2020年10月04日13時06分掲載
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欧州
ドイツ通信第161号 新型コロナ感染の中でドイツはどう変わるのか(9) T・K生:ドイツ在住
9月10日以降のドイツのコロナ感染者数は連日1,700〜1,900 人前後で推移し、他の諸国と比べてはるかに少ない数値を示しています。そのドイツで、なぜ〈反コロナ規制〉運動が起きるのか? これまでにもドイツのコロナ対策は成果を上げてきているではないか? とEU諸国の理解できないところです。
そんな話が聞かれるなか、9月30日夜7時のTV定時ニュースで、イタリアでも同じような運動が起きているのが報じられていました。それ以上の詳しい状況は、これまでまだつかめていません。それに続いて9月5日(土)にオーストリアでも同様な集会とデモが行われ、参加者の1人が持っていた寛容と許容、そして同性権を象徴する「虹の旗」がもぎ取られ、引き裂かれ、集会参加者から拍手喝采されたと伝えられています。(注)
(注)WELT-Samstag.5.September 2020 (電子版)
ここでの特徴は、〈反コロナ規制〉運動が、「同性愛フォビー(嫌悪)」を公然と主張していること、別の言い方をすれば、同等な権利を有する多様な人間・性関係を憎悪し、拒否・排除していることです。
「君らは、われわれの社会に属さない!」
とまで、この行動を率先した1人の女性は言い放ちます。彼女は、オーストリア〈反コロナ規制〉運動の代表者の1人で、5月のインタヴューでは、「マスクは口輪=言論抑圧」と答えていたといいます。
同じくこの行動をともに担ったもう1人の男性は謀略論信奉者で、社会ネット上で自説を広げ、「虹の旗」は彼にとっては、「明らかな小児性愛、子どもの性虐待のシンボル」となります。
ここで一つ付け加えるなら、オーストリアは〈アイデンティティ運動〉の非常に強い国で、ドイツのファシスト・グループとの強固な結びつきと相互影響も指摘されてきました。
2015年の難民問題で、ドイツのドレスデンから始まったPegida運動が、その後ヨーロッパに広がり、EU議会での極右派グループを勢いづかせたのと同じような経過をたどりながら、〈反コロナ規制〉運動もヨーロッパに広がりを見せ始めています。
そのように考えれば、アメリカのトランプ派の暴力的かつ殺人的な人種差別行動、そしてコロナ感染を軽視する態度は、ヨーロッパのそれと同じ根をもち、同じ政治傾向を有していると見ることができます。正確にいえば、トランプ派の少数派マイノリティーに対する暴力的かつ殺人的な襲撃は、ヨーロッパの明日の姿にならないとは言えないのです。
ここで再び8月1日、29日両日の〈反コロナ規制〉反対ベルリン中央集会・デモに戻ることにします。
記事では「ポップカルチャー」と表現されていますが、私には、「コロナ祭り」の印象が強いです。確かに革命の歴史でよく言われるように、抗議・抵抗闘争というのは、〈一つの政治的祭り〉であることに変わりはないのですが、コロナ感染流行のなかでと思うと「悪魔のフェスト」のような脅威を感じ、背筋が寒くなります。
そうした動きの前後に、20歳前後の若い人たちが秘密裏に森の中で数百人規模のパーティーを開き、警察の追跡を逃れようとして森と草原に散在していく姿が報じられていました。日常の市民社会とそれに対抗する〈闇の世界〉を垣間見るようです。私の不安と恐怖は、この社会亀裂にこそあります。
誰に責任を求めるのかではなく、例えば現在のアメリカの社会分裂にトランプ個人の性格と責任を追及するだけでことが足りるのではなく、この現状を引き起こした歴史的過程での各個人の政治的検証と批判が、今求められているように思われてなりません。現状から将来が問われているからです。
8月1日と29日、ベルリンに結集するグループの様子を報道資料から集約すれば以下のようになるでしょうか。
ロックダウンによって会社倒産に遭遇した人たち、平和主義者、ヒッピー、フーリガン、乳母車を押す母親、若いカップル、社会中間層、それに加えて、
・極右派―「アイデンティティ運動」、帝国市民(Reichsbuerger)、極右急進主義者
・謀略論者―5G反対者
・神秘・密教主義者―自然療法医
・ワクチン拒否者
・AfD、等々
が、混在しています。さらに「左翼」もと言われ、個人的な集会参加は伝えられていますが、組織実情に関しては把握できていません。
「反コロナ規制」運動の組織者が、「右も左でもない多様な結集を!」と呼びかける意味をここに見ることができます。それを彼らは、既成概念に対抗し、且つそれにとらわれない「ねじれ思考」運動(注)と名乗り、中央機関のない横の横断組織であるのが特徴です。
(注) “Querdenken”をこのように訳しておきます。各都市グループはそれに電話の 市街番号を付け加え、例えば運動の発祥地となるシュトゥットガルトは、「Querdenken711」となります。
各地方組織が、こうしてインターネットのChatグループを形成し、それに医者、ジャーアナリストなどが〈反コロナ〉情報を発信、拡散して、いわば、「オルタナティブ・メディア」、情報源を形成することになります。そしてここが、彼(女)たちの結集軸となり、情報戦の観を呈してきます。はたして議論がかみ合うのか、否か?
