だ、とか、女性は論理に弱いとか、いろんな形で女性の社会進出を阻む言葉が満ちていたと思います。子供時代に空気のようにその「常識」を吸収して育つと、ペニスが小さい、ということは理想の男性像から離れて、かなり女性に近いポジションにあるということでもあり(象徴的な意味で)、社会が男尊女卑であればあるほど、マイクロペニスにような人は自分のコンプレックスが強くなるのではないかと思えるのです。僕の場合、勃起していなければ2センチ強なので、「ペニスがある」というよりも「本来あるべきペニスがない」という欠損の感覚の方が強いのです。男だと思えば思うほど、その欠落感が激しく感じられますし、不条理でもあります。
しかし、こうした男女間の序列意識については、マイクロペニスに限らず、もっと広範に「短小」と呼ばれる人々のコンプレックスにも言えるのではないでしょうか。ですから男尊女卑の意識や理想の男性といった過去の「通念」を捨てることもまた、大切ではないかと思っています。
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