2020年08月29日15時37分掲載  無料記事
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コラム

右か左か、上か下か  歴史修正主義に対する闘いはどこへ?

  最近よく「右か左かの闘争ではなくて、上か下かだ」という意見を見かけます。筆者の尊敬する人々もよくそういう言い方をしています。でも、どこか違和感があります。 
 
  伝統的な意味の右か左かを思い出すと、左には所得再分配を通した格差の否定という経済上の方針と同時に、国家が犯した戦争責任や植民地主義を反省する、という歴史的な立場がこめられていました。今言われている上か下かが、右か左かと端的に異なるのは、この歴史的な立場を捨てていることでしょう。 
 
  おそらく上か下かという言葉を左派の人々も使いたがるのは、冷戦時代のソ連陣営を左として、米陣営を右とする左右対決ではもうない、という冷戦後の状況を考えてのことだと思います。もう左右のイデオロギー対立の時代ではない、というのが冷戦後の状況だという認識がそこにはあります。ですから、米国内であっても上か下か、という視点はあり、これは1%対99%の闘いを言い替えたものに外なりません。 
 
  日本は第二次大戦における立ち位置がファッショ陣営ですから、米国における上か下かをそのまま日本の政治状況に移入した時、捨象される歴史修正主義との闘いはどうなってしまうのでしょう。おそらく、日本では野党の旧民主党のグループの中に歴史修正主義を是認する立場の政治家が一定数存在し、彼らを仲間にして大きな野党ブロックを作るには歴史修正主義という問題は前面化しない、という判断と合意のように感じられます。 
 
  右と左という言葉を避ける思想の背後には「歴史の終わり」という冷戦末期に現れたイデオロギーが潜んでいるように筆者には思われます。以下はウィキペディアの「歴史の終わり」の説明です。 
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%AD%B4%E5%8F%B2%E3%81%AE%E7%B5%82%E3%82%8F%E3%82%8A 
「「歴史の終わり」とは、国際社会において民主主義と自由経済が最終的に勝利し、それからは社会制度の発展が終結し、社会の平和と自由と安定を無期限に維持するという仮説である。」(ウィキペディア) 
 
  この新手のイデオロギーはソ連をあまりにも重視しすぎているのではないでしょうか。ソ連をもって社会主義や「左」を代表させて歴史を包括的に論じる、という方法は正確さを欠くとしか言いようがないと思います。 
 
 
武者小路龍児 


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