この運動の思考構造を要約すれば、以下のようになるでしょうか。
世界のエリートが陰謀によって人間(性)を抑圧し、政治とメディアが国民を欺いている。エリートに属するのは、ウォールストリートの銀行で働いているすべての人間たちだ。同様に企業家としてはビル・ゲイツ、マーク・ツッカーベルク、ロックフェラーそしてロスチャイルドなど。
したがって、コロナ感染は9.11ニューヨーク・テロと同様に人民管理と独裁を強め、世界制覇を目的とした政府とエリートの陰謀による演出でしかないという結論が導かれます。
金融危機に際して各国政府は、一方で莫大な救済資金を金融機関に投資し、他方で市民の生活は顧みられることがなく、逆に財政的負担が重なってきました。仕事を追われ、家を明け渡し、さらに銀行への借金返済が利息とともに嵩張ってきます。少数の富と多数の貧困の格差が明らかになり、富む者はさらに富み、貧しい者はますます貧しくなっていきます。
これに対抗してオキュパイ(occupy)運動が、世界を席巻しました。
この部分だけを取り上げれば、「エリート(資本家・政治家)に対する闘争」という社会運動は正当性をもち、多数の市民の結集軸になります。
しかし、〈反コロナ規制〉運動の問題点は、「陰謀論」が反ユダヤ主義と連結していることです。これが社会運動として一つの潮流をなそうとしていることに現在の問題があります。
「基本権」の絶対的擁護と制限の境界線は、実にこの点をめぐっているように思われます。これが一つのポイントだとすれば、なぜ社会のなかに反ユダヤ主義への批判が公然としてこないのかが、次のポイントになってきます。私の問題意識はここにあります。
謀略論に関する近年の事例は、アポロ月面着陸、J.F.ケネディー暗殺、9.11ニューヨーク・テロに見られますが、数年前からアメリカを発信地とするQAnon・グループが、現在、内部に大きな影響力をもち始めてきています。Qの匿名でYouTub発信されるChatネットです。「一人はみんなのために、みんなは一人のために」(注)が、呼びかけアピールになっています。
(注) “Where we go one, we go all “ Der Spiegel Nr.39/19.9.2020 Unter Gläubigen von Patrick Beuth u.anderen
分裂した社会から取り残され、置き去りにされて行き場がなく1人で孤独に暮らす者には救いの手になるだろうことが想像できるのですが、内実はとなると、ここに書くのも気が重くなるような代物です。しかし、謀略論者のなかで何が話されているのかを知るために要約しておきます。参考にしてください。
・影響力をもつサタン的な児童虐待者が少年、少女を誘拐して監禁し、彼(女)たちの血か らドラッグをつくり上げている
・アメリカ大統領トランプだけが、児童虐殺者の陰謀から世界を救済してくれると〈信じている〉といいます。(注)
(注)Der Spiegel Nr.37/5.9.2020 Unsere Verruechten von Tobias Rapp Der Spiegel Nr39/19.9.2020 Unter Gläubigen von Patrick Beuth u. anderen
それにとどまらず、そうした信仰者がトランプ政権のなかにも足場をもち始めていることから、Qの発信人が誰で、発信源がどこにあるのかの探索が始まることにもなります。未だに解明されていません。「闇の世界」なのです。
謀略論の歴史は、しかし、数百年遡ることができます。中世のペストとユダヤ人迫害、また、近世ではフランス革命後の1894年ドルフュス事件が記憶に挙げられるでしょう。1871年革命後の世界不況、そして金融恐慌(1882年)のなかで、フランスの愛国主義と反ドイツ感情が高まるなかで起きたユダヤ人差別・冤罪事件です。ユダヤ人陸軍大尉が「ドイツ・スパイ」容疑をかけられて逮捕され、彼の名誉が回復されたのは、ようやく1906年になってのことでした。
このヨーロッパのユダヤ人迫害は、ロシア革命、そしてスターリン時代に引き継がれ、共産主義に対する「敵対者」として迫害、追放、虐殺が、さらに「共産主義=ユダヤ人の世界支配」の謀略論によって反共産主義者、ファシスト側からも猛威を振るうことになり、それがナチによる〈ユダヤ人虐殺=ホロコースト〉に導いたことは明らかな事実です。
〈反コロナ規制〉運動には、実にこうした反ユダヤ人主義に深く根をおろしたグループが隠然・公然と参加しているのが認められます。
「個人の自由」、「発言の自由」を主張しながら「基本権」を要求するこの運動のファシズム大衆運動への変質・転換に注意を払うべき理由が、ここにあります。
8月29日の集会・デモの後、ジャーナリストから「極右派、極右急進主義者が参加し、国会議事堂への突入を呼びかけていたのをどう思うのか」と質問された集会責任者は、「知らなかった!」と答えていました。
「知らなかった!」――これこそが歴史的にユダヤ人迫害・虐殺を黙認してきた論拠ではなかったか。
「知らなかった」――ドイツの「過去の克服」「戦争責任」を検証するときのキー・ワード、生命線でなければならないはずです。それなしにいくら議論しても、過去が克服され、戦争責任を取ることにならないばかりか、被害者を置き去りにして自己の贖罪を癒すだけのものにしかすぎないでしょう。
ユダヤ人虐殺――アウシュビッツ解放から75週年を迎えた今年2020年に、ユダヤ人からドイツ(市民)に問いかけられたのが、この問題提起であったように理解しています。
現実に目を向けたとき、そうした思考論理がいかに被害者に二重の迫害を強い、次の虐殺を準備していく一里塚でしかないことを自覚すべきだと思い、これを書いています。
これが〈反コロナ規制〉運動に対する私の立場で、されるべき議論の要点だと考えています。
南東ヨーロッパのシンチ・ロマへの迫害・ゲットー化の状況が、ヨーロッパのロックダウン以降伝えられてきていました。
シンチ・ロマは、西ヨーロッパ各地での単純な日雇い、収穫、季節・出稼ぎ労働で日銭を稼ぎ生活していました。各国がロックダウンに入ったことから、特にスペイン、イタリア、フランス、そしてドイツでシンチ・ロマの仕事はなくなり、祖国への帰還を強いられ、しかし、祖国では「危険グループ」として隔離、孤立されていくことになります。
祖国での社会・労働参加、編入の可能性はなく、それが西ヨーロッパ(EU)への出稼ぎの理由になりますが、そこでも使い捨てにされ、祖国帰還を余儀なくされています。もう何十年も繰り返されてきた歴史で、コロナが、その現実をより赤裸々に暴露した形となりました。
故郷で受け入れられることもなく、さらに感染を運んでくる「危険グループ」のレッテルを貼られれば、コロナ流行のなかでさらに社会隔離と閉鎖化、孤立化が進みます。
ルーマニアでは、シンチ・ロマ市民内での感染爆発が起きたことから、彼(女)たちの住居地全体が囲い込まれ、完全に社会から隔離されました。ルーマニアのウェップ・サイドでは、「チクタクと時間を刻む時限爆弾」とさえ表現されています。
ブルガリアでも、シンチ・ロマ住居地への出入り口には警察のチェックポイントが設けられ、孤立化が進められようとしていました。
アルバニアのシンチ・ロマの48%が給水設備を、コソボではただ10人に1人が健康保険を有し、ボスニアとヘルツェゴヴィナでは11%、セルビアでは14%だけが定職についているという統計があります。
EUおよび各国政府の社会・経済活動への受け入れ計画のない隔離、孤立化、ゲットー化は、歴史を繰り返すこと間違いなく、しかし差別・人種主義、そしてそれに続く市民の暴力的な襲撃、虐殺の始まる前に、共生共存できる社会と経済条件を作り上げなければならないのです。
問題は、「誰も興味を示さない」という点にあります。
〈反コロナ規制〉のような運動が、何も現在に始まった現象ではないことは、カミュの『ペスト』に同様な動きが記されていることからもわかります。
この本を図書館から借りてきて、夏のコス島休暇で読んでいました。友人たちと会えばこの本の話になり、「現時点とパラレルに進んでいるね」と話しています。
アラブの古い街。現在でもそのまま残っています。現地を踏んだ人にはよく理解できるのですが、高い外壁で囲まれた町の通用門が閉鎖されれば、本当のシャットダウンで、逃げ出すことが不可能です。その街でのペストの発生でした。
以下、気になるいくつかの諸点を、記憶とメモに頼って書いてみます。
そこで〈反ペスト〉の抗議運動が起こりますが、本のなかではそれ以上の詳しい描写はなかったように記憶しています。
現在との一つの違いは、外部との連絡が唯一〈電報〉に頼るしかなかったことでしょう。それによって、インターネットによる現在の社会コミュ二ケーションと比較したスピードと広域化で限界があったと理解できます。
制限された外部通信という条件のなかで、フランス人の1人のジャーナリストが「ペスト感染」を逃れて彼女の元に戻る画策をします。通用門を防衛する警備隊への接触、根回しも始まります。
彼はたまたま街を訪問したにすぎず、それ故に住民との直接のかかわりはなく、フランスに残した彼女との関係こそが唯一の現実になってきます。
それによって、「ペスト感染」とそこに残り最後まで戦う個人的な必然性はないというのがその論拠です。
他方で、医者を中心に「ペスト」との闘争は続きます。そのために市民が組織され、不十分とはいえ社会、医療体制が確立されていきます。にもかかわらず、多数の人々が連日命を落とし、「無駄な奮闘か」と思われても、それでも救援活動を止めることはできません。
この現状をカミュは、「ペスト感染」との闘争に際して、〈個人か集団か〉(注)と明解に問題提起していたはずです。
(注)individuell oder kollektiv (ドイツ語版で読みました)
そして一番印象に残っているのは、このジャーナリストが医者たちの活動を見ながら、なおかつ〈個の存在(権利)〉の正当化で自己を納得させようと試みながら、しかし最後には画策してきた〈逃亡〉を諦め、救援活動への参加を決定していく過程です。
私の手元のメモでは、以下のようになっています。
自分自身が満足し、幸運であること、それがどういう意味をもっているのかと自問したことです。
最後にもう一点つけ加えておきます。『ペスト』のなかに、女性たちが家の屋上テラスで会合し、女性たち自身の社会的関係性が維持、確保できることを見つけ出した下りです。
女性たちも(テラスで)会合することができるのだ!
それ以上の詳しいことは書かれていなかったと思いますが、アラブの両性関係を垣間見る思いがして興味深く読んでいました。
この屋上テラスですが、私はすぐにマラケッシュを思い浮かべました。密集した旧市街は、家屋が同じ高さで建てられ、屋上は平らになっています。箱形の家屋を想像してもらえればよく理解できます。それが軒を並べる屋上風景ですから、隣の家の屋上に飛び移り、散歩もできるのです。
視線の彼方まで広がり、屋上に立てばそこに地上から浮き上がった〈二階の街並み〉が展開されることになります。狭い曲がりくねった街路、広場は、ロックダウンで外出が禁止されています。しかし、屋上テラスには、解放と自由があります。
連れ合いとこの話をしながら、「痛快、痛快!」と声を上げて笑い転げていました。
市民・人間相互の社会生活の維持には、共同、共有の場所が絶対に必要だということでしょう。ロックダウン期間中、私たちは森や公園に出かけました。同じように、アラブの人たちは、それを屋上テラスに発見したことになります。
人間の社会関係がコロナ感染で制限されていくとき、絶対にそうした共有・共同の空間が確保されなければならないのです。それが過去に破壊され、解体され、奪われてきたことが、現在の職場、学校、医療、社会福祉等々での大きな諸問題と課題をつくり上げているのだと思われてなりません。
クダクダと書きました。また誤読・誤解があるでしょうが、現在の〈反コロナ規制〉運動を批判していく、逆にいえば、〈私たちが、どうコロナと向き合えばいいのか〉という課題への一つの手助けになるのではないかと思います。 (つづく)
T・K生:ドイツ在住
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